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朱子学から陽明学に 榊原安英

―伝六章 「誠意」「正心」の解釈についてー
この記事は当協会の福井支部 東洋古典塾 塾長でもある榊原安英教授の考察による、朱子学から陽明学の論文です。
教授は科学者の視点にて東洋古典を様々な方向性から、この難しい世界について解説下さっています。

1. はじめに


朱子学と陽明学の繋がりを考証するにあたり、まず最初に、四書五経「大学」における八条目の「誠意」「正心」についてからの考察を始めたいと思う。大学の伝六章に次のように書かれている。

所謂 其の意を誠にすとは、自ら欺むく毋きなり
所謂 身を修るは其の心を正すに在り

「誠意」とは「自分に正直になること」であるが、自分に正直になるだけで、人として「徳のある生き方」が出来るとは考えにくい。
確かにその通りで、自分に正直になるとは、自分の善にも悪にも正直になることであり、それが「徳のある生き方」には直結しない。

それについて論評を記した、王陽明の著書を見た中江藤樹が、「朱子学」では納得できなかった疑問に対する答えを見つけたと、歓喜、感激したと言う手紙が残っている。

私はこのあたりに、「朱子学」と「陽明学」との違いがあるという視点から、この両者を比較しながら、どこが異なり、何をもって徳への道筋を見つけていたかを分析を行う事で、「大学」にて記されている、八条目をより深く解釈していきたいと思う。

「陽明学」のキーワード
「心即理」
「致良知」
「知行合一」

2. 「朱子学」から「陽明学」へ

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時代背景と儒学の変遷についてまとめた上記の表をみながら、読み進めて戴けたらと思う。

儒教思想の根源は、約2500年前の東周春秋時代の孔子の教えとして「五経(易経、書経、詩経、礼記、春秋(左氏伝))」がまとめられ、同時代の武力による覇道を批判し、事実、為政者の徳による王道で天下を治める徳治主義を実践した良き時代を築いたという歴史がある。

その後、国は乱れ、隋、唐の時代を経て、争いが収まった宋の時代に入り、文化思想が花咲き、儒学も国民に伝えるための教育書として朱熹らによってまとめられたのが「四書(論語、孟子、中庸、大学)」である。

古代儒教の五経と、朱熹により編纂された四書で構成された四書五経は、新儒教ということで、朱熹が編纂したことから朱子学と呼ばれ、印刷技術の確立とともに世の中に広まった。
その「四書」の筆頭にあるものが「大学」である。

「大学」とは、「八条目(格物致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下)」「三綱領(明徳、親民、止至善)」「五徳(仁義礼智信)」であるが、そのもととなる思想が、「性即理」という宇宙観を踏まえた思想である。

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明時代に入ると、朱子の考え方に対して、解釈上の矛盾が指摘され、その頃、王陽明らにより議論が始まった。そのため、朱子学の改訂版というべきものが陽明学であった。特徴は、朱子の根本思想であった「性即理」を否定し「心即理」という思想を提示したことにある。

故に、朱子学が最初「理学」と呼ばれたのと同じく、当初は「心学」と呼ばれ、それが後に「陽明学」と呼ばれるようになった。

朱子学と陽明学はとかく対立する面が強調されがちだったが、実は深い絆で結ばれており、陽明学は朱子学の内在的な展開であり、「朱子学は、必然的に陽明学にゆきつくべき運命にあった」という意見もある。
故に、陽明学を学ぶには朱子学を理解していなければならず、この二つを対比することで、相互の理論がよりよく分かるというものである。

王陽明が指摘したことは、人間が持つ「徳」を、頭で考えた正しさだけでは、それを納得して、行動するには無理があり、情や利己心も含めて納得しない限り、行動できないはずであるとの解釈だ。

確かに、泣いている子供を見つけても、この子に関わると、今、やろうとしていた急用をこなせない、と思うと躊躇している自分がいるのも確かなこととだ。自分の情や利己心とは何かを理解しない限り、行動できないとはまさにその通りである。

確かに、人は理想だけでは行動できない。
心で納得して初めて行動できるのだ。
そして、の正しい行動をするためには、情の部分も含めて自分を納得させる必要があることはよく理解できるし、その方が、不完全な人間として受け入れる事が出来る事も確かである。

だが、この理論には、以下のような側面も含んでいることも認識しておくことが大切だ

1)「朱子学」と「陽明学」は、全く異なる思想であり、対立関係にあるように言われ、長い期間激論が戦われてきたが、儒学の解釈について、一部「解釈の違いがある」程度の違いであり、決して対立する関係にはない。

後に、朱熹は、当初の自分の考え方の間違いを述懐しており、それを弟子たちが「朱子晩年定論」としてまとめたものがある。朱熹は晩年に自説を全面的に否定して改訂を試みたが、それが果たせぬまま死去してしまった。

2)「陽明学」は、時の為政者によって弾圧された歴史があるが、それは、時の為政者を軽んじて、家族の方を大事にするという間違った解釈も可能であることが原因だったと言われている。

また、「性(徳)」だけでなく「心」として「情」の部分を含めたことで、人の解釈によっては「思うがままに」⇒「我がままに行動しても良いのだ」という拡張解釈も出来てしまう事も、誤解に繋がったようだ。
そのため、佐藤一斉は、「朱子学」を熟知した人にしか「陽明学」を教えなかった。つまり、「陽明学とは朱子学を学んだ者しか学ぶ資格がない学問」という理解であり、私もこれが正しい学び方だと思う。

3. 中江藤樹の開眼


中江藤樹は、1600年代の江戸初期の近江の国の陽明学者である。
郷里の小川村で私塾「藤樹院」を開き、身分の上下を超えた平等思想で、武士に限らず農民、商人、職人にまで幅広く、陽明学の教えを広め、自然発生的に近江聖人と称えられた。

その代表的な門人として、熊澤蕃山、淵岡山、中川謙叔がいる。
中江藤樹は、「安心立命」を求めて「年久しく」朱子学の世界に転迷開悟の契機を探ったが、「入徳の効おぼつかなく」、朱子学に対する疑問を抱くようになった。その最中、中国渡来の「陽明全集」を購入し、披閲したところ、その朱子学に対する自らの疑いを既に疑って活路を開拓した先覚者を発見して驚愕したという書簡が残っている。(文献 日本思想史学 学会誌(昭和61年発行) 吉田公平、「中江藤樹と陽明学」)

藤樹は、「大学」の中の八条目のうち「誠意」と「致知」に注目している。
朱熹(朱子学)は、意を已発作用と概念規定した。

已発とは、「中庸章句」で、「喜怒哀楽」という人間の最も根元的な感情の表れをあげ、その感情が発する以前と以降とを厳格に分け、それを朱子学の理論体系に組み込んだ理論だ。
つまり、感情が発する以前は「未発の理」であり、已(すで)に発せられた後は、「已発(いはつ)の理」としている。

「已発作用」とは、感情が已(すで)に発せられた心の状態であり、この意においてこそはじめて善悪があらわれるので、「意を誠にする」工夫を「善悪の関」とみて重視した。
つまり、本然の性は善であるが、個々の気質に制約される已発作用(感情による作用)があるため、悪をもたらす可能性がある。

これは宋学以降におきた概念だが、心は外物の刺激を受けると感情や思慮となって動くが、外物が去るとふたたび静かな状態にもどる。この静・動をそれぞれ未発・已発という。

未発状態は、心は静寂で中庸であり、本来的な「性」の状態にある。しかし、心が外物と接することによって動となり、情が発現されて「已発」状態になる。そこで朱熹は、未発の涵養(かんよう)(心を静に保持するくふう)と已発の省察(察識。心の動きを観察するくふう)とを一本化し、それを居敬とし、いついかなるときにあっても心の主体性を保持することを提唱した。

藤樹は、心を「本来(本来心、本心)」と「凡心」とに分け、それぞれの已作用を「霊覚」「起発」と指定して、「本来」の霊覚作用は、善となるが、「凡心」の起発作用は、善でもあり悪でもあるした。つまり、もともと心の内部に伏蔵している「意(凡心)」が起発すると悪になるという。よって、心に伏蔵する意を悪の原因と規定、意とは、心そのものが本質的にもつ偏向性であり、その心の偏向態を「凡心」とした。

つまり、誠意の工夫とは、心の偏り(意)を無くすこと、凡心を本心に回帰させることになる。

以下をもう一度まとめてみた。
「心即理」の心とは、性と情が混然一体となっている状態のこと。
「意を誠にする」とは、情のうち、感情的、利己的な部分の作用を少なくすることであり、言い換えると「我を無くす」ことである。
「致良知」とは、凡心が伏蔵していても、心の本体を誠(良知)に率いること

4. 「心即理」にみる日本文化

4.1 浄土真宗に見る「心即理」

浄土宗から発展した「浄土真宗」では、南無阿弥陀仏と唱えると浄土に行けるという他力本願で知られている宗派である。特に有名なのが、

「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」という言葉である。

普通なら、「悪人でさえ往生できるのなら、いわんや善人をや」となりそうだが、ここでは、「悪人」というのは、悩みながら生きているすべての人を指す。つまり、感情的には「悪いことをしてしまいそうだ」という状況では、「悪いことをする」という認識は持っているので、その後に反省する機会生じるので、救いがあると捉えるのだ。

問題は、「善人」の解釈だ。
悪いことと認識せずに悪いことをしてしまっては、何の反省も出てこないという状態になる。これでは、反省する機会さえも出てこない。いわゆる、知らなくて犯した罪は、知っていて犯した罪よりも重いということであり、これを「無知の罪」と言う。

つまりどういうことかというと、いろんなことを知っていなければ、反省することも出来ないという意味だ。つまり、儒学で言うところの、格物致知から良知に至ることで、意を誠にする事が出来るようになることを言っている。
人は良知に至るには、他力本願にはなるが、仏心の導きが必要かもしれないという「誠」のエネルギーを元に、外に頼らざるを得ないという想像も湧いてくる。

4.2 曹洞宗に見る「心即理」


曹洞宗では、人が涅槃に到達する段階が示されている。

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「発心」「修行」「菩提」「涅槃」「脱落涅槃」の五段階だ。
「発心」では、自己を見つめ、修行では自己を忘れ、「菩提」では、自己、他己の心身を脱落ならしむ、つまり、宇宙の法則の中に己を見つけることであり、「涅槃」では、味噌臭く無い味噌になり、最後の「脱落涅槃」では、もう一度脱落して修行をやりう直す、ということになる。
この段階のうち、「菩提」までの過程で、自己を見つめ、自己を忘れ、無我の境地に至るというところが、「心即理」であり、我を忘れて、無我の境地になり、利己的な考え方を拭い去って、「善行を行う」、そのための「良知」を得るという流れに、同じ思想のようなものを感じる。
仏教思想、特に禅宗は、確かに宋の時代に、日本に入ってきたものであり、朱子学もその影響を受けているのではないかとも推測される。

4.3 神道に見る「心即理」


古事記には、最初にこの世に成りませる神は、天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)についで、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ)の3神であり、「お隠れになりませり」ということで、姿のない神様である。

その後、いくつかの神様、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびのひこじのかみ)、天之常立神(あめのとこたちのかみ)、國之常立神(くにのとこたつのかみ)、豊雲野神(とよくもぬのかみ)の後に、伊弉諾、伊邪那美の神がお成りになる。

このふたり神が、「修理固成(おさめつくりかなめなす)して、国土を産んでいき、伊邪那美は、最後に火の神様である火之迦具土神(ひのかぐちのかみ)を産んで、お亡くなりになり、黄泉の国行かれる。伊弉諾は伊邪那美を迎えに行くが、見てはいけないものを見てしまって、伊邪那美の怒りをかい、無事に逃げ帰り、「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原にて禊が行われ、左の眼から天照大神、右の眼から、月読神が、そして鼻から須佐之男命が誕生する。
この三神を、三貴神と呼んで、最も尊い神様と崇められている。

最も尊い神様として崇められるその理由は、この三貴神の方が人並みの穢れ、悩み、泣いて、反省、決断、実行して、それを解決した経験があったからだとされているからだ。

キリスト教のエホバは全能の神(God(創造主))は、天地を作り、人間も作った創造主だが、人の経験がないために人の気持ちが解らない。
つまり、人間との関係がないので、身近にも感じませんし、人の悩みを解決したり、人を救えないということであるが、日本の神々は非常に人間的なのだ。

例えば、天岩戸では、須佐之男命が天の国で、大暴れをしてしまって、その暴虐ぶりを嘆き、悲しみ、反省して、天の岩戸にお隠れになったり、出雲の「国譲り」では、大国主命の兄たちに命を奪われたりしますが、須佐之男命がその命を甦らせたりしています。つまり感情的で情緒あるのが日本の神々であり、そこに東洋思想の面白さを感じている。「性」ではなく、「心」であるということが示されている。

5. まとめ


「陽明学」について、これから研鑽を重ねて詳しく調べることとなるが、中江藤樹が解釈した「誠意」「正心」の解釈については、今後、佐藤一斉の「言志四録」をより深く解釈するための道具として以下のように整理した。

① 意が心に伏蔵する⇒心そのものが本質的に持つ偏向性を言うのであって、その心の偏向性態を「凡心」という。
② 誠意のエネルギーが心の偏り(意)を本心に回帰させるということ。
③ 誠意が良知によって導かれるということ。
よって「致良知」というのが悟りの最終形となる。

以上、2020年11月9日から佐藤一斎(言志後録)が始まる。
佐藤一斎57歳~67歳の時に表された語録であり、丁度その年齢を迎えている私にとってそれを一条ずつ毎朝読むことで、これからの生きるべき指針を再確認できればと願っている。

榊原安英(福井支部 東洋古典塾 塾長)

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