JR一ノ関駅


2024.04.28
今年のゴールデンウィークはなんと10連休を頂、東北旅行に出掛け、旅もやっと岩手県に突入だ。やってきたのは、JR一ノ関駅でここに来たのも「エキタグ」スタンプ捺印が目的であった。


一ノ関駅の開業は1890年(明治23年)で、その前年まで地名は「一ノ関村」であり、1889年に町制が施行され「一関町」と改名され、 この時から自治体名から「ノ」は無くなりました。一ノ関駅名は、旧自治体名を引き付いていました。


駅は仙台〜盛岡間のほぼ中間にあり、仙台と盛岡を分ける駅であり、在来線の旅客列車に於いては全てが終着駅となる。新幹線と在来線の乗り換えとなる駅なのかコンビニやお土産コーナーが充実しと思ったらここにも大谷翔平グッズコーナーができていた。


以前開催された「大谷翔平選手グッズ岩手県ポップアップストア」で好評だった商品を岩手県内の「NewDays」3店舗にて発売し、ここでしか買えない限定商品もあるらしい。拙者にとって一関と言えば、かつて存在していたフォークグループ「NSP」を思い出す。当時は一関はとてもとても遠い地にあり、いつの日にか行ってみたいと夢見ていた坊主であった。そのNSPの「夕暮れ時はさびしそう」がここ一ノ関駅新幹線ホームの発車ベルに使われていたことを後で知り、ホームに立ち寄らなかったことを後悔している。


一関市に縁のある大槻三賢人の胸像が駅前にあった。大槻玄沢(1757~1827):一関藩医玄梁の長男で建部清庵の門弟。日本最初の蘭学塾「芝蘭堂」を開いたほか、蘭学・オランダ語の入門書「蘭学階梯」や「解体新書」を改訳した「重訂解体新書」などの著書があります。大槻磐渓(1801~1878):玄沢の二男。開国を唱えた和魂洋才の儒学者で、「近古史談」などの著書があります。大槻文彦(1847~1928):磐渓の三男。29歳で文部省から辞書の編集を命じられ、16年の歳月をかけてわが国初の辞書「言海」を完成させていた。

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