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剥き身の中身を外側の世界に差し出せる人になりたい

先日のトークイベントの切り出し動画を、久々にYouTubeにあげようと思ったら、2020年にアップロードした動画が出てきた。

2020年は未曾有のパンデミックが起きた年だった。世界全体がオンラインを前提としたものとなり、人々がYouTubeやライブ配信をしたりしていた。当時私は、自意識を乗り越えて、なにかしらの自己表現しようと決意して、ミスiDを受けており、コロナ禍の恥はかき捨て、チャンスは1度きりと、痛々しくて結構!残って這い上がるのみ!とあがいていた痕跡があった。

今振り返ると、恥ずかしいことばかりだ。思わず目を背ける。そう、過去に乗り越えようとした記録でも、自意識自体は結局今もあるので、見返すこと苦しい。結局こういうのとは一生お付き合いしていかなければならないんだろうな、と思う。

動画の内容は、JR東海の東海道新幹線のCM「クリスマス・エクスプレス」シリーズのパロディだ。山下達郎の『クリスマス・イブ』が使われており「ジングルベルを鳴らすのは、帰ってくるあなたです」のコピーで有名だ。まずは、本家を紹介したい。


このCMはいくつかシリーズがあるけれど、一番有名なのは牧瀬里穂のこのシーンじゃないだろうか。

私は、2019年にもこのCMのパロディをしており、牧瀬里穂のような服を着て駅でインスタントカメラで写真を撮ったりしていた。これ、当時クリスマスの前に、無理くり撮ったけど、めっちゃいいよね。

メルカリで揃えた牧瀬里穂ルック

「クリスマス・エクスプレス」のCMは遠距離恋愛の恋人たちが会う、という話をベースに組み立てられているが、2020年は、遠距離恋愛の恋人たちもしくは家族、友人など、離れた人たちがリアルで会うことが難しい時期だった。ちょっと気取った言い方をするならば、鉄道というのは、人と人が会うために、人と場所が出会うために走るものだともいえるが、この年はどうにもそれが難しかった。前年のパロディ写真を経て、2020年の私はオマージュCMをつくることにしたようだった。

キラキラに飾り立てた部屋に、自撮りをする自分。「やってますわ〜w」と思ったりもする。勇気を持って自己表現がしてみたい!と願いを託すように着ていたシャツがいじらしい。ああ、この時期、志磨遼平のライブで買ったシャツ、子供が幼稚園に行く時好きなヒーローのTシャツ着て頑張るくらいの勢いで、着ていたな、と思い出した。

最近、プリントもボロボロになってきて着る機会が減ったのは、お守りがなくても、自分が好きな服を着られるようになったからかもしれない。自意識が、ないわけではない。ただ、ないことにしている。ないことにしているけど、あるから、戦っていかなければいけない。動画一本の話をするのにこれだけ自分の話をしてしまう自分がイヤでたまらない。もうそろそろ、折り合いをつけたいけど、一生つかないのかもしれない。自意識と戦っているみなさん、お元気ですか?私だって、ないわけじゃないんです!大ありです!

再生したくないな〜と思いつつ、ふと、自分が「すごくセンスがいい!」と思っている友人が当時褒めてくれたことを思い出し、恐る恐る再生し始めた。あ〜自分、下半身ふとましすぎ!とか思っていたが、だんだん見ていて楽しくなってきた。いいじゃん、これ。かわいらしい。2年半前の女性が頑張っていた。

パンデミックの社会ににおいて、オンライン越しで大事な人とクリスマスに画面通話を楽しんでいること。部屋をたくさん飾り付けてクリスマスを祝いたかったこと。クリスマスなのに、誕生日のようにキャンドルに火をつけようとしているところ。いじらしい。動画編集の技術が足りず、TikTokの加工を重ねたビデオ風の動画も頑張っている。山下達郎の音源にContentsIDの許可もおりていた。(そして、2年半後の山下達郎の発言に、絶望を覚えたりもする。時の経過と、未来によって過去の解釈が変化していくことなんて誰が予想できるだろう。それはとても残酷で仕方なく寂しいことだ。)

いとうあさこが、「過去の自分は他人!」と言ったらしいが(※Twitterを見るに2021年1月8日NHKのあさイチでの発言だと思われる。視聴者による複数ツイートがあるため。)私にとって自分の過去の映像はそういうものだった。

撮影した当時は、コロナ禍に絡めてオマージュCMを作るなんてダサいのでは、と感じていて、しばらく非公開にしていたのだけど、2年半寝かせると、過去感が出てきて「そうそう!コロナの時ってこんな感じだった!」という記録としての意味が出てきて、ハッとする。ビデオログってちゃんと編集しておけば、自分の記憶や時代をこんな感じでパッケージ化できるのか、と思った。

コロナによって世界中がストップしていた時期そのものがもはやフィクションのようで、全くもって不思議な時間であったと思う。もうこのまま世界はパンデミックを抑止することができず、みんな家の中で一生を終えるのではないかとすら考えていた時期があった。そんなこと、あったようななかったような出来事に感じる。あの時間だけがバーチャルに浮遊していたような不思議な感覚が残っている。

ミスiDの卒業式を終えて配信したYouTubeLiveの様子が残っていたからそれも見たら、私はこんなことを言っていた。

「この世にすでにあるものが正解だと思ってたの。だから、作るものは──私が作るものはいつも不完全で不正解でいらないもので、既製品に負けるって思ってたの。でも、本当はつくりたくて、それでもつくってもいいんだってこととか、思えるようになった。思い出したの。」

自分が思っていることや考えていることを内面そのものを剥き身で外界に押し出すのはとても怖く恥ずかしく、変態的な行為であると思う。CMオマージュ動画を今でも恥ずかしいと思うのは、多分自分の創作性の度合いが強いので、単にコスプレをしただけの写真よりずっとドキドキするんだと思う。だって、自分が何が良いと思って、何をリスペクトしててどう作りたかったなんて本当のことだから、恥ずかしいじゃん!正解か不正解か分からなくて泣きそうになるじゃん!あ〜〜〜!!

やっぱり自分の外側に何かしらのアウトプットをするなら、ドキドキして恥ずかしい、と、見返してやっぱいいかも、を行き来するようなことしかやっちゃいけないのかもしれない。

緊張感と恥と勇気みたいなもの。変態性みたいなもの。そういうものを持っている友達が私の周りにはちゃんといて、そういうものに誠実に向き合っているなと思う。ずっと恥をかきながらやっていくしかないのかもしれない。世界に対して緊張している人とか、少し不慣れな要素を残している人たちの方が好きだと思う。

剥き身の中身を外側の世界に差し出せる人になりたい。
そう思ったりした。過去の自分に励まされたりあわあわしたり、こんな感じのまま生きていくんだと思う。

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