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夫の借金29,035,436円と私⑩

第十話  新しき世界 酒への扉

私は酒をほとんど飲めませんでした。
「酒を飲めない人は、人生の半分損をしている」などと良く言われます。
私は酒の味を美味しいと思った事が無く、飲んだからといって良い気分になったりすることもありませんでした。
居酒屋で酒に酔って大騒ぎをする人たちを、冷ややかな眼でみていたものです。

夫に11,351,393円の借金を告白されてから、私たち夫婦は冷戦に入り、必要最低限な会話しか交わさなくなりました。
お互いに消耗する一つ屋根の下での冷戦なのですが、夫が私を欺き、さらに  借金をしていた事がどうしても許せず、真剣に離婚を考えました。

借金が明らかになってからは、24時間頭の中でループするように思考がぐるぐると回っていました。
許せない→離婚しよう→でも一人で生きていく自信が無い→また借金を繰り返すかもしれない→やっぱり離婚しよう・・

スーパーなどで「整理整頓」の文字を見ても「債務整理」に見えてしまうほど、日常生活が困難になるほど打ちのめされていました。

私は悩みに悩み、考えに考えました。
そして、許すことにしました。

私たち夫婦は同い年で50代、平均寿命まで生きたとしてもあと20年ちょっとです。
今まで生きてきた年数に比べたら20年などあっと言うまではないでしょうか。
それなら、同じ屋根の下で互いに憎み合って暮らすより、家族として笑い合って生きた方がなんぼかましですよね。

今度は許そう、その代わり反省を態度で示してもらう。

私は意を決し、ある土曜日の夜、夫と居酒屋で話し合いをすることにしました。
人の目があれば大喧嘩になることも無いだろうし、酒が入ればリラックスして互いの本音を話せると思ったからです。

最初夫にLINEを送った時、離婚の話し合いかと思ったらしく、
「考え直してほしい」と返事がありました。

私は、「離婚とかじゃなくて、これからどうやって返済していくか、二人でしっかり話し合おう」と送りました。


居酒屋で待ち合わせした時、店内は忘年会のお客で賑わっていました。

夫はビールを、私はキウイサワーを注文しました。
キウイサワーは、自分でキウイをすりおろしてグラスに投入するスタイルになっており、意外なほど美味しかったのです。

私は「最後はどうするつもりだったの? どうやって返すつもりだったの?」
一番聞きたかったことです。
夫は「退職まで働いて、退職金とかでなんとか返すつもりだった」
これは嘘ですね。
答えは、何にも考えてなかった、だと思います。

私は「1000万以上の借金を返せるのは、年齢的にも今回が最後だよ。
二人で協力しなければ、絶対に返せないよ。わかってる?」
夫は「副業して、ちゃんと返す。行動で証明する」

「私は、あなたと二人でずっと、あの部屋で最後まで暮らしたいだけなの。
本当にそれだけなの」

夫は意外な事に、生ビールを一杯しか飲みませんでした。
普段は結構飲むのです。

わたしはキウイサワーが意外に美味しかった事もあり、グレープフルーツサワー、ライチサワー、シークワーサーサワーと次々に杯を重ねてしまいました。こんなに酒をお店で飲んだのは、生まれて初めてです。

そして、酒がうまい、と感じたのも今回が初めてでした。

「今度が最後だよ。またやったらもう終わりだからね」
次第にろれつが回らなくなり、頭が朦朧としてくる一方で、奇妙な浮遊感、開放感、多幸感が湧きあがってくるのです。

これが、酒に酔うということか・・

座席の側面に据え付けてあった鏡をふと見ると、紅潮した顔面、うつろな目、だらしなくゆるんだ口元、そこにはまぎれもない酔っ払いの姿が映っていたのです。

私は今まで、酒場に入り浸る酔っ払いの心情が理解できなかったのですが、初めてその醍醐味を知ってしまったのです。

50にして、酒の世界への扉を開けてしまった・・

主人の借金がクリアになる一方で、私自身がどんどんダークサイドに落ちていくような感覚を覚えました。



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