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魂(たま)散歩15.5歩目。書生さんの人生の振り返り。

●書生さんの人生の振り返りについて


「私は、自分の価値を誰よりも知っていました。だからこそ、周囲にそれを知らしめたかったし、周囲もそのことを認めて然るべきだと考えていました」

「作品を創造して行く、形作っていく作業というのは、それを行ったことがない人間には予測もつかないくらい、途方もなく身も心も削るような作業を続けていくことになります。その作業を一つ一つ成し遂げていける私自身を、私はとても誇りに思っていましたし、傑物だと感じていました」

「ただ、私は傑物である前に、一個の人間だという側面も持っていました。その部分がとても柔らかで、脆弱で、愚かしい…到底、自分の中に存在していては行けないと思ってしまう側面でした」

「私が認めたもうひとりの傑物は、私と同じように人間の部分を持て余していたのだと思っています。彼は、そうであるが故に自らを追い詰め、流星のごとくその生を散らしてしまった。しかし、その瞬きこそが、彼を永遠の光りたらしめた要素なのではないか、とも考えるようになりました」

「そこから、私は『傑物というのは、周囲に認められ、最高の状態の時に瞬きのように命を散らす運命にある』ということがわかったのです。だから、私は自分の人生の頂点の時に命が終わると考えていました」

「生きるのが辛い…人生が辛い…それだけでは、人の死は輝きません。それなりの理由と、それを輝かせるための功績、私は自分の死を、傑物だったと認めさせるための死を、それを行うための功績が欲しかった」

「一人で死んでも、誰かと死んでも、どちらでも構わなかったのです。ですが、世の中の尊い人たちは、殉死する伴がいた。私にもいた。ただ、それだけのことなのです」


…ということでした。
書生さんは一通り話し終えた後、オーダーメイド風のスーツに袖を通し、金鎖の着いた懐中時計を満足気に眺めた後、タバコを吹かしながら、ゆっくりと光のモヤの中へ歩いていかれました。

自己憐憫の先にある、ある種の「自己肯定」というのは、なんというか…ひとつの陶酔の形のような気がして、それはそれとして、人によっては正しい形なのかもしれません。

ただ、その陶酔の中で、本当にそこだけに浸っていることは出来ず、時々「酔いが覚める」瞬間があったとは思います。

その時に、この書生さんは何を見て、どう感じたから、ご自身の終焉を早めに望んだんだろうか…そんなことを少し考えてしまいました。

…今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

とよみ。

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