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起業した5つのキッカケ

僕が起業したキッカケ。決して万人ウケするネタではないけれど、これから起業する人の参考になれば良いと思うし、将来僕の会社にJoinしてくれる社員に目を通してもらいたいのと、自分で原点を振り返るためのメモとして書いておこうと思う。

キッカケ① 失敗父さん、成功母さん
キッカケ② お手本のような失敗
キッカケ③ 謎の占い師
キッカケ④ 予想外の部下の一言
キッカケ⑤ 大学生の志

うちは父親も母親も経営者。こう言うとめちゃくちゃ裕福に聞こえるが、残念ながらそうではない。父親は経営に失敗し、その後離婚。母親が父親から顧客を買収し、現在まで約20年間、小さいながらも保険代理店を経営し、現在は県の代理店協会の代表理事を努めている。

【キッカケ①】
幼少期に経営に失敗した父親と、そこからV字回復を果たす母親の姿を目の当たりにしたこともあり、中学校1年生くらいの頃には、経営者になって男として成功してやると心に決めていた記憶がある。

であれば、努力してもっと良い経歴を積んでおけよ、とその頃の自分に言いたくなるが、当時を思い返すと反抗期と離婚後の生活が相まって、中高時代には学校をサボり、大人を悩ますことで承認欲求を満たしていた気がする。

<10代で人生の選択>
当然大学進学の道はなく、何とか人生を変えたかった僕は、高校卒業と同時にオーストラリアに飛び出す。
現地の英語学校の入校試験で、Marryと言うワードを使って文章を作れという問題に対し、自信満々に「Marry Chrismas!!」と書いたもんだから、レベル1の更に下に初級クラスという別のクラスを作ってしまった。
そんなこともあり、当然最初の1ヶ月は苦しんだ。でも自分自身が日に日に変化していくことが目に見えて一番楽しい時期でもあった。今思えば、アウェーの地に身を置くというこの選択は本当に正しかった。子供達にも心からおすすめしたい。お金が心配でも、現地に着いたらすぐ日本食レストランなどでアルバイトをすれば良いので、十分に生きていける。

【キッカケ②】
2年後の20歳の頃に帰国し、大学入学金を稼ぎに1年間福岡でアルバイト生活。そして、尊敬する出口治明さんが現在学長を務める立命館アジア太平洋大学に進学し、経営学を専攻する。世界中に仲間を作り、26歳で(やっと)社会に出る。
僕はこの大学に5年もいた訳だが、そのうち1年間は飲食店の経営にゾッコンだった。座学によって知識が増える度に妄想が膨らみそれを押さえきれなくなり、実践の機会に飛びついた。大きな負債を抱えた訳ではないが、案の定お手本のような失敗をし、1年弱の初挑戦は幕を下ろした。
この時に、自分の無力さにとことん凹んだけれども、もう経営をしたくないとは思わなかった。強烈な悔しさと、もう一度リベンジしたいという強い思いを自分の中に再確認できたことで、自分はやっぱり起業したいんだなと悟った。

<唯一のサラリーマン経験>
何も知らないこの時点でいっそのこと起業して、いくつか失敗を重ねてもよかったと思うが、新卒で入社した渋谷にあるIT専門の人材会社に、「35歳までには起業します」と生意気な言葉を放ったにも関わらず入社させていただいた。
文系の僕にITの知識を授けてくれたし、学生時代に思い描いていた海外を飛び回る自分の姿も実現させてもらった。そして何より今の仕事に繋がるインドという国と出会う機会を与えてくれた。

【キッカケ③】
前職在籍中に、夏休みに台湾へ初の一人旅を決行。学生時代に付き合っていた台湾出身の彼女が、日本での就職機会を得れず卒業後に帰国したにも関わらず、僕にお金がなくて(というよりかお金を工面する知恵がなくて)会いに行けなかった当時の自分の無念を浄化するための旅行。
道を歩いてると、占い師のおばちゃんが中国語で声をかけてきて、思いきり営業された。強引に僕の手を引いて、席に座らせる。対面に腰掛けながら第一声に、「あなた、経営者になるよ(中国語)」と言われ、心臓を掴まれたような感覚のまま、自然と財布から鑑定料を出していた。
色々とネガティブなことも指摘されたが、「あなたが30歳の頃に始めたことは、一生続けるよ」と言われ、この時に30歳で経営者になると決めた。
僕は全て身の回りで起こる事は何らかのサインだと考えるタイプ。たかが占いだが、当時の僕にとっては背中を押してくれた貴重な一言だった。
ちなみに、「あなたは72歳まで生きれるよ」とも言われ、意外と短命だな…とも思ったが、逆に捉えると72歳までは何をしても死なないという事。今もピンチの時は、そう考えるようにしている。

【キッカケ④】
29歳の頃、入社4年目にして初めて日本人の部下を持つことになる。僕が在籍していたのは外国籍人材を扱う部署だったので、他の所属メンバー全員が外国籍だった。めちゃくちゃ賑やかで、黙々と仕事をする他部署の人達から白い目で見られようとも、空気を読まない彼らとの仕事がまた楽しかった。

そんな中、社員研修を終えた日本人のメンバーが一人チームに加わった。彼女の名はナガサワ。イギリスの大学に4年間通っていたこともあり、チームに順応するのに時間は必要なかった。数ヶ月経ったある日、彼女から突然、将来どんなキャリアパスを描いているのかを聞かれた。
僕は、チームに加わって数ヶ月の部下に対し、独立すると言うことで不安にさせるのではないかと思い、一瞬迷いはしたが率直に打ち明けた。
しかし、そのあとの彼女の反応が全くの予想外のものだった。
「それなら、なぜまだ此処にいるんですか?」
この問いかけに、ハッとさせられた。
何かしら理由をつけて、コンフォートゾーンに留まろうとしていた自分に気付いた瞬間だった。役職も付き、仕事の要領もわかってきて、ある程度安定してくると、いつの間にか起業することが怖くなっていたのだと思う。

【キッカケ⑤】
前職での4年間で初めて有給を取得した際に、とある大規模な起業家イベントに参加した。有名起業家たちが登壇し、堂々と自社のサービスについて語る中、真面目そうな一人の大学生が手を挙げた。
「僕は、女性のために1本でメークアップが完結する魔法のペンを作りたい」
その大学生の危機迫る真剣な面持ちは、一体何が彼を動かしているのか、自然とその背景を想像してしまう程だった。
10歳も若い彼に嫉妬した。起業すると、こんな危機感の中でビジネスにエネルギーを注げるんだということを見せつけられた気がした。そしてその結果、目の前の有名起業方達のように、数千、数万人の人生に影響を与えることができるチャンスがある。
その晩、4年間お世話になった会社に起業することを伝える決心をした。

ここまでが僕の起業するまでの人生の中で、頭に浮かぶキッカケ5選。
バンジージャンプで例えると、僕は決して自分の意思で一歩を踏み出せる度胸の持ち主ではない。だからこそ色んな形で周りの人や環境が、背中を押してくれたのだと思う。あとは上半身を倒して飛ぶだけ。


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