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第8回「性暴力に遭えて幸運だった」

 前回のヒキは我ながらいい感じでしたね。でもすみません、ちょっと別の話をしていいですか?
 この原稿を書いているのは9月10日。ストックを貯めておきたいので、いつもかなり早めに書いています。いまでは病気も完治して一般的な日本人よりもむしろ弾力性の強い精神を持っている私ですが、なにしろ連載の内容が内容だけに、筆がとどこおることを危惧して備えています。
 北原みのりさんからは元々、占いの記事を書いてくれないかとの打診でしたが、元当事者の立場から性売買について書かせてくれないかと私から提案させていただきました。(※注)自分から言い出したことなので、覚悟はしていたのですが、やはり執筆にあたって自らの傷をえぐる必要があり、連載開始前からうっすらと落ち込む日が増えている気がします。悪夢も増えました。よみがえってほしくない記憶がよみがえるときも多いのです。

 先日も、いまのいままで忘れていた記憶を急に思い出して、大変驚きました。おそらく、まだ未就学児の頃です。その頃、母は私に「おやすみのキス」を強要して習慣にしていました。唇から唇です。父へは、唇でなく頬へでしたが、たしか一度、何かの拍子に唇にもさせられ、両親そろって爆笑していたのを覚えてます。
 日本では、カップルではない大人どうしが親愛の情を示すためにキスをする文化はありません。大人どうしではしないのに、子ども相手なら、なぜ許せられるというのでしょうか? 子どもは、かわいいから? どうせ記憶がないから? 何をしているのかもされてるのかも、しょせん意味などわかりっこしないから……?
 実はこんなに幼い頃から、このような性的侵襲を受けていた私。オモチャにされるためにこの世に生み出された生命としかどうしても思えず、ただひとこと……愕然とします。
 これを書いている最中にも、SNSで、ペットにキスをしている飼い主の写真が流れてきました。彼・彼女らは、ペットの性的同意はどのようにとったのでしょうか? 冗談など言ってません。私は病気がひどいときは、ネットでぬいぐるみのようにかわいい犬猫の写真が流れてくるだけで鬱状態に陥っていました。かわいいことに価値があり、かわいいから生み出される生命に自分自身を重ねていたのです。
 私はいまでも、「猫はかわいいから愛する」と「ゴキブリは気持ち悪いから殺す」の違いがわかりません。

 前妻に死別された父の連れ子は男、男、女の順の三きょうだいで、私が生まれたときにはみな独立していました。
 真ん中の次兄は、会話はいちおう成立する中程度の知的障害を持っており、ふだんは施設で暮らしていて盆と暮れだけ帰ってきます。
 今回はこの義理の次兄、仮に名前をタケちゃんとしますが、タケちゃんについて思い出したことを書かせてください。
 小学二、三年生の頃だったと思います。暮れにタケちゃんが帰ってくる直前、家のなかで母だけが今までになく慌てていました。
「来る前に、聡子の部屋にカギつけなきゃ!」と言って、簡易的なものですが設置していましたが、私はその意味もわかりませんでした。
 それまでもいつもニヤニヤと私の顔をじっと盗み見るクセがあって、気持ち悪くて恐ろしかったタケちゃんですが、私にじゃれつくフリをして、まだ平たかった胸を後ろから揉んできました。
「サッちゃんのおっぱい、パイパイパイー!」
 目の前で父は無言でワープロをいじっていました。

 お見合い結婚で豊川の家にやってきた母にとって、当時小学生のタケちゃんはまさに悪夢そのものの存在でした。そのころすでに性的な事件ばかり起こしていたからです。銭湯の女湯に侵入して警察沙汰になったり、同級生の女子をえんえん尾行していたり……すべて母から聞いたことです。いまから考えると、それを私の耳に入れて、いたずらに恐怖心をあおる必要はあったのかなと思いますが。
 父は再婚した負い目なのか、それとも子との接し方が分からなかったからか、三人の連れ子たちを叱ることを絶対に一度もしなかったと、これも母から繰り返し繰り返しグチを聞かされました。タケちゃんの問題行動に父が対処しなかったのは明らかです。母の心にも福祉行政から何らかのサポートが必要だったのは明白でしたが、何もなかったことでしょう。

「パパはきょうだいの中でタケが一番かわいいの。出来の悪い子ほどかわいいって言うでしょ?」

 母が私にグチをこぼしたことがあります。
 でも、どう考えても、その父の子でもある私に、言うべきことじゃないのに……。

 タケちゃんが帰省してくるたびに当たり前のように何かが起こりました。母は二人きりになったとたん抱きつかれたり、義姉も夜中に寝顔をじっと見つめられたというようなことを言っていました。私はその当時、なぜ母は父にそれをうったえて守ってもらおうとしないのか、なぜそれでも毎年毎年タケちゃんは帰ってきてしまうのか、不思議でたまりませんでした。
 でも今ならわかります。母が何を言っても、父は取り合わず、被害は無化されてきたのでしょう。
 知らぬは男ばかりなり、ということわざがあります。私の家の女たちはみんなタケちゃんから性暴力を受けていました。そして男たちだけがみんな何ひとつ知らないのです。ひとつ屋根の下で、自分の寝泊まりしている我が家で、繰り返し起こっている事実すらも……。
 
 酔った父から胸をさわられたことを、母に打ち明けて相談したことがあります。
 母は即座に父に、確認という名の告げ口をしました。そして戻ってきました。
「パパ、覚えてないって言ってるけど?」
 性被害を無化されて苦しんできた母は、まったくの無意識で、私に同じことをしました。

 いま、いわゆる『ジャニーズ性加害問題』が連日世をにぎわせています。記者会見まで生中継というのは私個人の意見としては少々やり過ぎを感じており、さながらマスコミによる狂騒曲という印象を受けます。ニュースバリューがあるのでしょうね。
 私の書いた、母から娘への性暴力、障害者男性から女性への性暴力などは、それに比べてマスコミが報道価値を感じるたぐいの話だとはとても思えません。ニュースとは、報道とは何なのか、考えることが増えました。無化され、圧殺されてきた言葉……だからこそ語る必要があると信じたいし、語りたかった。

 私の体には恐ろしい暴力の記憶が無数に刻まれています。いまでも、ときどきそれらにむしばまれそうになります。
 でも私は知っています。人生に無駄なことは何ひとつありません。私はあらゆる体験を、差別や不平等と戦っていく強さに替えました。その強さこそまさに私自身です。あらゆるトラウマは、いまでは私がひとりでも生きていける自信となり、自尊心のみなもととなりました。
 そして、同じ体験をしなければ、母がその生涯で味わってきた想像を絶する苦しみをも理解することができなかったでしょう。
 だからいまでは心からこう言えるんです。性暴力に遭って幸いだったと。虐待されてよかった。日本に生まれてよかった。女に生まれてよかった。そうでなければ、いま、これを読んでくれているあなたとも出会えていなかったのだから。

(※注)この連載は当初、第7回まで「LOVE PIECE CLUB」に連載され、その後削除された経緯を持つ。この第8回よりnote書き下ろしとなる。

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