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「やまなし」宮沢賢治

朗読のポイント
・読んでいる私は誰ですか?
・蟹の兄弟の台詞分けには意味がある?
・川の底と川の上の表現の仕方

【読んでいる私は誰ですか?】
どの作品でも基本的に同じですが、地語りを読むときにまず考えたいのは「誰の目線なの?」というところです。

一人称であればすぐ答えは出ますが、三人称の場合は視点が誰か?を考えてみると良いと思います。
とはいえ、理由がなくてはいけません。
小説の内容を読み取った上で、なぜそういう視点とするか?の説明ができないと、途中でブレが出てきます。
理由の説明ができるのであればどんな視点にしても構いません。ここでそれぞれの個性が出てくるのです。
アイデアにも繋がります。

ただ、聴く人にさっぱり理解(共感)してもらえない視点にするのは自分勝手な朗読になりがちなので注意したいところです。

この「やまなし」の場合、私はお母さんの蟹がいないところに注目しました。
お母さん蟹はどこにいるのでしょうか?死んでしまったのでしょうか?

私は、姿は見えないけれど、お母さん蟹が見守っているようなイメージで地語りをお母さん蟹のつもりで読みました。

違うバージョンにも色々チャレンジできそうですね!
あなたはどんな視点・目線にしますか?

【蟹の兄弟の台詞分けに意味はある?】
蟹の兄弟が登場しますが、どれが兄の台詞なのか?弟の台詞なのか?明確にはなっていないところがほとんどです。

となると、自分でよくよく想像を膨らませて決めていくことになります。

ネット上でアップされている朗読でも意見は分かれます。

自分で台詞分けをするときも、理由が欲しいところ。なんとなく、で決めてしまうと、イメージが薄いため、朗読したときもそれが聴き手に伝わります。
目の前に映像が浮かんでくるように朗読する。
ここを目指したいので、読み手がちゃんと頭の中で立体的に絵を描いておかないといけません。

わたしは冒頭の台詞を弟にしました。
理由は弟が何度となく兄に質問する、という2匹の関係性を感じたからです。

とはいえ、兄は「知らない」「わからない」と答えられません。
「わからない」=弟
という図式にして、兄弟の台詞分けを決める人も多いかなと思います。

お父さんの蟹がカワセミの話を尋ねたとき、兄が「わからない」と答えるシーンがあります。
わたしはここをポイントにして、わからないことを素直にわからないと言う兄のキャラクターを決めました。

さらに、最初の「知らない」を「しーらない」と表現することで、いつもなんでも質問してくる弟へのちょっとした悪戯心も見せたいなと思いました。

意見が分かれる台詞分け。両方のバージョンで試してみるのもお勧めです。

【川の底と川の上の表現の仕方】
地語りは母蟹です。
母蟹も姿は見えませんが水の中にいます。
母蟹の視点から眺めるとき、底の様子を話すときには少し視線は下に向きます。
上の様子を話すときには上を向きます。
実際に顔を上げたり下げたりして、まずはリアルな距離感を掴みましょう。

目で文字を追いながら読むにしても、文字の向こう側に水底を見たり、上の方の太陽や月の光を感じます。自然と立体感がある読みになっていきます。

より高度になっていくと、時には兄の蟹の目線で地語りを読むシーンも取り入れていくと、同じ地語りでも変化が出てきます。

水の底は基本的に静かです。水面に近くなるほど流れや風の影響を受けて動きます。
そのイメージもしっかり思い浮かべて

「ゆらゆら」「ぼかぼか」などを表現していきます。

【そのほか】
クラムボンはなんだろう?という疑問には答えはありません。それでも、自分なりに考えてみると良いですね。なにも考えずに発する「クラムボン」は味気なく聴こえます。

カワセミのくだりはいかにドラマティックに表現できるか?聴かせどころです。
全体的にゆったりおだやかな文章なだけに、変化をつけて、聴き手を引き込むと「やまなし」の良さがより伝わるでしょう。

2021年11月28日(土)迷ナレーター達が紡ぐ朗読の世界にて 。Liveの音源をアップしています。
完成品ではありませんが、それはそれで良しと思っています。
なにか参考になれば幸いです。

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