比較思想的試論および神の自分語り

 哲学とは何か。私はいつも、哲学に規定はないと思っているが、一応の定義を試みなければならない。デカルトを例にとろう。デカルト的態度ということで私が言おうとするのは、すなわちデカルトのかの思惟において、徹底的に懐疑する方法的懐疑と、そこにおいて何かを掴まんとするその態度のことだ。永井均は『事典・哲学の木』の「哲学」の項目で、哲学する者だけが知る「友人」と「悲しみ」を語っているのだが、私はそのような意見に賛同する面がある。一方で同時に、私はデカルトを例に、哲学のそれだけでは済まされない側面も見る。デカルトは徹底的に「自ら」哲学した「自己」の人であったが、しかしデカルトが、或いはデカルトから、哲学ひいては近代自然哲学=近代科学は、大きな展開を得たはずである、という、そのような思想史的哲学(ヘーゲル、ニーチェ)も無視できない側面で、いわば展開可能性のあるものから展開を引き出してくる哲学というのはこれではないかと思うのである。
 哲学はこのように一例だけをとっても、とても容易に規定できないものであるということである。ひとまず何がしかおのずからに考えている人は皆哲学しているとしか言えないのではないか。

本題

 私は西洋哲学を学ぶ中で、或いは考えを進める中で、人類はどこまで行けるか?人は神にさえなろうとしているのではないか?と思うようになった次第である。ここでいう神とは、わかりやすく言えばアブラハムの宗教における父なる神、デウスのような超越的存在者である。あるいは内在的超越でもよい。人という存在者の地上における特異性と、未知の領域における類似の存在者の存在可能性。例えば、科学技術と言う言葉は、全知全能にうまく対応する。自然科学の隆盛をみるにつけ、物理=physicsがなにやらわけのわからないところまで行っているのを聞き及ぶにつけ、人類の能力への驚きを新たにするものである。
 さて、中国における道教には、その教団としての整備以前から神仙思想があったはずだが、神仙思想は不老長寿を求めた。俗説的には徐福の逸話にあるように、始皇帝も不老不死を求めたともいわれている。すなわち、ローマの皇帝たち、カエサルやアウグストゥスにはじまるようにたんに神格化されるだけではなく、中国の文字通りの皇帝は、この世にあってそのまま自分を神化しようとさえしていたのであるか。しかしここにおいてはあくまでも有限的存在者としての神になることであり、超越者には通じない。しかし神仙思想のような発想があったとするならば、あの古代ギリシアにおけるような合理性はないものの、なにか近代科学が神の如く自然を制御し始めたのと同じような発想が出てきてもおかしくなかったのではないかとおぼろげに思う。古代ギリシア。アリストテレスは、すべて人間は生まれつき知ることを欲すると言い、それとともに、目的論的に、テロスとして、不動の動者、すなわち、「安定」した「目的」であるところの、明らかにギリシア神話的でない「神」のような存在を立てたのであるが、これは、神を射程に入れている人類にとって非常に先駆的で重要な議論だと思う。
 フリードリヒ・ニーチェは神の死を宣告したが、もしかすると、神は復活しつつあるのではないか。そのことが私の、この小さな私の実存の問題と切り離せず、深刻な問題なのである。

 さて、私はこのように書いていたが、その「神」への志向というものは、恐らく古今東西遍くある人間の安定化欲求によるものだろう。人は人として不安定であったり政治的な闘争で常に権力関係の流動性に晒されていることに、傾向性として弱さを持つ。よって、「神」「楽園」「普遍」、このような言(ことば)で全てを終わらせようとする。そう書くと、終末論や末法思想なども見え透いた人為に適っているように思えてくる。それが「万物の終焉」であり、「絶滅」なのであろう。陳腐だ。
 私はつねに自らが愛するところのものごとを素直に愛するようにしている。想像力の貧困に喘ぐ私にとって、神や無は愛するに相応しくない。しかし自然はおのずからなるものでもあると同時に、おのずからのはたらきをnatureの力動として目に見えるかたちで顕示してくれるから好きだ。だから、私は自らの凄味をそのままチンポをぶっ立てるように自己顕示してくる男性的で益荒男ぶりのあるストレートな力能を愛する。その点では、「私はか弱い末人です」というような作品よりも、「俺はこれだけわかっているんだ」と訴えかけてくるような作風の方が好きである。しかし前者も、その頽落ぶりを、自信をもって描写していれば、それはそれで良き顕示ぶりであろう。私はだから、自然は反復はするがそれはいつ無常の風に攫われてもおかしくない反復だと考えており、しかしゆえにこそそんな自然に恋をするのである。だから、結論としては、私は人類にはいつか終わってほしいが、自然の自己展開は、少なくとも当分の間は引き続いて継起してほしい。以上。


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