見出し画像

フランスにいても感じる地方の強さ、故郷の大切さ

2022年8月初め。1年振りにフランス・パリから日本に帰ってきた「Restaurant TOYO」の中山豊光がさっそく向かったのは、東京・目黒。権之助坂から一本入った住宅街にある「きゅうこん」だ。

きゅうこんは、5月27日にオープンしたばかりの新店で、肉師®の山瀬健策がプロデュースし、「故郷・熊本を愛する男の焼肉レストラン」をコンセプトにしている。じつは中山と山瀬は、同じ熊本県菊池市出身の友人で、中山は新店のオープン祝いに帰国早々駆け付けたのだ。

中山自身も、今夏の帰国の目的のひとつに、故郷・熊本県でのレストランイベントの開催があった。パリで活躍するシェフと、日本で活躍する肉師®、TOYO JAPANの縁で出会った二人に故郷への思いを語ってもらった。

左が中山、右が山瀬。

故郷を離れてパリと東京
20年後にラーメン屋で出会う

きゅうこん」の開店おめでとうございます。「九州の魂」を略して、きゅうこんってすごくいいですよね。菊池渓谷をイメージしたという、焼肉店らしからぬ落ち着いたお店の空間もまたいいです。

ありがとうございます。TOYO JAPANのメンバーと一緒にいい店ができたと思います。

僕らの故郷の菊池市や熊本、九州の牛を中心にしているということだけど、日本のほかの産地と比べてどこが違うの? 熊本の黒毛和牛は、A3だけど味がしっかりあるように感じてるのはなぜだろう。

血統と農家の育て方ですよ。

それに焼肉という飲食業態は、導線(ロスが少ない業態であるの)がいいよね。

そうですね、焼肉に向かない部位も、煮込みにしたりしてコースの中に入れてぜんぶ使うようにしています。きゅうこんには、TOYO JAPANのセントラルキッチンが併設されているので、加工して商品化しやすいので助かってます。

――お二人は、菊池市にいた頃から面識はあったんですか?

僕は正確には、2005年に菊池市と合併した旧菊池郡泗水町(しすいまち)の生まれなので、菊池市の山瀬さんのことは知らなかったですよ。

そもそもトヨさんが5歳年上ですからね。トヨさんは大津産業高校(現・翔陽高等学校)でしたっけ?

そうそう。毎日10㎞の距離を自転車で通学してた(笑)。行きは山道で、帰りは下り坂道。部活は、体操やってみたけど、危ないからすぐにやめちゃった。

僕は熊本市内にある文徳高校の普通科。菊池から原チャリで1時間くらいかけて通ってたな。一応、進学クラスだったんですよ。

高校卒業後は、浪人して東京の予備校に通っていたんだけど、そこで遊びまくって二浪するという(笑)。これはまずいと思って二浪のときは北九州の予備校に通って、模試で日本一を取ったりもしたんですよ。そして、ようやく東京の早稲田大学に入学。ですから、高校卒業してから、菊池市を離れたんです。

僕が行っていた頃の大津産業高校には生活科があって、そこに通っていました。たいていの人は、地元の食品関係の企業の研究所に就職するんですが、食べるのが好きだったし、『料理天国』というテレビ番組も好きで観ていたこともあって、僕は調理師になりたいとずっと胸に秘めていたんです。

だけど、菊池にいてもどうやったら調理師になれるのかわからない。だって、フレンチやイタリアンのレストランなんてなかったし、どこの飲食店にいってもなぜか「エビマヨ」がある街でしたから(笑)。何も知らないながらに、「そうじゃないだろう、もっとおいしい料理が世の中にあるはずだ」と思っていました。

確かに、どこにいってもエビマヨありますよね(笑)。

調理師の専門学校に行きたいと親に話したら、「無遅刻無欠席だったら行ってもいい」と言われたので、絶対に休まなかったです。高校を卒業したら、上阪して辻調理師技術専門学校に入学したんです。専門学校を卒業したあとは、神戸のフランス料理店「ジャン・ムーラン」に勤めた後に、23歳でフランスに行くので、僕も高校卒業して以来、菊池で暮らしたことはないんです。

――東京とフランスで、ずいぶんと異なる道を歩んだ二人の人生が交わるのはいつだったんですか?

それは今でも覚えていますよ。2016年8月です。トヨさんが「Hope and Love」という被災地支援プロジェクトが企画した代官山ヒルサイドテラスでのチャリティーイベントに出演するために来日していたんですよ。

もうその時はすでにトヨさんは、「あのパリでフレンチレストランやって成功しててる!」っていう菊池市民の誇りで、僕が一方的にしている存在でした。そのイベントの前日の夜中2時頃、ラーメン屋さんにいるトヨさんを見かけたんです。そこで「菊池市の出身で」と声をかけさせてもらったんです。

熊本地震があった年だよね(2016年4月)。地震がひとつ僕たちの世代を結びつけたというか、日本に帰ってくると熊本に帰るようになったし、山瀬さんともいろいろなところで会うようになったんだよね。

どんなに素晴らしい街でも、
住む人たちはその素晴らしさに気づかない

フランスにいても思うけど、故郷が大事になっているなぁと思います。地方の方が強いですよ。

そうですよね。都会は集中しすぎていて、わけがわからなくなっている。朝、昼、晩、いつでも食べられるけど、田舎は、そうはいかない。食生活が違います。でも昔は、田舎にいても娯楽はないし、何もなくてね(笑)。

でもね、ほかの地域にはない菊池の魅力は、たくさんあるんですよ。たとえば東京とか県外からお客さんが来るときは、菊池渓谷に必ず連れていくんです。原生林と苔むした渓谷は、都会の人から見ると貴重に映ると思います

それに川の海苔が採れて、この川海苔は、初代肥後熊本藩主は、清正公で知られる加藤家でしたが、子どもの代で東北地方の庄内藩(現在の山形県の一部)に改易されるんですね。慣れ親しんだ国を一族が離れる際に、菊池渓谷でたべた海苔の味が忘れられないと書いていたりするんです。

南北朝時代には、後醍醐天皇の子どもの懐良親王が、南朝の征西大将軍として菊池市を拠点にして九州統一を果たしたりもしています。

菊池渓谷

――それは知りませんでした。歴史の中心に菊池市があった時代があったのですね。

そういうことって、市民はほとんど知らないというか、特別なことだと思っていないんですよね。フランスでもっとも知られている日本人の一人にセツコ・クロソフスカ=ド=ローラ(日本名:出田節子)さんがいらっしゃいます。20世紀のフランス現代アーティスト、バルテュスの妻だった方ですが、じつは菊池一族の末裔で、菊池市を訪れたこともあるんです。

セツコさんご自身も作品を制作されていて、シャガールやピカソなども手掛けた、ボルドーの五大シャトーのひとつ「ムートン・ロートシルト」のエチケット(ラベル)の絵を描かれたりしています。

じつはセツコさん、菊池市に作品を寄贈されているんですよ。菊池公園にある菊池夢美術館に展示されているのですが、たぶん多くの人たちは、そのことを知らないでしょうね。フランス人だったら驚くようなことなのに。

そこに住んでいると、当たり前すぎて、自分たちの街のすばらしさがわからなくなってくるんでしょうね。

そういう意味では、外を見てきた人たちが菊池に帰ってくるようなると変ってききますよね。

今「コントルノ食堂」をやっている菊池(健一郎)先輩が関西から2013年に帰ってきて、その少し前に「イルフォルノドーロ」の(原田)将和が帰ってきたり。じつは、菊池先輩は剣道部の2年先輩で、僕の2歳下が将和という関係なんですよ。「夢路」という和食屋さんは、菊池先輩の代の番長、神田(祐樹)先輩が地元に戻ってはじめたお店なんですよ。

それくらいから菊池市が変ってきたことを強く実感するように思います。

「コントルノ食堂」菊池健一郎氏。関西で腕を磨いた後、菊池市に帰って独立した。
京丹後市で武藤勝典氏が育てる「走る豚」はコントルノ食堂で食べられる。
コントルノ食堂。
菊池市と熊本市に「イルフォルノドーロ」を展開する原田将和氏。
ピザ窯で焼く本格ナポリピッツァや熊本県産の牛肉などが魅力。
熊本市内にある「イルフォルノドーロ」。

僕は、フランスにいる2017年に菊池市の親善大使になって。その頃から菊池さんや原田さんとも出会って、食事にも行かせてもらったら、どれを食べてもおいしくて、すごいなと思いましたよ。

今も菊池市の若い人たちは頑張っているんですよ。周辺も頑張っていて、たとえば、合志市のうさぎ農園は、おすすめです。自販機で野菜を売ったりおもしろいこともやっています。

都会とか田舎ではない
頑張っている人を応援したい

僕も山瀬さんも、菊池から早く出たくて出て行ったからね。

昔は、田んぼや畑で農薬使いまくっていて、近くを通るとむせ返るほどで、原付で走るのも目を開けられなくて辛かったくらい。お米も今はおいしいですけど、当時はおいしいとは思わなかった。温泉街も治安が良くなかったし。

僕は、熊本の県人会の集まりに顔を出すようになったらひょうなことから理事になって、地元に帰るようになったんです。それから、集まりがあると実家の山瀬牧場でもBBQをやっていたら、県外から帰ってきた人たちがすごくよろこんでくれたんですよ。そうすると親父たちもよろこぶわけです。

畜産をやっていると、消費者の顔は見えないのが普通でしたから。自分としても、家業を認めてもらえた気がしてうれしくもありました。

実家の山瀬牧場を案内する山瀬。
山瀬の実家、山瀬牧場で育つ牛。
初春の菊池市の風景。

僕も、はじめのころは九州の食材を使うとも思わなかったし、興味もなかったですよ。じっさい、フランスにいるから使えないというのもありますけどね。だけど、いろいろな生産者さんと出会って、その生き方を見て、地元で頑張っている人もいる。都会とか田舎とか、関係ないと思うようになりました。

それに、贔屓目なしに九州の食材は味が濃いと思う。

日本でフェアをするときは、とうぜん日本の食材を使うんですが、ヨーロッパのような食材の強さがないものが多いので、料理がうまくいかないことがあるんです。味がつけづらいんですよね。だけど、熊本をはじめ九州の食材は、ヨーロッパの食材に似ていて使いやすいんです。

――このあと熊本に帰って熊本食材のイベントがありますよね(8月に開催し終了)。

そうなんです。熊本市の江津湖近くにオープンしたばかりの一軒家の「神水茶寮」で、SDGsやフードロスをテーマにした「もったいなかレストラン」というイベントに参加する予定です。TOYO Tokyoの初代シェフの大森(雄哉)さんや、パリのTOYOで働いてくれたパティシエの平瀬(祥子)さんなど、13名の熊本ゆかりの料理人が参加したイベントなんです。県内の食材を使って、プロが必死にフードロスと戦うというようなイベントです。

僕も故郷に貢献したいと思っていて、拠点を東京から菊池市に戻そうと思っています。山瀬牧場で、羊を飼い始めているんです。九州ではあまりなじみがない養羊の文化を菊池市から発信していけたらと思っています。

僕たちのまわりの人間も、役職がついていろいろなことを前に進める力を持ち始めてきました。Factelier(ファクトリエ)というアパレルメーカーとコラボして、羊毛をつかった商品を作って、食肉だけではない羊文化を作っていこうとしていたり、羊牧場にキャンプ場を作ってテントサウナなんかもやりたいと思っています。

それは楽しみですね。菊池市産のラム肉は使ってみたいよ。

これからもトヨさんの力や、みんなの力をあわせて、故郷・菊池の魅力を発信して、地元に住む人たちにも地元の良さを再認識してもらえるようなことをしたいですよね。「ほら、こんなにすごい人たちが、菊池市を最高!っていっているんだぜ」って伝えたいです。

これからが本当に楽しみだね!

きゅうこんでの山瀬。

焼肉 きゅうこん
☎03-6910-4781
東京都目黒区目黒1-5-4 テルレ地下1階
営業時間 17:00〜23:00
LO22:00(コースLO21:00、ドリンクLO22:30)
定休日 不定休
席数 カウンター13席・テーブル席22席
アクセス 目黒駅西口から徒歩5分
(JR山手線、東急目黒線、東京メトロ南北線、都営三田線)
https://kyukon.tokyo/

TOYO JAPANオリジナルの「特製 冬のギフトBOX」では、Restaurant TOYO Tokyoの選べるケーキときゅうこん 肉師®︎山瀬氏特製のお肉惣菜をセットにしてギフトBOXで販売中です。

中山豊光|Toyomitsu Nakayama
1971年、熊本県菊池市(旧・菊池郡大津町)生まれ。地元の高校卒業後、大阪の料理専門学校に進む。 神戸のフランス料理店「ジャン・ムーラン」で修行を重ねる。 その後、‘94渡仏。フランスで料理人として働き「お前のスペシャリテは何か?」との問いをきっかけに、日本人として日本料理を勉強しようと決断。 1996パリの本格的な日本料理店「伊勢」で働き始め、厨房のトップを任される。「伊勢」の常連だった髙田賢三氏に手腕を認められ、 髙田賢三氏の専属料理人となる。 兼ねてから自分の店を出したいと考えていた中山豊光氏は、 2009年に「Restaurant TOYO」をパリにオープン。 店名はファーストネームから。 レストランの入り口には、髙田賢三氏自らが描いた中山シェフの肖像画が飾られている。 和食の影響を受けたフレンチをカウンタースタイルで提供。 お料理は新鮮な食材を使った上品な味付け。 一皿が少量で、品数多く楽しめるということから、女性やファッション業界の方にも人気。パリ内外のメディアにも取り上げられ、 予約が取りづらい名店として注目を集める。2018年3月に、「Restaurant TOYO Tokyo」がオープンした。

山瀬健策|Kensaku Yamase
1976年、熊本県生まれ。多彩なアプローチを用いて、お肉のおいしさを伝える“肉師”。牧場を営む両親の背中を見て育ち、自身も食材卸の会社を立ち上げる。自身の実家である”山瀬牧場”で育てられている「菊池産黒毛和牛」をはじめ、全国から厳選したお肉のおいしさを広めるべく、お肉のプロフェッショナルとして多方面で活躍している。

取材・文・撮影=江六前一郎

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?