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相互循環の可能性(前々説編)

前回は見える化しにくい楽しさについてお話しました。
今回は相互循環の可能性(前々説編)です。

私が競技者として活動していた1つの時代はビーチバレーでした。その時の貴重な体験のお話から。

ただただ自然児

幼少期の自然豊かな環境で「身体と動く楽しさ」や「自然と遊ぶ嬉しさ」を日々全開で過ごしてきた私にとって、身体や自然と自由自在に遊び、コミュニケーションを取ることは、当たり前の世界でした。当たり前だからこそ、一つの形として誰かにアウトプットしたり、自分の中で意図的に体現する事にあまり興味はありませんでした。

私が今こうやって発信をすることに興味を持てるのは、やっぱり「そうじゃない自分」も経験できたからだと思います。

自由自在が当たり前だったので、そうじゃない自分に直面した時のエラーっぷりと言ったら、凄かったです。今回記事に起こすことで、また一歩、別の視点からの貴重な体験と言えるようになりましたが、まぁ、俗にいう黒歴史的なお話です。


黒歴史①


ビーチバレーは当時の私からしたら最高の遊び場でした。自分が生まれ育った山奥とはまた違った、海という大自然の中でボールを追いかけてみんなと遊ぶ。走り回って、ジャンプして、転がって、砂だらけになれる。海に入って、岩の上でポカポカ日光浴。あー、書いてるだけで幸せです。

そんな折、多くのメディアと観客に囲まれて試合をする機会に恵まれました。

田舎といってもテレビが無かった訳ではないので、スポーツ観戦はしていましたが、自分がプレーをする側の想定なんて、実際は1度もしていなかったんでしょうね。「大自然の中で遊ぶ」と同じ感覚で、その日を迎えたのだと思います。

当時20歳は超えていたので、オリンピックをはじめ、競技者としてみんなが口にする「上を目指す的表現」は自分もしていたと思います。でも、業界の合言葉的に使っていたり、何かに向かって頑張る自分と周囲環境に充実感を得ていて、私がビーチバレーをやりたい動機とは、かなり違っていたのかもしれません。

そして、そんな機会に恵まれた私はどうなったか。。。文字通りの真っ白になりました。身体が何も動かない。こんなはずじゃ無いのに。もっと普段はできるのに。と感じている間にゲームセット。呆然です。
状況を冷静に言語化することしかできませんでしたね。なんとか思考で身体をぶら下げて歩いてた状態。もう身体と私があべこべ。


当時、嘘偽りなく「勝つこと、1つの結果を出すこと」を口にしていても、今までそのテーマでビーチバレーに関わっていなかったから、いざそんな場に立ってみたら、同じビーチバレーでも、空っぽだったんですよね。(面白いなぁ。)

メンタルタフネス

この様に「自分のパフォーマンスが予想外の状況で大きく左右される」という経験は様々な分野で、多くの方が経験されてきたと思います。だからよく耳にするようになったのが「メンタルタフネス(トレーニング)」という世界観。

メンタルに関しても、本当に色々な切り口があります。それこそ正解なんてなくて、私の中にもいくつもの表現方向があります。その中の1つです。

まずタフネスという言葉から想起されるのは、屈しない・強靭という世界観で「あらゆる状況を想定内に置ける自分」になるための経験値を、多方向から課すレッスンが多いと思います。

また、どんな状況でも自分の目指す方向がぶれない様に、目標をより鮮明に描いて、あらゆる場所に貼り付けてみたり、未来それが達成できた時に多くの存在と喜び、貢献している自分をイメージしてみたり、先の理想を強く強く植え付けます。私もそこそこやっていた時代があったと思います。


元気ってどういう状態?

さて、視点を身体に戻します。元気という状態についてです。私たちは内的要因・外的環境、その全てと関わり合った上で常にバランスをとっています。

そのさまざまな要因に影響されない存在ではなく、影響を受け合いながら「ある幅の範囲内で、不安定で、一定では無い状態」こそ、普通で元気な状態だと感じます。

身体と良好なコミュニケーションを持ち続けるためには、どんな非日常をも経験済みに置けるタフネスさではなく、目の前のどんな日常も未経験として受け入れ、身体とそのままを認識し続けられる柔軟さだと感じます。

その柔軟さを育む方法。
長くなってしまったので、次回そのお話しに入りましょう。

豊田玲子(遊びたい、身体大好き)
理学療法士 パーソナルトレーナー
2012 IFBB World Chanpionship Body Fitness 日本代表

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