【小説】真実

俺の高校以来の友人に、渡会わたらいという奴がいる。妙な話だが、彼はとても美人だ。美男子であるのは当然として、その仕草や目つき、声色など、昔からずっとどこかコケティッシュに思えるところがある。滑らかな白皙や綺麗に磨かれた爪、筋肉質ではあるがすらりとした肢体、少し長めのさらりとした黒髪、夏でも決して肌の出ない服装、彼の纏う特有の雰囲気は、そうした彼のあらゆる部位からごく仄かに分泌され続け、彼の周りの人間はみな何とはなしにその香りを嗅ぎ取ってはいたが、さりとて特段何があるわけでもなく、気のいい彼は大体いつもいくらかの男友達に囲まれて過ごしていた。

ところが、先日彼と二人で居酒屋に行った折、彼の口から思いがけない言葉を聞いた。二人とも酒に酔ってはいたが、あれは酔って口が滑ったという風ではなく、酒酔いに紅潮したままぐっと眉を顰めた彼の表情が脳裏に焼き付いている。
「もうそろそろお前には言っておきたいと思うんだけどさ」
「ん、何だい」
「僕、だいぶ前から心は女性みたいなんだよね」
いや、思いがけない言葉というと嘘になるだろうか。彼という人間の端々から漏れ出る女性性には俺も、彼の周りの人間もみな勘づいていたはずだ。しかし、いざ自分は女性なのだと言われると、不思議なもので吃驚した。今までずっと、彼は"そういう男"なのだと意識下で思っていたからかも知れない。
「え……そうなのかい」
「うん。そんなに意外でもないだろうけど」
そんなことはない、十二分に意外ではあったのだが、これ見よがしに驚くのも紳士的でない気がするし、かといって掛ける言葉が咄嗟には出てこないので、俺は平常心を装ってちょっと料理に箸をつけた。口にものを入れている間に次の台詞を思いつこうという、決死の英断である。
「……どのくらい前に気づいたんだい」
「中学生くらいだろうか。子供の時から何となく女友達の方が多かったし、僕ってどこか男子っぽくないなあとは思ってたけど、確信したのはやっぱり思春期のあたりだったな」
もう何を言っても失言になりそうで、まともに頭が働かなくなってきた。
「そうなのか。……親とかにはカミングアウトしたのか?」
「親には言ってない。まあ今更言う必要もないよ。というか、実はまだお前にしか話していない。一応、他言無用だよ」
「そうなのか。……まあ、お前昔から美人美人って言われてたし、誰に話してもびっくり大仰天ってわけでもなさそうだが」
割とびっくり大仰天している人間がここにいるのだが、余計なことは一旦考えないことにする。
「まあ、どうだろうね。僕って前からそんな風に見えてた?」
「いや、まあ……肌がキレイだとか言われてはいたけど」
「ハハ、別に男だってスキンケアくらいするだろう、今の時代」
それから、普段はやらないが一応化粧ができるとか、体育の授業の着替えは嫌だったけど慣れたとか、学ランは格好良かったので割と嫌いじゃなかったとか、だらだらと話して別れとなった。

家に帰り、万年床に胡座をかきながら、俺は独り冷や汗を垂らしていた。先刻の渡会のカミングアウト以来、妙な動悸がして止まない。渡会は、高校で出来た唯一の親友であり、今もこうして二人で飲める数少ない人間の一人だ。当然彼の人間性には少なからぬ好感を抱いており、一緒にいれば好ましく思う。それは彼の性別とは無関係なものだ。しかし、彼の内面が女性であると知った今、これまで当然のような顔をして俺の中に鎮座ましましていたこの友愛という感情が、突如として不気味に国籍不明な未確認飛行物体の如く思えてきた。やにわに宙へ浮き上がり、あっちへふらふらこっちへふらふら、虚しく踊ったかと思うと地に足をつける様子もない。俺の冷や汗は寝間着を通過し、俺の心の芯に冷たく語りかける。もはや言い逃れはできまい。どうやら俺は、渡会に恋心を抱いているようだ。今にして思えば、彼のしきりに唇を触る仕草にしろ、冗談を言うときにこちらの目をじっと見る癖にしろ、奇妙に艶めかしく官能的に思える。これまでは単に気の合う友人であったのが、心が女性だと知っただけで、かくもコペルニクス的転回にさらされるのは些か恥ずかしくも思うが、しかし俺の身体を冷やすこの禁忌の冷や汗が、精神的感涙こそが、事実を否応なきものにしている。こうなってしまえば、俺はもう走るしかない。渡会の滑らかな肌にすぐにでも触れたい。

それから、俺は以前にも増して渡会と会うようになった。昼間には喫茶店で、夜には居酒屋で、時には都会へ出向いたりもした。気の置けない親友と過ごす時間はいつも通り楽しかったが、今俺の心臓を焼く感情にはもはや別の何かが宿っている。自分が果たしてどこへ向かっているのか皆目見当もつかないが、渡会も真実を知っている俺と過ごすのは気分が落ち着くようで、やがて今まで見たことのなかった女装を俺に披露するようになり、都会へ出る時は化粧もしてくるようになった。予感はしていたが、彼のそうした装いは実に趣深く、俺の反応を伺ってはにかみながら男の口調で話す彼のロングスカート姿など、清少納言も天を仰いで失禁するであろうほどの絶景であり、俺の薄汚い狂気はたちまちのうちに飼い慣らされ、次々襲い来る止め処ない悦びに、俺の脳みそはどうにか固形を保ってぷるぷると震えている始末であった。

とはいえ、こんな風に脳みそを溶かしているのは俺の方だけだ。渡会はと言うと、格好こそ変わったが仕草も言動も今まで通りである。いや、今まで通りだからこそ、今まで通りに魅力的に見えているのかも知れないが──。かくして半年が過ぎ、その間俺は恋人も作らずバカみたいに男友達の気を惹こうと虚しい片想いをしている。もう知らないやい。目の前に可愛い子ちゃんがいるのに追っかけないで、何が男だい。追っかけ続けて畜生道に堕ちたとして、そんなの今の俺の知ったことじゃないやい。

ところで、渡会は高校時代に女どもからかなり人気があった。先日彼と飲んだ折、高校の頃の話に花が咲いた。
「渡会、2年生くらいの時だったか? 立て続けに女子から言い寄られていた時期があったな」
「ハハ、まあ僕は部活に女子も多かったしね」
「みんな振っちゃうなんて大した奥手だと思っていたが、お前からしたら全然嬉しくもなかったんだろうね、今にして思えば」
渡会は苦笑した。
「いやあ、彼女らは大したものだよ。正直言って辟易したね。あの子らはさ、僕の中性的なところを、あくまで異性として魅力的に思っていたんだぜ? 僕のことを、他の男どもより幾分か清潔な男だと思ってたんだ。たまったものじゃないよ。僕の方は彼女らと対等な心を持っていたのに、彼女らの方でそれを勝手に付加価値に貶めてしまうんだ」
「そんなものかね。少し悪意的に過ぎる解釈なんじゃないかい?」
「実際に彼女らと話をして分かったのさ。彼女らは、僕を見るときにまず『男』として見ている。その後で、どんな男なのか品定めしているだけに過ぎない。出発地点が『男』なんだから、男でも女でもない僕っていう人間そのものは、あの子らの目には見えてないのさ。僕みたいに女を好きにならない人が好きならさ、初めから女の子と付き合えばいいんだよ」
「ああ、やっぱりお前は女は好きにならないんだな」
すると、渡会はむっとした様子で言った。
「それはそうだよ、同性なんだから。お前だっていきなり男から言い寄られたら気色悪いだろう」
「まあ、確かに気色悪いだろうな……」
そう言った瞬間、渡会が一瞬だけばつの悪そうな表情を見せた。しまった、失言だったか。
「ああ、気色悪いというのは、その、お前が気色悪いということではなくて……お前はもう女性だと思ってるから……」
すると、渡会は顔を伏せて悲しげにはにかんだ。彼の頬に薄らと見えた笑窪が妙に妖艶で、俺は背筋が寒くなった。
「え、何だい今更。僕らは男友達だろうが」
「いや、ああ、悪い……気を悪くさせたか」
「ううん、別にそういう訳ではない。僕はもう女なのか? お前の中で」
「いや、何と言うか……どうなんだろう。少なくとも高校生の頃とは違うよ、感覚が」
「どう違うの?」
「え? ううん……何と言うか、半年前にカミングアウトされて以来、普通に女性の格好してても違和感とか無いし、むしろしっくりくるというか……やっぱり女性なんだなあと思って……」
俺は何を言っているんだろう? 何やら肺の底が黒々とした炎に焼かれるような息苦しさを感じ、俺はたどたどしく吃りがちに弁明した。そんな俺を、渡会はほろ酔いに紅潮した頬に杖付きながらまじまじと見ていた。無表情の癖して、どこか儚げな危うい雰囲気を放っていた。
「そりゃそうさ、僕は自分を女だと思ってるもの。お前にとってはどうなのさ。お前の中で僕はちゃんと異性なの?」
「う、うん……そう思ってる」
「僕に言い寄られたら嫌?」
一体何が起きているのか、俺は酒を飲み過ぎて馬鹿げた夢を見ているのではないか? 今頃本当の俺は酔い潰れており、無様にも渡会に背負われて自宅に運ばれ、汚い万年床にどかっと今まさに投げ捨てられたところなのではないか? しかし目の前の渡会は、今やその白皙を林檎のように赤く染め、両の眼で俺の視線をぐっと捉えて黙っている。薄い唇をきっと結んだ真剣な表情はどこか悲壮で、ロングスカートの裾をぎゅっと握りしめたまま、こちらを見つめて少し涙ぐんでいるようにも見える。
「はあ。こんなこと聞くんじゃなかった」
天を仰ぎながら、渡会が小さく呟いた。その声は震えている。俺はもはや取り返しがつかず、半ば叫ぶかの如く言った。
「い、嫌な訳が無いだろう。俺はお前が好きだぞ。女性として……人間として、一番心惹かれているのがお前だ!」
俺は自分の可愛い脳みそが、ぷるぷると震えながらいきなり沸騰して頭蓋を突き破り、醜い脳漿をぶちまけて爆裂するのを感じた。遂にやった! やってしまった! さあ、後は野となれ山となれ。俺の心臓よ、今ここで破れてくれるな! 渡会の白い肌に触れるまで、今俺は死ぬ訳にはいかない。
「…………嘘だろう?」
渡会はもはや涙を流し、耳の先まで真っ赤に染めあげている。
「冗談でそんなことを宣う紳士がいるか。恥をかかせるな、本気だ」
「僕、男なんだぜ」
「俺は男ではなくお前に恋したのだ」
彼はしばらくぼうっとし、徐に席を立ち上がったかと思うと、俺の隣の席に座ってきた。
「………ちょっと、肩貸して」
そのまま俺の腕に抱きつき、肩に頭を乗せて目を瞑りながら泣いた。

この時である。俺は一つの残酷な気づきを得た。あれほど触れたいと思っていた渡会の肌は、硬く筋肉質な男の肌であった。化粧で端正に取り繕った彼の顔貌も、間近で見れば頬骨高く、圧力のある男の顔立ちだ。俺の腕に抱きついている渡会の華奢な肉体は、俺がぼんやりと想像していたようなふくよかで曲線的なものとは程遠い。柔らかさはなく、安らぎもない。それは俺にとって何らの魅力でもない、ただの筋張った男の肉体であった。

しかし、俺の腕を抱きながら涙を流している彼の姿を見て、俺もまた泣いた。俺は彼を愛そうと思った。今この瞬間、彼のごつごつした肉体に触れたこの瞬間、初めてそう思ったのである。これから先、俺たちの前に山積するであろう苦難の数々を、俺ははっきりと予感した。この選択が何らかの意味での破滅を導くかも知れないとすら思った。だが、それが何だというのだろう。俺は今、小さな背中を俺に委ねて泣いているこの男が愛おしくてならない。ただそれだけだ。ただそれだけなのだ。

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