『全共闘以後』刊行記念トークライブin東京(2018.9.18)その6

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 「その5」から続いて、これで完結〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 2018年9月に刊行された外山の新著『全共闘以後』の販促トーク・イベントのテープ起こしである。刊行まもない2018年9月18日におこなわれ、紙版『人民の敵』第47号に掲載された。
 会場は東京・高円寺のイベント・スペース「パンディット」で、それぞれ『全共闘以後』の主要登場人物でもある中川文人氏(半ば司会役)、佐藤悟志氏、山本夜羽音氏も登壇している。
 このさらに約2週間後に同じく『全共闘以後』刊行記念イベントとして京都大学熊野寮でおこなわれた、絓秀実氏との公開対談のテープ起こしと併せてお読みいただきたい。

 ( )内は紙版『人民の敵』掲載時にもともとあった註、[ ]内は今回入れた註である。他のコンテンツもそうだが、[ ]部分は料金設定(原稿用紙1枚分10円)に際して算入していない。
 第6部は原稿用紙換算20枚分、うち冒頭7枚分は無料でも読める。ただし料金設定はその7枚分も含む。

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 党派離脱は大変なのに秋の嵐の太田リョウは……

外山 ……また会場からの質問とか、受け付けましょう。

中川 誰か訊きたいことある人、いますか? ダメですよ、ちゃんと人前で喋るようにならないとね。おっ、じゃあそちらの……内灘さん「その1」にも〝砂川さん〟が登場したように、左翼運動史上の有名な闘争の名前から取って、中川氏がテキトーに呼んでいるのだと思われる]。

観客 セクトとノンセクトというものがあり、セクトには厳しい戒律があって、いったん入ると簡単には抜けられなかったりするんでしょ?

中川 そう云われますね。それがセクトというものですよ。

観客 革命を目指すためには、そういった戒律はやっぱり必要になるんでしょうか?

中川 そりゃあ国家権力と戦争をやるわけですから、軍隊のような規律がないと保ちませんよね。ぼくらはノンセクトだったけど、軍隊のような規律を持ってる人たちと戦争をやることになったので、ぼくらも軍隊のような規律を持った。でなきゃ、どうしようもないですから。

観客 それは分かりますが、そういった規律と、1度入ると抜けられないとか、財産をふんだくられるというのは、また違う話ですよね。

中川 中核派はそういうことをやる組織でした。で、ぼくは今回の本を読んで、これは昔の中核派の人たちに教えてあげたかったなあと思ったことが1つあったんです。太田リョウさんが警察署で警官をぶん殴って、その場で逮捕されますよね。そしたら中核派は、もうお前の面倒は見きれんと云って、太田さんをクビにしたっていう。これは当時もし知ってれば、教えてあげたかった。
 中核派の人たちというのは、まず親を泣かせて中核派に入ってくるわけです。要はみんな、〝出家〟するんだ。もう2度と親には会えないかもしれない、兄弟姉妹とも今生の別れだと覚悟して、中核派の活動家になる。だけどそのうち内情が分かってきて、こんな組織だとは思わなかった、ということで辞めたくなる。しかし中核派を辞めるには、〝手切れ金〟が必要なんですよ。実家がお金持ちだった場合には、何千万という額を親にせびりに行かなきゃいけない。それぞれの実家の財政事情を把握して、これだけ払えば辞めさせてやるっていう、ボコ・ハラムみたいなことをやってるんだ(笑)。

外山 つまり中川さんが云わんとしてるのは、太田君のようにやれば向こうから辞めさせてくれるんだ、と(笑)。

中川 そうそうそう!

外山 中核派に、コイツはもう手に負えない、と思わせるぐらいのことをやれば……。

中川 〝クビ〟だったら、タダで辞めさせてもらえるんだからさ(笑)。

外山 読んでない人には、何の話をしてるのかまったく分からないでしょうけど、太田リョウという後期・秋の嵐の中心人物になる人がいて、90年4月1日に〝エイプリル・フール決起〟と称して……もうちょっと手前から説明が必要だな。中核派の女性活動家が、警察による露骨なイヤガラセとして、セクハラまがいというか、ほとんど強制猥褻まがいの取調べを受けるという事件があったんです。それに対する抗議の意味の行動なんですよ。
 太田君が単身、警視庁に乗り込んで、ロビーで「ここで一番エラい奴を出せ!」ってわめき散らして騒ぐ。当然すぐに警官たちがワラワラと集まってきて、そのうちの1人が、バカにしきった口調で「オレが一番エラい」と云ったんだって。そしたら太田君は、そいつをいきなりボコーンって殴り飛ばして……(笑)。もちろんその場で取り押さえられてお縄になるの。それが、前年の昭和天皇の死去直後の弾圧以来、ずっと沈滞してた秋の嵐の活動を、一気に盛り返すターニング・ポイントにもなったような事件なんだけどさ(笑)。

中川 で、中核派の大幹部が直々に留置場だか拘置所だかに面会に来て、〝もうお前の面倒は見切れん〟という場面になる、と。なるほど、こういう辞め方があったのかと感心しましたよ(笑)。
 ほんとに可哀想なんだ、中核派の連中は。60年代ならまだしも、70年代、80年代に中核派に入るような人たちってのは、みんな基本的にはすごくマジメな人たちなんだから。親に泣かれながら、断腸の思いで〝出家〟して、中核派の人になる。あれだけ親を泣かせて入ったんだから、何としてでも革命を成就して、償わなきゃいけないと思い詰めてるわけです。ところが、実際に入ってそこで何年も活動してれば、こんなんで革命なんか起こせるわけないし、幹部連中はセクハラ天国みたいになってるし(笑)、お金に汚くて、裏金をもらって学生たちの闘争を収束させたりするし(笑)、もう辞めたいと思うようになりますよ。しかし実際に辞めるとなると、またそれで親がお金をむしり取られる。またオレは親を泣かさなければいけないのか、と悩んで中核派に踏みとどまってる人は多いんです。それを太田さんは……。

外山 超がつく大幹部が直々に面会に来て、向こうから辞めてくれと云い出すんだもんね。

佐藤 これは中核派に限らず、他の暴力的な組織の場合にも応用ができると思う(笑)。

山本 だけど現在の中核派の学生組織の、あのノリの軽さを見てると、おそらく今の中核派って、もうそういうことはやってないんじゃない?

中川 どうも90年代半ばぐらいの時点で、基本的には〝辞めたい奴はもう辞めていい〟ってことになったみたいよ。中核派を辞めた元エラい人にそう聞いた。

山本 それもまた太田リョウの一件が、1つの契機なんじゃないかという気がする。〝クビになる〟っていう、そういう辞め方があるのかと気づかせることにもなったんじゃないか、と。

中川 革命的な辞め方だよ。しかも権力を殴ってクビになるというのは、何の後ろめたさもないじゃん(笑)。


 『全共闘以後』でカットした秋の嵐の面白裁判闘争

山本 さらに云えば、あの時の太田リョウには、クビになったんだから中核派による救援は一切ないでしょ。そこで秋の嵐の連中で寄ってたかって太田リョウの救援をやる。で、〝エド・サリバン・ショー〟の駄洒落で〝大江戸裁判ショー〟ってビラを出したりして……。

外山 その話を、面白いからメチャクチャ書きたかったんだけど、枚数を減らすために泣く泣くカットしたんですよ。つまりその事件での太田君の裁判というのは、何ら争う余地がないんです。せいぜい情状面でいろいろ云って、ちょっと減軽してくださいよ、ってぐらいしか弁護の余地もない。現行犯で、目撃者は大勢いて、しかも全員警官だっていう(笑)。
 だから弁護士が、支援で動いてる秋の嵐の人たちに、「今回はとくに争う余地のない事件だし、せいぜい〝裁判〟というものを楽しんでください」などという不用意な発言をしてしまうんだ。弁護士の発言の真意というのは例えば、〝なるほど、裁判というのはこんなふうに進行するのか〟とか、そういう〝社会勉強〟的な感じで〝楽しんでください〟ということだったはずなんだけど、秋の嵐の人たちは字面どおり真に受けちゃって、〝裁判闘争をどうやって面白くするか〟って方向に走っちゃうんですね(笑)。

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