『全共闘以後』刊行記念トークライブin東京(2018.9.18)その5

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 「その4」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 2018年9月に刊行された外山の新著『全共闘以後』の販促トーク・イベントのテープ起こしである。刊行まもない2018年9月18日におこなわれ、紙版『人民の敵』第47号に掲載された。
 会場は東京・高円寺のイベント・スペース「パンディット」で、それぞれ『全共闘以後』の主要登場人物でもある中川文人氏(半ば司会役)、佐藤悟志氏、山本夜羽音氏も登壇している。
 このさらに約2週間後に同じく『全共闘以後』刊行記念イベントとして京都大学熊野寮でおこなわれた、絓秀実氏との公開対談のテープ起こしと併せてお読みいただきたい。

 ( )内は紙版『人民の敵』掲載時にもともとあった註、[ ]内は今回入れた註である。他のコンテンツもそうだが、[ ]部分は料金設定(原稿用紙1枚分10円)に際して算入していない。
 第5部は原稿用紙換算22枚分、うち冒頭8枚分は無料でも読める。ただし料金設定はその8枚分も含む。

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 ドブネズミ呼ばわりを受け入れようとしない中川氏

外山 では後半を。えー、中川さんは冒頭から、自分たちは決して〝ドブネズミ系〟ではない、と云い張ってましたが……。

中川 何が違うって、我々は共産主義者なんだから。

外山 またまた(笑)。

中川 ぼくもそうだしジョー・マジャール君もそうだし、他に何人かいた幹部連中もみんな共産主義者でしたよ。

外山 だけどおそらく世間の大多数の共産主義者たちからは、〝それは共産主義ではない〟と云われるような〝共産主義〟でしょ?(笑)

中川 そりゃ云われるけど……(笑)。一応そういう高邁な理想のもとで、たしかにくだらないことをやってる自覚はありましたけどね。

外山 その点は我々だってそうですよ(笑)。

中川 バカなことをやってるように見えるかもしれないけど、実は目指してるところはスゴいんだぞ、というのが我々にはあったんです。

外山 我々もそうだったもん。

佐藤 〝共産主義者〟を自称するドブネズミと、〝ドブネズミ〟を自称する共産主義者とでは、何か違うの?(笑)

中川 いやいや、そういう話ではなくてだな……。

外山 ぼくの整理では、〝68年〟の全共闘運動がいったん、〝党派〟とか〝権力奪取〟型の革命路線というものを全面否定するところまで行き着いちゃったわけです。〝権力奪取〟の否定というのは、〝レーニンからグラムシへ〟、〝機動戦から陣地戦へ〟と云われるような話ね。要は、〝ノンセクト〟こそが正しいんだ、〝党派〟なんてものは絶対悪なんだ、ということになった。しかしそれから50年を経てはっきりしたことは、ノンセクトは党派にも勝てないし、まして国家権力になんか勝てるわけないってことですよ。

中川 そうそうそう。やっぱりそういう問題が出てくるんです。

外山 さらに云えばアメリカ帝国主義になんか、どう転んでも勝てないに決まってます。

中川 そこです。そこが重要。

外山 したがって、全共闘的なものによる既成諸党派への批判を踏まえた上で、従来のそれらとは違う〝党派〟なり〝軍〟なりを、いかに再建しうるのかということが、〝68年〟以降、唯一考えるに値するテーマなんですよ。そのことに〝68年〟当時の段階で早くも気づいて、何がしかの実践に踏み出していたのが千坂さんたちの〝アナキスト党〟であり、ドブネズミ世代の中では、おそらく中川さんたちの一派だけが、どこまで自覚的であったかはともかく、そこに実践的に踏み込んでいたんだろう、というふうに今のぼくは考えています。


 ドブネズミ系特有の面白ヘリクツを開陳する中川氏

中川 そこらへんに関して、かつてジョー・マジャールって奴が、面白いことを云ってました。88年の10月に、法政大学のいわゆる正統派ノンセクトが、セクトの暴力・圧力によって壊滅するわけですね。それを見て、まずそもそもそういう対立はなぜ生じたのか、そしてなぜノンセクト側は負けることになったのか、ぼくらは勉強会のようなことをやって、議論したんです。
 まずセクトとノンセクトは何が違うのか? まず目標・目的が違う、と。セクトの目標は〝革命〟、それに対して我々の目標は具体的な個別課題なんです。セクトも三里塚闘争をはじめとして、いろんな個別課題の運動をやるけど、それらにどの程度の関わりを持つか、どこまでやるか、それは究極の目標である〝革命〟の役に立つかどうかで判断されます。我々ノンセクトというのは、1つ1つの課題にどこまで肉薄できるかという……。

外山 それは法大の場合は〝学館〟を守るということになるわけですね。

中川 学館もそうだし、個別課題はいろいろあります。とにかく問題の立て方が違うし、個々の運動の評価基準も違う。それから組織形態もまったく違うよね。我々はみんなで話し合って、決まった方針のもとに、できることをできる範囲でやるだけです。セクトの場合は、〝これをやる〟ということが上で決められて、〝やれ〟と上から云われるわけでしょ。さまざまな面で、全然違うわけだ。
 この両者がぶつかって、どっちが勝つかと云われれば、そんなことは火を見るよりも明らかですよ。だってそもそも、こっちには負い目があるんだもん。新左翼のノンセクトになるような人というのは、実はみんな〝革命〟に憧れてます。みんな、〝革命〟という言葉に胸が震えるからこそ、黒ヘルをかぶったりするんです。にも関わらず自分は〝ノンセクト〟どまりだ、という負い目がある。だから中核や革マルがどれだけバカなことを云ってたとしても、〝しかしあいつらは覚悟が違う〟ってことで、負い目があるんだよ。

外山 あの人たちは〝本職〟である、と。あっちはヤクザでこっちはチンピラだ、というような意識ですね。

中川 そういうこと。〝しょせんぼくたちはアマチュアでございますから〟っていう、まあ、逃げもあるし、そんな両者がぶつかったら絶対に負けるでしょう。実際、88年10月にぶつかって負けました、潰されてしまいました、と。さらにそれ以前、83年の〝3・8分裂〟(三里塚闘争の現地農民組織の分裂)の時にも衝突があって、もちろん負けてます。その5年前の78年にも同じ理由で負けてます。じゃあどうすればいいのかってことで、みんなで話し合うんだけど、これはもう勝ちようがないって結論になりつつあったんです。
 そこでジョー・マジャール君が面白いことを云った。「要するにオレたちは〝個別課題に徹底的にこだわる〟という運動をやる側なんだよね?」とジョーが訊くから、「うん、そうだよ」と答えたんだ。するとジョーは、「じゃあ中川、個別課題を〝世界革命〟にしよう!」って。それで我々は、〝世界革命を目指す黒ヘル〟になったわけですね。そうすることによって、まず我々の側は〝革命〟を目指してないっていう負い目がなくなる。かつ、そういう運動にみんなが好きなように関われる。シンパ層の部分の人たちも喜ぶんです。〝学館自主管理〟のために逮捕されるなんて、ショボい。しかし〝世界革命〟の役に立てるんならオレにも何か任務を与えろ、っていう奴がどんどん現れるんだ(笑)。やっぱり〝世界革命〟の旗は偉大です。

外山 でもそんなふうにさ、〝面白いレトリック〟を駆使することで状況を切り拓こうとするところ、しかもそれで実際に状況を切り拓いてみせるところが、典型的に〝ドブネズミ〟っぽいんです(笑)。

中川 いやいや、〝面白〟とかではないんだ。〝世界革命〟を掲げるなんて、一番〝正攻法〟でしょう(笑)。


 話せば話すほど〝ドブネズミ〟ノリを露呈する中川氏

外山 ぼくが思うに、中川さんたちがやっていたのは〝ドブネズミ党〟だったんだな、と。〝党〟というか、〝ドブネズミ軍〟ですね。

中川 いやいやいや、ただ純粋に世界革命を目指してたの!(笑) そうなると〝学生会館〟の位置づけも変わるんです。それまでは、そもそも学館の完全自主管理というのは全共闘運動が勝ち取ったものだし、つまり〝全共闘運動が物質化したものである〟とか何とか、ややこしいことを云ってたんだよ。現実には〝フリースペース運動〟とかと似通っちゃうんだけど、ただの〝フリースペース〟ではイカンので、学外の運動とのつながりが大事なんだとか、全共闘のバリケードでは〝自主講座〟なんてことをやってたじゃないか、そういうものを我々も再建しなきゃいけないとか、難しい議論をしてたのが、ジョー・マジャール君が哲学会委員長になって、〝学館は世界革命の拠点である〟と宣言した途端に、すべてが分かりやすくなったんですね。

外山 要は〝面白理論〟で士気を高めてるわけじゃないですか(笑)。

中川 これが〝国際根拠地〟ってやつか、と。赤軍派が獲得しえなかったものを、オレたちはついに……というかオレたちの目の前に存在してたのか、と(笑)。

佐藤 ほとんど〝一休さん〟だな。

外山 うん、ドブネズミ派の最も分かりやすい共通項っていうのは、そういう〝とんち〟の才能だもん(笑)。

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