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知っても知らなくても

こんにちは。日曜日、いかがお過ごしですか。

新しい年度が始まり環境の変化に疲れ果て、土曜日は泥のように眠っていたけれど、今日は近所を散歩しながら下の娘の自転車練習につきあいました。

さて、春なので今日は出会いと別れについて語りたいです。私は以前、noteとTwitterにこんなことを書きました。↓

いつか別れが来るのなら、いっそ深く交わらなくて良いから、ほどほどの距離で腐れ縁を続けたい。そのくらい誰かを思うことについて書きたかったのでした。
必ず別れが来ることを踏まえた上での叶わぬ願いです。ほどほどの距離で腐れ縁を狙ったとしても、どんな腐れ縁にも別れは必ずやってくる。

別れが来た時は、ほどほどの距離だったことを後悔するのかしら。どうせ別れがくるのなら、中身の濃い時間を過ごした方が良かったかもしれない。でも、近づいた時に相手が嫌だと思ったら。つかず離れずくらいが仲良くやれたかもしれないのに。そんなことを考える時は別れの気配を感じ始める頃でしょうか。

例えば、あと1年しかその腐れ縁が続かないことが分かっていたとして。
別れはたいてい突然だけれど、もしも期限を知ることができたとしたら。
残りの1年間を人はどのように過ごすのでしょうか。

早々に大事に思っていたことを伝えて残りの1年間を濃い日々にしていくのか、それとも今まで通り穏やかな関係をつづけて、最後の日に後悔しないように大事に思っていたことを伝えるのか。期限がわかっていたとしても変わらぬ距離で接しながら最後を迎えるのか。

具体的な別れの期限が決まっていることって、現実には少ないです。別れは突然訪れます。さようならを言える機会すらない別れもあります。だから世間ではそんな物語が人の心をつかんでいるのかもしれません。

もし具体的な別れの期限が決まっていたら。
それに近いことが昨年の夏にありました。

昨年夏に夫は心臓の手術をしました。

夫のことについては、以下の記事とマガジンにまとめております。



電車で行こう。|戸山 文 #note https://note.com/toyamahumi/m/mded2058ec2bd



コロナで延期するものと思っていた心臓の治療が、主治医の先生のスケジュールなど諸々あり、2か月後にしましょうととんとん拍子に決まってしまったのです。

「しまったのです」と書いたのは、回復を願う反面、数パーセントの死亡例があるからです。
最近は技術が高くなっていて、この治療を受ける人の中では夫は年齢的に若い方であることを考えると確率はさらに低くなる。と、説明されても死亡例がある以上、不安は付きまといました。
期限のわかっている別れの例に、闘病する恋人との残された日々を描いた作品があるけれど、自分と夫も同じように過ごすのだろうか。そんな妄想で現実逃避しながら、その日は家に帰りました。

実際、そんなドラマチックな日々を過ごしたかと言えばそうではなく、やはり物語と現実は違うというのが結論です。

夫と向き合いたい気持ちはあるけれど、普段通り仕事も子育ても家事もある。
もともとの生活が、慌ただしく夕方帰宅し子供達のお風呂とご飯と宿題を見たら気絶したように21時に就寝するだけで体力の限界でした。

家族で思い出作りをする余裕は我が家にはなかった。
私の感情は不安定になり、「残された時間を幸せに過ごそう」なんて余裕も、強靭なメンタルもなく、ただどす黒い思いが渦巻き、その日までのカウントダウンが続きました。
心が内に籠もって何もできない。無気力です。

夫にも思うところはあっただろうけれど、平常心を保つのみ。心配だと話せば現実になりそうで、日々が淡々と過ぎました。

手術日が近づいたので入院に必要な物を慌てて揃え、その合間に「僕が死んじゃったら、いくらか保険金が下りるから新築のマンションでも買う時の頭金にすると良いよ」なんて言われます。「もし、今妊娠したら、私が一人で3人育てるのかしら」なんて私も言います。

私には手術の前後に大きめの仕事があったのですが「もし、夫の身に何かあったらこの日は出勤できません。すみません」と上司に前もって言っておくなど、すこぶる現実的な夏が過ぎました。

コロナのことがあり、見舞いや付き添いはできなかったので私が病院に行ったのは、術前の説明の時と手術の当日のみです。
手術当日は指定された時間に行けば術前の夫に会えたのですが、その日の朝も学童と保育園に送っていったため、タッチの差で夫を見送ることもできず。その時は少し泣きました。

長くなるので、手術のことは別の機会に書きますが、結論として「別れまでの期限がわかっていても私の場合は」充実した日々もなく、ロマンチックな別れもできなかった。
それどころか、別れの恐ろしさに夫と向き合うこともできず、内に閉じこもってしまいました。

期限が1年間なら。私に行動力とタフなメンタルがあったなら。もしかしたら結果は違ったかもしれませんが、私は相手に配慮もせず、深夜に夫にぐじゃぐじゃに泣きついたのがせいぜいでした。夫にしたら迷惑だったろうに。

幸い夫の手術は成功し、数日の入院の後に帰ってきました。私にとって別れの日は具体的に知っても知らなくてもできることは同じなので、これからもできるだけ仲良く過ごしたいです。

退院後、家族で散歩をしていたら夫の腕に大きなトンボがとまったので写真に撮りました。
当時は夫が無事に帰ってきたことが嬉しく、それをスマホの待受にしました。
夫の存在のありがたみはその時よりも薄れつつありますが、スマホを開きギンヤンマのとまった夫の写真を見るにつけ「あの時、別れていたかもしれない」と思い出しつつ、バタバタ暮らしています。

結末が惚気話になりそうなので、冒頭のつぶやきは夫のことを書いたものではないことを述べ(誰がモデルでもない)強がっておきます。


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