のりまき

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石井裕也監督「月」感想

 2016年障害者施設津久井やまゆり園で19人の重度障害者が殺された事件を描く映画。辺見庸の原作小説「月」を映画化したもの。  この映画はあまりいい作品ではないと思う。施設というシステムを描く以上、仕方のないことではあるが、この映画では、意志表出の困難な重度の障害当事者は、終始仕方なく山奥の施設でケアされるべき社会のお荷物というイメージでしか語られない。これまで自由意志や自己決定権を主張してきた当事者が見れば、怒りしかないだろう。この映画だけ見ていると障害者はかわいそうな存

    • 偶然と想像 第2話 扉は開けたままで

      偶然と想像 第2話 扉は開けたままで 濱口竜介監督の3本からなる短編集『偶然と想像』はすべて、偶然性とかつて深くつながった、あるいはこれから深くつながれるであろう関係性への希望を題材としている。 さて、偶然の一つの説明としては、因果と因果の交差点といえる。人間社会の水準に落とし込めば、テレオノミー(目的論的関連)とテレオノミーor因果現象の交差点である。例えば、スーパーの特売に行くために、外に出た瞬間、雨に見舞われるというのは、テレオノミー×因果現象の交差である。スーパー

      • 『MEMORIA』これはSF作品ではない

        アピチャッポン・ウィーラセタクン『MEMORIA』 衝撃の謎の宇宙船は隠喩だ  アピチャッポン監督の『MEMORIA』で最大の衝撃といえば、ラスト、森の中から謎の宇宙船が現れ、主人公ジェシカを襲っていた爆裂音の正体であったことが明かされたことだとだれもが思うだろう。だが、きっとそんなことはまったく重要でない。爆裂音の正体は宇宙船であったなどという答え合わせを監督が伝えたいわけでは毛頭ない。もちろん、この映画はSF作品ではない。  最も重要なシーンは、宇宙船が登場する前の

        • 『Coda あいのうた』ろう者を主題にしたのなら決定的問題がある

          『Coda あいのうた』はろう者の家族と健常者の娘の関係を主題とした点で非常に稀有で演出も素晴らしい作品だった。展開こそ簡単に読めるものの、演出が上手いので観客は飽きることなく楽しめる。しかし、全体的に素晴らしいがゆえに最後の結末にはがっかりした。   障害をもった人を取りあげる場合、健常者と一緒になら生きていけるというモチーフを描くことが常に重要だ。それが現実であり、その現実ふまえない映画は楽観的過ぎて現実を軽んじている。軽度の障害者はともかく、重度の障害者は介助を

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          自立障がい者を題材にした映画「こんな夜更けにバナナかよ」

          自立障がい者とその在宅介助ボランティアを題材にした映画がある。 2018年、前田哲監督、渡辺一史原作のノンフィクション小説を映画化した 「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」である。 筋ジストロフィーを患い、首と手だけしか動かせない自立障がい者の「鹿野」を大泉洋さんが演じる。 鹿野はとにかくわがままな人で、介助ボランティアに深夜にバナナが食べたいと買いにいかせるほど。だからこんなタイトルなのだ。 私は自立障がい者の介助をしているが、この映画で描かれている介助の風景はほ

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          超簡略 前期後期ヴィトゲンシュタイン

          ヴィトゲンシュタインの哲学は、前期と後期に分けられます。 前期は写像理論(論理実証主義)。後期は言語ゲーム。 彼は、前期の理論を「すべて間違っていた」として全撤回、後期の言語ゲームを展開する。これは本当に衝撃的なことであります。 前期。写像理論  写像理論は ⑴世界は、要素に分けることで、分析可能である        ⑵言語も、要素に分けることで、分析可能である。        ⑶世界と言語は完璧に一対一で対応する(写像関係にある)        ⑷言語で表せないも

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