自立障がい者を題材にした映画「こんな夜更けにバナナかよ」

自立障がい者とその在宅介助ボランティアを題材にした映画がある。
2018年、前田哲監督、渡辺一史原作のノンフィクション小説を映画化した
「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」である。

筋ジストロフィーを患い、首と手だけしか動かせない自立障がい者の「鹿野」を大泉洋さんが演じる。

鹿野はとにかくわがままな人で、介助ボランティアに深夜にバナナが食べたいと買いにいかせるほど。だからこんなタイトルなのだ。

私は自立障がい者の介助をしているが、この映画で描かれている介助の風景はほとんどリアルなものだと感心した。これを見れば、自立障がい者の介助とは、どういうものなのかよくわかると思う。障がい者と向き合うことで直面する出来事の多くのモチーフがこの映画には詰め込まれている。

普段は母親をうっとおしく思っている鹿野の、母親への本当の気持ちがわかるシーンがある。やはりここでも自分のことで育ててくれた親にこれ以上迷惑をかけたくないという自立障がい者の気持ちが表されている。
それは鹿野のように会話ができる障がい者に限った話ではない。会話ができず、コミュニケーションが難しい障がい者でも、ぼくらの話す言葉はちゃんとわかっているのだ。会話ができないから、この人には通じていないのだろうと勘違いしてはいけない。私の働いてる自立支援所でも、入所当初は全くコミュニケーションが取れず、会話にもならなかった障がい者が今では普通の人と同じように会話ができるようになっているという実例がある。幼少期に母親に吐き捨てられた心無い言葉をずっと覚えていて、話せるようになってから、母親に「なんであの時、あんなひどいことを僕に言ったの?」と伝え、あとになってから母親がごめんねと涙する話も聞く。話せなくても、幼いころから親の言葉を聞いて育ってきたのだから、彼らはちゃんと言葉をわかっている。そこを誤解してはいけない。



特に印象的だったのは、人工呼吸器をつけた鹿野が退院したいと言い始めた場面。人工呼吸器のせいで鹿野ののど元にたまるタンを取り除くために定期的に吸引作業を行わなければならなかった。それは医療資格を持った人しかできないことだと言われ、医師に退院を断られる。しかし、鹿野は、吸引作業はボランティアがやってくれる、もし万一のことがあっても、家族のような存在であるボランティアを責めることはないし、それは自分の責任だと反論する。以降、ボランティアに吸引作業の研修が行われるようになった。現在、介護者の喀痰吸引行為は第3号研修を修了することによって事業所と利用者の契約のもと法的に認められるようになった。それ以前は実質的違法性咀却(生死に関わる場面では医療行為を免許のないものが行っても仕方ない)の考え方のもの、黙認されてきた。

この場面は障がい者の願いに合わせて、既存の社会のルールを変えていくことと、介助を通して生まれる絆や愛が同時に表現されていてジンとくる。



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