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広報が最初に攻略すべき対象は、顧客ではなく社内である

みなさん、こんばんは。
今日は、広報というやっかいなしろものについて、日ごろ学ぶことがあったので共有します。

これをご覧の方は、何らかの形で広報や宣伝、PRに携わっている方でしょうか。事業の形態や規模はまちまちだと思いますが、今回の話は中小規模または広報の活動の薄い組織における、広報についての話です。

これを書いている遠山は、自社のSNS広報の中の人でもあります。また、以前の会社では、広報的な活動も担っている部署にいました。

一般的には、広報が部署として独立していたり、運用に歴史がある場合を除いて、多くの企業では、広報とはこのような形で存在することが多いのではないでしょうか。

「SNSが自由に使える世の中になってきたから、これを使って何か自社の宣伝をしたい」

「でも独立した部署にする余裕はないから、たいていは誰か特定の人物を兼任させる」

そして、たいていはこういうことになるのでしょう。
「コンテンツはお前にまかせる」

大抵の広報担当者(になった人)はここで頭を悩ませるわけです。兼任の立場の人であれば、ここに注力するほどの余裕はありません。コンテンツも、クオリティを求めれば時間とお金がかかります。とはいえ、年間に数回HPにアップされるだけ、という何かの情報では何の足しにもなりません。むしろ、そこにかける労力がない、ということの証明になってしまいます。

ここで多くの場合は、とりあえず自社の情報を適宜アップしていく形になるでしょう。BtoCでプロダクトやサービスが一般の人にも見える場合は、とりあえず「自社情報を伝える」という点はクリアできます。

しかし、多くの広報経験があるわけではない兼任型広報関係者は、ここでもやもやした感情を抱くことがあるのではないでしょうか?
「本当にこれでいいのか?」

なぜそのような感情を持つのかというと、そこに運営の指針や理念が無いからです。とりあえず、やらなくてはならない状況があるので、当面の手段の実施に終始しますが、それが目指すべきゴールや手段の選別まで、手がまわっていないことが、ほとんどです。

①誰を対象としているのか?その人たちにどう思ってほしいのか?

②またはどういう関係性を築きたいのか?

③そのためには、どんな手段が取りうるか?それは関係性を作りうるうえで適切か?

④そこにどれくらいのリソース(お金・手間・時間)がかけられるか?

①と②が無い状態で、③・④だけが業務として発生している、という状況が散見されるのではないでしょうか。または、①・②が不明瞭であったり、非現実的すぎる内容であったりしませんか。恐ろしい場合、「誰にでも好かれたい」という漠然とした考えですらあったりします。

自分がこれを担当するにあたり、①と②をしっかり固めました。自社の場合ですと、自分は既存作家、サービスに興味のある人(著者候補)を対象にしています。ゴールとしては、既存作家にとっては宣伝の場に、著者候補には会社の指針や姿勢をそれとなく知ってもらう場にできればと考えました。比較的、運用の手間が楽で既存作家・著者候補にとって見つけやすいということから、facebookとtwitterを主に使っています。
(自社サイトは、より会社のサービスに興味のある方向けの内容にとどめ、
一般の方が広く楽しめるような設計にはしていません)

ただし、自社の情報をただ投稿し続けるのは、読んでいる方にとっては、そこまで面白いものではなかったりします。アカウントをフォローしてくれる方は、何か面白いものを求めていると思うので、自社の情報も適度に盛り込み、新刊情報など活発な会社の動きを知ってもらうようにしていますが、同時に、主に出版やエンタメ分野、世の動きについて重要なものもシェアするようにしています。

誰かがありがたがって会社の情報を一方的に受け取るわけもなく、したがって見ていて面白いものを見てくれる方に提供しなくてはなりません。しかも、高頻度で。
(必ずいつも稼動している、というのが安定性と信頼感を生みます。ある時は熱心に投稿するけど、そのうちやめてしまうというのは、見てくれている人との関係性を生みにくいのです。)

興味深いコンテンツのシェアが、会社がそこにさけるリソースの限界ではあります。しかし、出版という既存のシステムに依存していて、保守的なイメージのあるところだからこそ、そういった情報収集に熱心であることや、シェアする記事の内容によっては、会社の出版にかける思いや情熱、生き残っていくことへの貪欲性は見えてくるのかな、と個人では思っています。大企業ではないので、そうしたやり方も通用できるでしょう。もちろん不足はたくさんあるのですが・・・。

ここなら、実力があって新しい試みをしてくれそうだ、と思えるような記事を個人の判断でシェアしたりしています。

さて、本題。

そんなある日、とある会社ででこういうことがありました。

「あの記事、今すぐ取り消してくれ」

遠山「え?なんでですか?それはどういった理由でですか」

「なんでも。早く。下げられないなら、その理由はなにかあるの」

自分は上記に述べてきたような、理論や背景を元にやっていることを説明しました。そして、逆に取り下げなくてはならない理由はなにかを聞きました。すると、このような回答が。

「シェアした記事の内容に、意見するひとから連絡がきている」

遠山「記事について、何か問題があるならば、今回は取り下げます。しかし、説明したような理念や指針でやっています。それを伝えるためには、多少の意見も出てくるのではないでしょうか?誰にでも100%好かれる広報なんて、ないですよ。こういった記事のシェアが良くないのであれば、逆にどういった指針や理念、思想でやってほしいのか、教えて下さい」

「そんなものない」
「この件の意見で、手を煩わせたくない。以上」

このときに、自分は深く痛感しました。本当に広報が、まずは宣伝すべきは社内の人間だったのです。自分(たち)が何を目指しているか、どういう目標や指針でやっていくか、まずは社内で共有しなくてはいけません

彼らにしてみたら、そこまでまったく深く考えていないのでしょう。とりあえず、「何か」を「宣伝」できればいい、という程度にとどまっていて、何かの思想というほどのものは持っていません。

したがって、なにかネット上などのマイナスの反応があると、そちらに気を取られるのでしょう。それを飲み込んだうえで、やりたいことや伝えたいことがあるわけではない。思想無き実行は、ちょっとつつかれるとすぐに方向転換を強いられる。そこにとどまる意義を見出していないからです。

おそらく、こういった事態はどこにでも隠れている気がします。前の職場でも、広報が目指すビジョンが共有されていない場合、社内の協力を得がたい状況がありました。

したがって、広報に携わる人は、まずは社内を攻めましょう。自分たちの活動にアグリーを取れる状況を勝ち取っていかなくてはいけません。広報の評価をする層や、何かのコンテンツ提供を受ける部署から、まずはヴィジョンを共有するところから。

ひとりぼっちの運用を任されている人も、まずは自分なりの理論を組み立ててみましょう。そして、それを他人と共有する。得られるものと、もしかしたら発生する反動はなにか?それらを明確にしておく。八方美人はありえない。

顧客を攻める前に、やることがある。今回はそれについての知をシェアしました。




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