見出し画像

ずんだもんと学ぶDNA人類学の研究史-特に日本人とアイヌ人の起源について

この記事は、YouTubeニコニコ動画で公開している同名の動画の書き起こしになります。本文は約8000文字程度あります。

本文

ずんだもん:ずんだもんなのだ。今日はDNA人類学の研究史を振り返りながら、みんなが大好きな日本人やアイヌ人の起源について説明するのだ。

四国めたん:ずんだもんにそんなことができるのかしら?

ずんだもん:できるのだ。とりあえず2000年代から説明していくのだ。2000年代のDNA人類学では、ミトコンドリアDNAとY染色体が主な研究対象だったのだ。ミトコンドリアDNAは、細胞質の中にあるミトコンドリアという小器官のDNAのことで、母親から母親へと母系に遺伝するのだ。核DNAよりも情報量が少ないから、解析技術が未熟だった1980年代から研究できたのだ(篠田 2015)。あと、遺跡から発掘された人骨からも抽出しやすかったから、1990年代からは古代人骨のミトコンドリアDNAの分析も盛んに行われるようになったのだ(篠田 2007)。

(篠田 2015)

ずんだもん:Y染色体は、細胞核の中にある性染色体のことで、父親から父親へと父系に遺伝するのだ。他の染色体よりは情報量が少ないけど、それでも膨大な情報量だったから、21世紀になってから研究が進むようになったのだ。古代人骨のY染色体のハプログループを決定するには、核DNAを解析する必要があったから、それは次世代シークエンサーが実用化してから研究が進むのだ(篠田 2019)。

(ライク 2018)

四国めたん:ミトコンドリアDNAとY染色体の研究からは、現生人類の起源や人類拡散のルートを知ることができるようになったのですわ。

(篠田 2009)

ずんだもん:そうなのだ。でも、ミトコンドリアDNAとY染色体からは、純粋な母系と父系の祖先をたどることはできても、このふたつのDNAからたどれる祖先は、ひとりの人間に占める祖先の割合としては極僅かに過ぎないのだ。それに、ミトコンドリアDNAはいくら調べても、ハプロタイプの頻度が分かったり、系統樹が得られるだけなのだ。Y染色体も同じように、ひとつの系統樹だけの情報しか得られないし、ハプロタイプの頻度もまとめ方次第で大きく違う結果になってしまうこともあるのだ(斎藤 2017)。

四国めたん:そうなの?

ずんだもん:そもそも現生人類は、旧約聖書のアダムとイブのような一組の男女から増えていった訳じゃないから、このふたつのDNAから得られる情報には限界があったのだ(ライク 2018)。ミトコンドリアDNAの解析からは分からなかった現生人類と旧人類の混血が、核DNAの解析で分かったように、核DNAの解析という新しい技術の発展によって、DNA人類学には更なる可能性が期待できるようになったのだ(篠田 2012)。

(ライク 2018)
現生人類が持つネアンデルタール人のDNA(年代別)

ずんだもん:ひとりの人間には、10世代さかのぼると1024人の祖先が存在しているけど、ミトコンドリアDNAとY染色体は、それぞれこの中のただひとりのものを受け継いでいるに過ぎないのだ。でも、細胞核の中にある常染色体は、この1024人の祖先から少しずつ受け継がれているから、ミトコンドリアDNAとY染色体に比べれば、圧倒的な情報量を持っているのだ(斎藤 2017)。

(斎藤 2020)を基に作成
ミトコンドリアDNA・Y染色体・常染色体の違い

四国めたん:核DNAを解析すれば、全ての祖先が分かるってことなの?

ずんだもん:そういう訳じゃないのだ。ひとりの人間には、20世代さかのぼれば100万人以上の祖先が存在していたことになるけど、細胞核の中にある遺伝子は2万2000個くらいしかないから、実際にはほとんどの祖先の遺伝子を受け継いではいないのだ(篠田 2019)。

(ライク 2018)

四国めたん:じゃあ、核DNAを解析しても古い時代の祖先のことは分からないのね?

ずんだもん:それは違うのだ。核DNAの解析は個人のルーツが分からない代わりに、集団のルーツを調べることができるのだ(篠田 2019)。分かりやすく説明すれば、めたんの子孫が何世代にも渡って増えていくほど、めたんの遺伝子は断片化して集団の中に散らばっていくのだ。核DNAは、その散らばった遺伝子の集合体だから、個人の祖先は分からなくても、集団の遺伝的な特徴を調べることができるのだ。

(斎藤,他 2020)

四国めたん:その集団の遺伝的な特徴は、どうすれば調べられるのかしら?

ずんだもん:染色体の中にあるDNA配列の変異を比較すれば、その共通性の程度によって集団同士の類縁関係を調べられるのだ。DNA配列の変異はSNPって呼ばれているのだ(篠田 2015)。2006年になると、核DNAを低コストで解析できる次世代シークエンサーが登場したのだ。2010年代になると、古代人骨の核DNAの論文がいくつも発表されるようになって、DNA人類学には「古代DNA革命」の時代が到来したのだ(ライク 2018)。

(ライク 2018)

四国めたん:日本のDNA人類学にも「古代DNA革命」の影響はあったのかしら?

ずんだもん:2010年代中ごろからは、縄文人の核DNAも解析されるようになったのだ(篠田 2015)。縄文人の全ゲノム配列の解析に初めて成功した愛知県の伊川津貝塚の個体だと、SNPデータの主成分分析で現代アイヌ人のクラスターに含まれる結果になって、縄文人とアイヌ人が遺伝的に近いことが分かったのだ(覺張,太田 2017)。現代アイヌ人のクラスターのバラツキが大きいのは、日本人との混血が、アイヌ人の集団の中で不均一に進んでいるからなのだ(斎藤 2017)。結果的に、日本人・琉球人・アイヌ人は、縄文人のゲノムをそれぞれ1割・3割・7割ほどの割合で受け継いでいることが分かったのだ(神澤 2022)。

(覺張,太田 2017)
現代アイヌ人のクラスターに含まれる伊川津縄文人

四国めたん:アイヌ人って、やっぱり縄文人に近いのね。

ずんだもん:そうなのだ。アイヌ人の中には、いまだに縄文人と共通の祖先集団を100%受け継いでいる人もいるくらいなのだ(斎藤 2017)。

(Takehiro Sato et al. 2021)
現代アイヌ人と縄文人(F23)は祖先集団のほとんどが共通している(ADMIXTURE解析)

四国めたん:それはすごいわね。それはそうと、最近よく聞くゲノムっていうものは、DNAとは違うものなのかしら?

ずんだもん:細胞核の中のDNAにある全ての遺伝子情報をゲノムって呼んでいるのだ(篠田 2015)。ミトコンドリアDNAを除けば、DNAは細胞核の中の染色体内に存在していて、両親から22本の常染色体と1本の性染色体をそれぞれ受け継いでいるのだ(斎藤 2017)。

四国めたん:なんとなく分かったわ。そうすると、日本人のゲノムの9割は誰に由来しているのかしら?

ずんだもん:日本人は、縄文人と渡来人が混血して形成されたと考えられているのだ。でも、日本人と遺伝的に近い現代の中国人や韓国人が、渡来人と遺伝的に同質なのかは不明だったのだ(神澤 2022)。東アジア人の古代DNAデータは、2018年頃の時点で、発表された全てのデータの5%にも満たなかったのだ。現代人のDNAデータからは、過去の混血をぼんやりと把握することしかできないから、古代DNAデータなしには祖先集団を探すことができないのだ(ライク 2018)。

(篠田 2022)
現代中国人は日本人から離れているが、新石器時代の Devil’s Gate はより近くに位置している。

四国めたん:じゃあ、日本人の主な祖先集団はまだ分からないのかしら?

ずんだもん:2020年代になると、日本人と北東アジア大陸の古代DNAデータを比較した研究がいくつも発表されたのだ。その中で話題になった研究によれば、縄文人と西遼河流域の夏家店上層文化人のゲノムを混ぜ合わせると、日本人のゲノムをモデル化できるのだ(Martine Robbeets et al. 2021)。この研究については、新石器時代の紅山文化人(Hongshan)のゲノムでも同じ結果になると指摘されているのだ(Zheng Tian et al. 2022)。どちらにしても、ようやくDNA人類学は、弥生時代の渡来人が何者だったのか具体的な仮説を立てられるようになったのだ。

(Martine Robbeets et al. 2021)
夏家店上層文化人(Upper Xiajiadian)と縄文人(Rokutsu Jomon)の混血モデル

四国めたん:まあ、弥生時代に朝鮮半島から渡来があったのは、考古学的にも分かっていることよね。

ずんだもん:実は、考古学的にも渡来人が西遼河流域から南下してきたことが示唆されているのだ。弥生土器と朝鮮無文土器の製作技法は、色々な点で共通していることが従来から知られていたけど、その製作技法の起源は西遼河流域の偏堡文化(Pianpu culture)の土器にあったのだ。縄文土器と弥生土器は、成形方法や焼成方法とか、土器の外観からは分からない部分まで違っているのだ(宮本 2017)。

(家根 1987)
縄文土器・弥生土器・朝鮮無文土器の違い(断面)

ずんだもん:無文土器の見よう見まねで弥生土器は作れないから、西日本における縄文土器から弥生土器への斉一的な移行は、言語による情報伝達がなければ説明できない現象なのだ。つまり、偏堡文化の南下から弥生土器が成立するまでの流れは、西遼河流域から北部九州への日本語の拡散を意味していると考えられるのだ(宮本 2017)。

(宮本 2017)
矢印の起点が西遼河流域になる

ずんだもん:古代の朝鮮半島には、日本語で解釈できる地名が広く分布していて、弥生時代の朝鮮半島では日本語が話されていた可能性が示唆されているのだ(伊藤 2021)。最近話題になった研究によれば、日本語と韓国語の共通祖語は、今から約9000年前の西遼河流域で話されていたとも考えられているのだ(Martine Robbeets et al. 2021)。DNA人類学の話をしていたのに、脱線して考古学や言語学の話をしてしまったのだ。

(伊藤 2021)
大陸倭語(濊語)地名の分布

四国めたん:アイヌ人については、何か新しいことは分かったのかしら?

ずんだもん:2021年になると、今から約900年前のオホーツク人の核DNAの解析ができたのだ。この研究では、現代アイヌ人の混血モデルは、縄文人・オホーツク人・日本人の混血集団であると仮定したモデルが、最も適合度が高かったのだ。日本人と混血する以前のアイヌ人は、縄文人からの遺伝子流動が69%で、オホーツク人からの遺伝子流動が31%になると推定されているのだ(Takehiro Sato et al. 2021・佐藤 2022)。

(Takehiro Sato et al. 2021)
礼文島浜中2遺跡のオホーツク文化終末期の成人女性

四国めたん:アイヌ人は北海道以外にも住んでいたと思うけど、みんな同じルーツなのかしら?

ずんだもん:北海道アイヌ人以外の核DNAの解析ができていないから分からないけど、参考になる先行研究があるのだ。歯の形には、集団ごとに出現頻度の異なる変異があって、それらはノンメトリック形質って呼ばれているのだ。ノンメトリック形質は、遺伝性が高いと考えられているから、アイヌ人のルーツを探る上でも参考になるのだ。歯のノンメトリック形質をもとに近隣結合法で各集団の類縁関係を表すと、北海道アイヌ人は縄文人に一番近いけど、樺太アイヌ人はオホーツク人やアムール川流域の人々に近いという結果になったのだ(松村 2012)。

(松村 2012)

四国めたん:アイヌ人の形質には地域差があるってことなのかしら?

ずんだもん:北海道と樺太では、アイヌ人の祖先集団の混血比率が違っていたと考えられるのだ。アイヌ文化が始まる前の北海道と樺太南部には、擦文文化とオホーツク文化が展開していたのだ。もともと、擦文人は道南と道央で暮らしていたけど、10世紀中ごろ以降になると、オホーツク人が暮らしている北海道北東部と樺太南部にも進出するようになるのだ(瀬川 2013)。

(瀬川 2013)

ずんだもん:擦文人の人口は、道南と道央で合わせて1万2000人くらいだったと推定されているのだ(中村 2020)。オホーツク人の人口は、北海道北東部と樺太南部で合わせて4~5000人くらいだったと推定されているのだ(天野 2008)。擦文人が縄文人の子孫だと仮定すると、北海道では、擦文人が人口比で圧倒的に少ないオホーツク人と混血して、北海道アイヌ人が形成されたと考えられるのだ。逆に樺太では、オホーツク人が人口比で圧倒的に少ない擦文人と混血して、樺太アイヌ人が形成されたと考えられるのだ。

(天野 2008・中村 2020)を基に作成
擦文人とオホーツク人の人口分布(オホーツク人の集落はほとんど海岸部に分布している)

ずんだもん:ちなみに、擦文文化には10世紀前後の時期になると、マレク(横山 1990)、イクパスイ(清水 2015)、祖印(瀬川 2014)、開窩兼用式の回転式銛頭(前田 1997・高橋 2015)、伸展葬の埋葬様式(鈴木 2004・2007・2016)、弓矢の中柄(金子 2003・三浦 2003・高橋 2015)とか、次のアイヌ文化の要素が出現しているのだ。アイヌ文化の熊送り儀礼も、13世紀以前の擦文時代終末期には、ホプニレって呼ばれる形式が既に成立していたことが分かっているのだ(佐藤 1993・2004・佐藤,他 2022)。DNA人類学の話をしていたのに、また脱線して考古学や形質人類学の話をしてしまったのだ。

アイヌ文化に受け継がれる擦文文化の要素(一部)

四国めたん:擦文文化とアイヌ文化には連続性があるのね。

ずんだもん:そうなのだ。脱線したついでに、古代のアイヌ語の分布についても説明するのだ。アイヌ語地名が東北地方にも分布していることは先行研究によって明らかにされているけど、東北地方と樺太のアイヌ語地名には方言差がないのだ。これはアイヌ語に方言差が生じる前の古い時代に、これらの地域一帯に同じアイヌ語で地名が付けられて、古い形態が維持されたからだと考えられるのだ(板橋 2008)。アイヌ語地名の可能性がある地名を『新日本地名索引』から抽出すると、東北北部から北海道にかけての地域に濃密に分布していることが分かるのだ(八木 2017)。

(八木 2019)
東北北部以外の「ベ」は日本語地名の可能性が高いとされる。

四国めたん:古代の東北地方では、アイヌ語が話されていたのかしら?

ずんだもん:奈良時代には東北南部のあたりまで、東国方言って呼ばれる言語が話されていたのだ。でも、東国方言が後の東北方言になった訳ではないのだ。東北方言の祖語は、平安時代の奈良や京都の方言から派生していて、東北方言の多様性が西日本の方言と比べて少ないことから、東北地方で日本語が話されるようになったのは、比較的新しい時代になってからだと考えられるのだ(井上 2000)。つまり、古代以前の東北北部で日本語が話されていたとは考えにくいから、アイヌ語地名の濃密な分布は、アイヌ語が話されていたことを示唆しているのだ。もっと古い時代には、東北北部より南の地域でアイヌ語が話されていた可能性もあるのだ。東北地方のアイヌ語地名には河川名が多く残っていて(八木 2017)、全ての固有名詞の中で最も永続的で古いのは河川名だとされているのだ(クラーエ 1970)。だから東北地方のアイヌ語地名は、東北地方の古層の言語を探る上での重要な資料になるのだ。

(福田 1965)を基に作成
万葉集の東歌と防人歌の記録に基づく東国方言の分布(赤色)

四国めたん:縄文人がアイヌ人の主な祖先集団なら、縄文人もアイヌ語を話していたのかもしれないわね。

ずんだもん:東北北部には6世紀頃まで、北海道と同じ続縄文文化が分布していたのだ(八木 2015)。北海道では7世紀頃まで続縄文時代が続いて、擦文時代になると、11世紀までには擦文人が樺太に進出するのだ(瀬川 2013)。つまり、6世紀~11世紀の間に東北北部と樺太南部では、アイヌ語地名が付けられていった可能性があるのだ。東北北部のアイヌ語地名については、6世紀以降に入植してきた農耕民が、先住民の地名を採用して定着させたと考えられるのだ(松本 2013)。少なくとも、北海道と東北地方に同じ文化が広がっていた続縄文時代からは、アイヌ語が話されていた蓋然性が高いのだ。だから縄文人がアイヌ語に近い言語を話していたというのは、そんなに飛躍した話じゃないと思うのだ。

(松本 2021)

四国めたん:そういえば、まだ縄文人の起源について話していないわね。

ずんだもん:最後に縄文人の起源を説明していくのだ。古代DNAの解析によって、東アジア大陸の人々の起源は、非常に古い時代に分岐したふたつの系統の様々な比率の混血に由来していることが分かったのだ(ライク 2018)。東ユーラシア系集団の祖先は、サフル系集団の祖先と分岐した後に北アジアまで北上するのだ(斎藤,他 2020)。その途中で、南アジアから内陸部を北上した集団と、アンダマン諸島から東アジアの沿岸部に広がる集団に分岐したのだ。縄文人のゲノムは、内陸集団から56%と沿岸集団から44%受け継いでいるのだ(古田 2021)。内陸集団は、南方と北方の集団に分岐していて、縄文人の祖先の一部になったのは南方集団なのだ(C. C. Wang et al. 2021)。

(古田 2021)

四国めたん:縄文人のふたつの祖先集団は、日本列島で混血したのかしら?

ずんだもん:それはまだ分からないけど、その可能性もあるらしいのだ。少なくとも縄文人は、今から2万6000年前より以前に内陸集団から分岐していたことが分かっているのだ。縄文人のゲノムは、今から7800年前までには、ほぼ均質化していたことも分かっているのだ(古田 2021)。

(Takashi Gakuhari et al. 2020)
東ユーラシア系集団から早期に分岐した縄文人(IK002)

ずんだもん:ちなみに、日本人の主な祖先集団は北方集団に由来するのだ。日本人のゲノムは、北方集団の祖先系統から67%のゲノムを受け継いだ、西遼河流域の農耕民の祖先系統が92%と、縄文人の祖先系統が8%の割合で混ざり合えばモデル化できるとされているのだ(C. C. Wang et al. 2021)。

(C. C. Wang et al. 2021)
東アジア沿岸・内陸南方・内陸北方の祖先系統に由来する各集団の混血モデル

四国めたん:北方集団はどんな人たちなのかしら?

ずんだもん:今から約3万年前に、東アジア大陸でEDAR遺伝子の派生型アリルを持った人々が誕生したのだ(Y. G. Kamberov et al. 2013)。彼らには、北アジアで西ユーラシア系集団と混血してアメリカ大陸に渡った集団と、南下して祖先型アリルを持った人々と混血した集団がいるのだ。日本列島の場合は、祖先型アリルは縄文人的で、派生型アリルは渡来系弥生人的な特徴に置き換えることができるのだ。祖先的な表現型の人々は「プロトモンゴロイド」、派生的な表現型の人々は「ネオモンゴロイド」とも呼ばれているのだ(斎藤,他 2020)。

(Y. G. Kamberov et al. 2013)
EDAR遺伝子の派生型アリル(V370A)の分布(赤色)

ずんだもん:従来から形質人類学では、氷河期のシベリアで寒冷適応した北方アジア人が、氷河期が終わると南下して、南方アジア人の住んでいる地域に拡散していったと考えられてきたのだ。弥生時代の朝鮮半島からの渡来人も、こうした動きの一部になるのだ(馬場 1998・2013)。

(馬場 2013)

ずんだもん:結果的に、形質人類学の先行研究は概ね正しかったことになるのだ。縄文人の起源を説明していたのに、いつの間にか渡来人の話になってしまったのだ。

(国立歴史民俗博物館 2000)
プロトモンゴロイドとネオモンゴロイド(縄文人と渡来系弥生人)

四国めたん:最後は形質人類学の話になったけど、もう言いたいことは全部話したわね。

ずんだもん:概要欄のリンクには、この動画の書き起こしと参考文献を記載しているから見てほしいのだ。

四国めたん:これで終わりですわ。

参考文献

天野哲也『古代の海洋民オホーツク人の世界:アイヌ文化をさかのぼる』雄山閣,2008
板橋義三『マタギ語辞典』現代図書,2008
伊藤英人「朝鮮半島における言語接触と大陸倭語」『日本言語学会大会予稿集』163,日本言語学会,2021
井上史雄『東北方言の変遷』秋山書店,2000
小野哲也「擦文文化期の調査」『上幌内モイ遺跡(3):厚幌ダム建設事業に伴う発掘調査報告書』厚真町教育委員会,2009
覺張隆史,太田博樹「愛知県伊川津貝塚出土人骨の全ゲノム解析」『日本文化財科学会第34回大会研究発表要旨集』日本文化財科学会,2017
金子浩昌「骨角器」『青苗貝塚における骨角器と動物遺体』奥尻町教育委員会,2003
神澤秀明「朝鮮半島にも残る「縄文遺伝子」:古代ゲノム研究からみた朝鮮半島の古代人」『科学』92(2),岩波書店,2022
国立歴史民俗博物館『北の島の縄文人:海を越えた文化交流』国立歴史民俗博物館企画展示図録,2000
斎藤成也『核DNA解析でたどる日本人の源流』河出書房新社,2017
斎藤成也「新学術領域研究「ヤポネシアゲノム」のめざすところ」『歴博』218,国立歴史民俗博物館,2020
斎藤成也,河合洋介,木村亮介,松波雅俊,鈴木留美子『最新DNA研究が解き明かす。日本人の誕生』秀和システム,2020
佐藤孝雄「「クマ送り」の系統:羅臼町オタフク岩洞窟におけるヒグマ儀礼の検討」『国立歴史民俗博物館研究報告』48,国立歴史民俗博物館,1993
佐藤孝雄「「熊送り」の源流」『新北海道の古代』3,北海道新聞社,2004
佐藤孝雄,松林順,米田穣「羅臼町オタフク岩洞窟と北見市中ノ島遺跡から出土したヒグマ遺体の放射性炭素年代:「熊送り」儀礼の起源と前近代の挙行形態をめぐって」『動物考古学』39,日本動物考古学会,2022
佐藤丈寛「900年前のオホーツク文化期人骨の全ゲノムシーケンスは極東ㇿシアから北日本への2つの移住イベントを支持する」『Yaponesian』3(ふゆ号),新学術領域研究ヤポネシアゲノム領域事務局,2022
篠田謙一『日本人になった祖先たち:DNAから解明するその多元的構造』NHK出版,2007
篠田謙一「地学クラブ講演報告:DNA解析が解明する現生人類の起源と拡散」『地学雑誌』118(2),東京地学協会,2009
篠田謙一「サピエンスはほかの人類種と交雑したのか」『季刊考古学』118,雄山閣,2012
篠田謙一『DNAで語る日本人起源論』岩波書店,2015
篠田謙一『新版 日本人になった祖先たち:DNAが解明する多元的構造』NHK出版,2019
篠田謙一「弥生人とは誰なのか:古代ゲノム解析で判明した遺伝的な多様性」『科学』92(2),岩波書店,2022
清水香「アイヌ文化の木製品」『季刊考古学』133,雄山閣,2015
鈴木信「北海道式古墳の実像」『新北海道の古代』3,北海道新聞社,2004
鈴木信「アイヌ文化の成立過程:物質交換と文化変容の相関を視点として」『古代蝦夷からアイヌへ』吉川弘文館,2007
鈴木信「8世紀、蝦夷時代並行期の北海道」『考古学ジャーナル』688,ニューサイエンス社,2016
瀬川拓郎「海を渡る縄文人の末裔たち:交易と拡大するアイヌ社会」『北の縄文連続講座・記録集』2,北の縄文文化を発信する会,2013
瀬川拓郎「祖印か所有印か:擦文時代における底面刻印の意味と機能」『環太平洋・アイヌ文化研究』11,苫小牧駒澤大学環太平洋・アイヌ文化研究所,2014
高橋健「アイヌ文化の骨角製品」『季刊考古学』133,雄山閣,2015
デイヴィッド・ライク『交雑する人類:古代DNAが解き明かす新サピエンス史』NHK出版,2018
中村大「北海道南部・中央部における縄文時代から擦文時代までの地域別人口変動の推定」『令和元年度縄文文化特別研究報告書』函館市縄文文化交流センター,2020
馬場悠男「縄文顔と弥生顔から日本人のルーツを探る!」『逆転の日本史:日本人のルーツここまでわかった!』洋泉社,1998
馬場悠男「顔から探る日本人の成り立ち」『北の縄文連続講座・記録集』2,北の縄文文化を発信する会,2013
ハンス・クラーエ『言語と先史時代』紀伊国屋書店,1970
福田良輔『奈良時代東国方言の研究』風間書房,1965
古田彩「浮かび上がる縄文人の姿と祖先」『日経サイエンス』51(8),602,日経サイエンス社,2021
北海道開拓記念館『北の古代史をさぐる:擦文文化』第45回特別展図録,1997
北海道大学埋蔵文化財調査室『サクシュコトニ川遺跡:北海道大学構内で発掘された西暦9世紀代の原初的農耕集落』北海道大学,1986
前田潮「擦文文化の回転式銛頭」『国立歴史民俗博物館研究報告』70,国立歴史民俗博物館,1997
松村博文「歯の特徴による日本人の形成とアジア太平洋の人々」『季刊考古学』118,雄山閣,2012
松本建速「本州東北部にアイヌ語系地名を残したのは誰か」『考古学研究』60(1),考古学研究会,2013
松本建速「考古学資料から言語共同体を読む:古代東北北部の人々はアイヌ語古語を話したか」『東海大学紀要文学部』111,東海大学文学部,2021
三浦正人「樹種構成からみたユカンボシC15遺跡の性格とその変容」『千歳市ユカンボシC15遺跡』6,北海道埋蔵文化財センター,2003
宮本一夫『東北アジアの初期農耕と弥生の起源』同成社,2017
八木光則「古墳時代併行期の北日本」『東北の古代史』2,吉川弘文館,2015
八木光則「アイヌ語系地名と蝦夷」『古代国家と北方世界』同成社,2017
八木光則「縄文時代にさかのぼるアイヌ語系地名」『環状列石ってなんだ:御所野遺跡と北海道・北東北の縄文遺跡群』新泉社,2019
家根祥多「弥生土器のはじまり」『季刊考古学』19,雄山閣,1987
横山英介『擦文文化』ニューサイエンス社,1990
C. C. Wang et al. “Genomic insights into the formation of human populations in East Asia” Nature. 2021. DOI: 10.1038/s41586-021-03336-2.
Martine Robbeets et al. “Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages” Nature. 2021. DOI: 10.1038/s41586-021-04108-8.
Takashi Gakuhari et al. “Ancient Jomon genome sequence analysis sheds light on migration patterns of early East Asian populations” Communications Biology. 2020. DOI: 10.1038/s42003-020-01162-2.
Takehiro Sato et al. “Whole Genome Sequencing of a 900-year-old Human Skeleton Supports Two Past Migration Events from the Russian Far East to Northern Japan” Genome Biology and Evolution. 2021. DOI: 10.1093/gbe/evab192.
Y. G. Kamberov et al. “Modeling Recent Human Evolution in Mice by Expression of a Selected EDAR Variant” Cell. 2013. DOI: 10.1016/j.cell.2013.01.016.
Zheng Tian et al. “Triangulation fails when neither linguistic, genetic, nor archaeological data support the Transeurasian narrative” bioRxiv. 2022. DOI: 10.1101/2022.06.09.495471.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?