本とは
『哲学的な100の質問』のつづき。
なんのこっちゃと言う方は、一番最初のこちらの記事をごらんください。
022.本とは?
前にtwitterの自己紹介に『読書はごはんです』って書いていた。わたしの感覚ではそれはとても正しい。
わたしの場合マンガがかなり含まれるのだが。
本を読まなかった日ってほとんどないんじゃないか?
『メリットがある』ことって、実は結構すぐにやめてしまうもんだとおもっている。たとえば『好き』でも。やめてしまえる。
なぜわたしが本を読むかって、『読まずにはいられないから』だ。
これはポジティブな話ではなく、むしろネガティブな話かもしれない。
わたしは他者の物語を頭に詰め込むことによって、精神の均衡を守っているところがあり……
つまり『現実逃避』してるんである。
ちがう世界にしばらくいさせてもらう…安全な場所から世界を眺めている時間に波立った心を落ち着かせている。
本が好き。実用書も小説もマンガも。教育書とかもビジネス書も学術書も読むときある。
面白いと知的好奇心が騒いだり、純粋に好きだなあと幸せだなあと思って読んでるときももちろんある。
でも、なんだろう、こころのどこかに、ブラックホールみたいにすべてを吸い取っちゃうような穴があって、それはたぶん『不安』なんだけど、わたしはそこに何かを突っ込まずにはいられない。埋めるように読んでいる、ところがある。
……と、最近思うようになった。
でも、『千と千尋の神隠し』のように、トンネルをくぐる前とくぐった後、まったく違わないように思えて髪飾りがちゃんと残っているみたいに、読んだあと、少し心が動いていることがあって、それが現実への行動として変わっていくこともよくある。
そういう『メリット』もあって、だからずっと続けている。
でも、本を読むばっかりだと、ずっとお腹がすいているんだよな。
その飢えは読めば読むほどに強まる。
わたしにとって「書くこと」は、「読むこと」よりは生きていく上で必須じゃなくて、書かない日もざらにある。(ツイッターぐらいなら毎日書いてるかもしれないが)
それでも、「書くこと」をするとお腹が満たされる感じがする。
インプットとアウトプットの話なのかな?
たとえばこういう文章でも、少し、満たされる。
呼吸なのかな。吸って吐いての、吐いてができてないからなのかな。
自分から起こす『アクション』になっているからなのか。
わたしは『わたしの物語』を進めなきゃなのに、いつも頭の中に『わたしでないひとの物語』を山ほどぶちこんでいる。
こわいんだろうか、不安だからだろうか、何からやっていいかわからないからだろうか。
コロナがはじまってしまったから余計に、いつ休園になるかもわからんし、今は待機しておいたほうがいいんじゃないかとしているから余計に、行き場のないエネルギーが最近体を渦巻いている気がする。ブレーキを踏むばっかりというか。ブレーキを踏むのは、アクセルを踏み続けることよりも疲れる。
ふうか氏のことも大好きだし大切にしているつもりだけど、ふうか氏だって『わたしでないひとの物語』なのだ。そう分かっていないとならない。ふうか氏がやったこと、できたことはふうか氏だけのもの。ふうか氏の悲しいも嬉しいもふうか氏のもの。線をちゃんと引くことは、これからとても重要になる…とおもう。
本はわたしにとって緊急避難所だ。
もっともっとポジティブな意味もあるんだけど、これは重要なの。そして否定はしたくない。
でも、わたしの物語をもっと進めなきゃなっておもっているんだ。
ごはんを食べすぎるばっかりじゃ不健康なんだ。
行き場のないエネルギーを行き場のあるエネルギーにしないとなって。
今回の絵は、わたしにとって安全地帯である『本』を描きました。
不幸な絵じゃない。でも、ずっとこの場所にいることを、望んでいるわけじゃないのだ。
いつだって戻ってくる。不安でどうしようもなくなったら帰ってくる。いつでも。
だから、ちょっと行ってくるわ!つって、外に行きたい。
『外』…なあ。(4000字分の物思い)
でも、もう考えるよりは何でもいいからやっていくのがいいんだよなあ…経験的に…
過去の回答もマガジンにまとめてありますので、よければどうぞ。
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