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自分の育った箱のカタチを知る

もう40代も半ばになるのに、いまだに過去の母親のことをあーだった、こーだったと言い続けることに自分でも嫌気がさすし、うんざりすることもある。いい歳していいかげんにしろやと思うこともある。

でも母親を知ることは、自分を知ることなんだ。自分がどんな環境で、どんな人に育てられたのか、どんな背景があって、どんな出来事が起こって、その時私はどう感じたのか。その中でも母親とは一体どういう人だったのか。これは今の私を形造る最重要ファクターだ。

ずっと一緒に生きてきたのだから、母親のことならよーく知ってるでしょ?と思うかもしれないが、当時私は子供だったのだ。子供から見る母親と、大人になってから冷静な目で見る母親は実は全然違ったりする。

子供の頃は世界はとても狭くて、親は私の世界の全てだった。親の言うことは絶対で、そこに意見の相違があれば自分が間違っていると信じ込むしかない。親の心無い言動にどんなに傷付いても、それを感じることは許されない。なぜならそれを自分に許してしまったら、その小さな世界では生きていけないから。

だから私たちはたくさんの傷を感じないように身体に閉じ込めて大人になった。感じないように隠してきた傷は決して自然に治ったりはしない。何歳になろうとも身体に残っていて、私たちを刺激する。

大人になった私たちは、今度は自分の力でその傷を解放していかないといけない。そのために母親を知ることは大きな手掛かりになる。

例えばメロンを小さな四角い箱に入れて育てたらどうなるか?本来なら丸く育つべきメロンは四角いメロンに育つ。


四角い箱はなんだか寒くて窮屈で苦しかったけど、メロンにとってはその四角い箱がすべてだった。それが当たり前の世界だった。それしか知らなかった。

大人になったメロンは箱から出て自由になった。四角い箱は苦しかったから、これからはもっといろんな場所に行ってみたいと思う。例えば大きくて自由に動き回れる場所とか、ふわふわしてあったかい場所とか、世界にはいろんな場所があることを四角いメロンは知る。

だけど気がつくとメロンはまた四角い箱に入ってしまってるんだ。なんだか懐かしくて安心する。私にぴったりフィットして馴染む。あぁ、ここが私の場所なんだって思ってしまう。本当は寒くて窮屈で苦しいのに。うっかり慣れ親しんだ環境に戻ってしまうんだ。

それは自分のことをよく知らないから。
自分が窮屈で寒い四角い箱で育って、本当は苦しかった。誰かに助けて欲しかった。悲しくて寂しくて孤独だった。

四角い箱は私の自由を奪った。自由に感じる心を禁止した。そこにいないと価値がないように思わせた。温かさを与えなかった。なぜなら四角い箱もまた孤独だったから。

私は四角い箱に入れられて育ったから、四角いカタチのメロンに育ってしまった。だから箱から出た今も、うっかり四角い箱に入ってしまいやすい。

でも私がこれから求めるものは、もっと自由で広くてふわふわして温かい場所なんだ。もう私には箱は必要ない。だから、私は意識的に自分のいる場所を選ばなければならない。

もう四角い箱には入らないんだ。そう決意することが必要なんだ。

この決意するために、私たちは自分が育った箱、つまりは母親についてよくよく知る必要がある。そしてそこで形造られた自分のカタチのことも。

自分に対する認識と、これからはどんな世界を選んでいくのかという決意が、私を新しい世界へ連れて行ってくれる。

私にとっての四角い箱とは共依存の世界だった。

これから私は共依存の世界ではない、温かくて優しい世界へ。不安ではなく愛の世界へ。私は舵を切る。

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