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舞台に立つって、最高に楽しい。

イラスト、音楽、手芸、ダンス、文章…
この世には、何かを表現するための手段が無数に存在している。

そのなかでも、わたしは演劇がいっちばん好きだ。

舞台との思い出

わたしが演者を夢見たのは、保育園児のとき。漠然とした夢だったが、お芝居をすることが好きだった。発端は人形遊び。悪役と、ヒロインと、ヒーローがいる。文房具とか、そういうのを舞台にして、お話を作って自分で演じ分けるのが楽しかった。

そして布団の中で、目を瞑って想像の世界を作る。隣で親が寝ているからうるさくしたらいけないので、小声でボソボソと、その世界の住人になる。ドレスを着たり、戦うヒーローになったり、悪逆非道のおじさんになったり。

舞台に立てるのは一握りの人間だけ、という現実も不思議と理解していたので、その夢を公に話すことはしなかった。だが、高校生の時、私は演劇部に入部する。先輩がフレンドリーで、台本はたいてい部員オリジナルという環境。自分は別に華のある容姿はしていなかったが、それでも役者志望で入部し、実際に何回も舞台に立った。

大学生になった時、高校の頃のツテで、地域の劇団さんにお世話になった。所属こそしていなかったものの、あちこちの劇団に出演し、舞台を作った。同級生が呼びかけてくれたので、演劇サークルも作ったし、大学で何回か舞台をしたことがある。いずれも、役者として立った。

演劇の虜になった理由

ずばり、消去法である。

イラスト、音楽、文章、手芸。わたしはセンスがなかった。どれも下手くそで、思い通りの表現が出来ないまま投げ出した。やっと出会ったのが、演劇。全身を使い、声を上げ、客席を震わせることが出来る感覚が、わたしの創作意欲を燃やしたのだ。

写真写りが悪いので、舞台を見に来い!そうすれば私の魅力は絶対にわかる!なんてことすら思うほどに、演劇をしている自分に自信があった。

人の感情が揺れ動く瞬間が好きなので、役者としてどうセリフを吐くのか、立ち振舞は指先までどう動かすか、どんな声色で、声質で吐けば客席に届くのか。役者は感情で動かない。考えて計算して、動くのが楽しい。

実際、お客さんから何回も感想を頂いた。「あの舞台に出ていた人ですよね」なんて聞かれたこともある。

舞台をつくりあげるということについての考察

舞台を見に来る人の多くは、その作品を見て心が動くことを期待している(と思う)。だから、役者、照明、音楽、脚本家、演出家の仕事は、その期待に応えることだ。

役者は、舞台に立つので、その場で作品を作っているように見える。でも実際は、役者は作品の一部でしかない。照明・音楽・脚本家・演出家には頭が上がらない。

わたしの吐いた一言で、お客さんが息を呑む音。
日常生活のなかで、そんな場面はなかなか無いのである。

お客さんも非日常に包まれるし、舞台を作っている人も、非日常に生きている。わたしは、現実で生きるのが下手くそな分、舞台というものに惹かれたのかもしれない。


ここまで読んでくださってありがとうございます。毒親育ちの自分に嘆くばかりだった人生から、少しずつ前を向けるようになりました。このnoteは、誰かが前を向くきっかけになればいいな、と思っています。もしよければ、また覗きに来てください!