呪いの装備を脱ぎ捨てたら、真っ裸になっただけだった。

幸せに、なれると思っていた。
人生にリセットボタンは存在しないし、リセマラだってできない。
自分の好きなものをかき集めて、なけなしのお金を持って家を飛び出した。
これから始まる未知の人生に胸を踊らせて。

精神が徹底的に疲弊して、大学3年生の夏にうつ病を経験した。閉鎖病棟の廊下、窓から覗く青空に手を伸ばしてはため息をついていた。毎日来る親の面会を拒絶して、用意されたご飯を食べて。日常に戻れなくなるのが少し怖くなって優等生のフリをし、開放病棟に移った。
そこでは親の面会を拒絶することは許されない。開放病棟に移動したその日の夕方、面会に来た母は私を見て

「逃げられると、思うなよ」

どういう意味だったのか、聞いたことはない。真意がどうであれ、ショックを受けたのに間違いはない。言葉は、受け取り手が受け取った意味にしかならないのだから。それくらいの主張は許されたい。

この親は駄目だ。この親の下に産まれた私も、もう駄目だ。
産まれた時から、終わってたんだ。

そう思った。
退院し、家に帰り、居場所はどこにもなくなっていたので自分の部屋で寝ていた。あれほど心地良い毛布は、段々脂臭くなって。堕ちていく娘に、母はなにもしなかった。むしろ貶した。立ち上がらせるために、やっぱり叱った。毒でしか、無かった。

毒から離れれば幸せになれるんだと思っていた。毒親育ちの人の話を見て、カウンセリングを受けたほうがいい、なんてものをよく見かけたが、私には必要ないと思っていた。

そうじゃなかった。毒も、鬱も、完全に断ち切るのは、難しい。
心に根を貼ってしまった曇天は、晴れない。

呪いの装備を解除したところで、防御力が上がるわけじゃないのだ。

今日、仕事をサボった。眠らなかった夜のせいだ。つまり自分が悪い。社会人のくせに、すぐさぼりたがる。お金がないと不安になるくせに、がむしゃらに稼ごうとしない、悪い大人だ。

学生の自分に、とりあえず自分でお金を稼ぐ知識くらいは勉強しておいてくれよと言いたい。

今一緒に暮らしている人も、こんなことが続けばきっと失望するだろう。誰だって自分の世話で精一杯だ。自立した人間同士の付き合いを望むわたしたちだからこそ、そうできなくなったら互いのためにならないのだから。

ああ、豪雨警報が重たい。

ここまで読んでくださってありがとうございます。毒親育ちの自分に嘆くばかりだった人生から、少しずつ前を向けるようになりました。このnoteは、誰かが前を向くきっかけになればいいな、と思っています。もしよければ、また覗きに来てください!