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第23回「小説でもどうぞ」応募作品:ご趣味はなんですか?

第23回「小説でもどうぞ」の応募作品です。
テーマは「趣味」だったのでいろいろと悩んだのですが、このようになりました。
落選作品とはいえお気に入りのできですので、ぜひお楽しみください。

ご趣味はなんですか?

「ご趣味はなんですか?」
 お見合いの席でそう訊ねられた。
 困ったな。お決まりの質問だというのは知っているけれどもどう返したものか。
 趣味が無いわけではない。むしろ没頭してしまう趣味があるのだけれども、これを話していいものか。
 すこし悩んでから、僕はなるべく柔らかい声で返す。
「ユークリッド幾何学です」
 すると、思っていたとおり相手方は黙り込んでしまった。
 しかし、お見合いの席でずっと黙りっぱなしというわけにもいかないだろう。僕もこう訊ねる。
「ご趣味はなんですか?」
 すると、相手方も気まずそうにしてから、おずおずと落ち着いた声でこう言った。
「古典です。源氏物語からシェイクスピアまで、なんでも」
 その答えに、思わず頭を抱えそうになる。
 仲人には悪いけれど、相性が最悪なのではないだろうか。
 すこしの間僕も相手方も黙り込んで。先に話を再開したのは相手方だった。
「あの、趣味をはじめたきっかけはなんですか?」
「いや、たいした理由じゃないんですよ」
 きっと歩み寄ろうとしてくれたのだろう。それならこっちからも歩み寄らなくては。そう思って、僕はユークリッド幾何学に夢中になった経緯を話した。
 きっかけは、学校の数学の時間に授業でやったことだった。はじめはむずかしくて、全然理解できなくて、大嫌いだった。
 けれどもある時、喉に詰まったごはんを飲み込めたかのように、問題を解くコツをつかむことができたのだ。
 信じられなかった。あんなにむずかしくて大嫌いだったユークリッド幾何学がこんなに楽しく解けるなんて。
 それ以来、僕はユークリッド幾何学に夢中なのだ。
 そんな話をしたら、相手方はきょとんとして、古典を好きになった理由を話した。
 聞いてみて驚いた。相手方も、はじめは古典がわからず嫌いだったけれども、ある日突然わかるようになって好きになったという。
 科目こそ違うけれど、たどった道筋はほぼ同じだったのだ。
 そのことで急に打ち解けて。お互い趣味の話をすると変な顔をされると笑い合った。
 この人となら、案外うまくやれるかもしれない。

 それから数年。あの時の相手と結婚し、今ではふたりの息子に恵まれた。
 小学校と幼稚園に通う息子達と積み木遊びやお絵かきをする時に、幾何学の話をする。息子達にはまだ早い話だとは思うけれど、この話を聞かせると大人しく聞いていた。
 もちろん、家事と育児で忙しい妻の代わりに学用品を買いに行くこともあった。
 鉛筆を買ってきてくれと言われた時に、どの鉛筆を買えばいいかと妻に訊くと、小学校には二種類の鉛筆しかない。2Bか2B以外かだ。と返ってきた。
 その時、咄嗟にこの言葉が口をついて出た。
「2B or not 2Bか」
 すこしいらついたようすだった妻が、思わず笑い出してこう返した。
「相変わらず定義づけは得意なのね」
 そのやりとりを、まだ小さい息子達はにこにこと笑いながら見ていた。
 さいわいなことに、僕と妻の趣味は子育てをしながらでも頭の中で楽しめるし、息子達に聞かせてやることもできる。
 お互いに趣味の話をして、将来息子達もユークリッド幾何学や古典が趣味になったらいいなと思った。

 それから数十年。息子はふたりとも大学に進んだ。
 上の子は僕と同じように数学科に進んだけれども、専攻は整数論。下の子に至っては哲学だ。
 小さな頃から僕も妻もそれぞれに話して聞かせていたのに、親の趣味をそのままなぞるというわけにはいかないのだなとすこし残念だったけれども、息子ふたりも僕と妻に整数論と哲学の話を楽しそうに話してくる。
 大学に入る前に反抗期もあったけれど、今では素直に一緒に食卓を囲んでくれている。妻の教育のたまものか、息子が食事を作ることもあるくらいだ。
 食事時に、テーブルの上を幾何学や古典、整数論や哲学の話がリズミカルに飛び交う。
 みんなそれぞれに趣味のことを話したり聞いたりできるこの食卓は、毎日楽しい。

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