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「仕立て屋伯爵」第4話

第4話

 冷たい風が作業場の窓を叩く。窓辺でドレスを縫うカミーユを陽の光が照らしているけれど、あたたかとは言いがたい色合いだ。
 俺がスカートを縫う手を止めて窓の外を見ると、道の上をかさかさと風に吹かれた枯れ葉が転がっていく。俺がこの店に来て、すでに半年が経っていた。
 俺が縫製の仕事を手伝えるようになって、やっと四ヶ月といったところだろうか。実は、俺は自分の賃金がどの程度なのか知らない。それでも、ここで縫製の手伝いをしなければ母上のドレスを工面できない。
 その一心で今日もカミーユと一緒に依頼品のドレスの縫製をしているのだけれども、いまだにカミーユから母上のドレスの話が出ない。まるで、母上のドレスのことなど忘れてしまっているようだ。
 かといって、まだ仕立てを頼めるほどお金を貯められていない可能性もある。それなのにドレスを作れと急かすのは卑しいことのように感じられて、訊ねることができずにいた。
 窓から差し込む日が陰ってくる。カミーユの横顔に影が落ちる。作業場の奥ではヒュースがトワルを組んでトルソーに着せている。衣擦れだけが聞こえる作業場に、あたたかい匂いが流れ込んできた。こんがりと焼けるパンの匂い。それに勘づいたヒュースがトルソーから離れ、作業台に針山を置いて作業場を出て行く。カミーユも針を針山に刺し、杖を手に取った。今日の仕事はここまでだ。
 居間に行ってみんなで食事をする。いつもはおいしく感じる食事も、今日はなんとなく味気ない。
 カミーユの口から母上のドレスの話は出ない。そのことにひどく焦りを感じた。
 夕食が終わって、自室に戻る。いつになったらカミーユは母上のドレスを仕立ててくれるのだろう。いつになったら仕立てられるだけのお金が貯まるのだろう。そのことを考えると不安になってなにも手につかない。
 そこでふと思い立つ。
 俺はもう、依頼品のドレスを縫えるくらいに縫製の腕が上がった。型紙の引き方もわかる。レースだって、クロッシェレースで簡単なものなら編むこともできる。
 それならもう、カミーユを頼らないで自分で母上のドレスを縫った方がいいのではないだろうか。
 頭にひらめいた考えに、俺は夢中になった。そうだ、俺が母上のドレスを縫えばいいんだ。それならすぐにでも取りかかれる。メルシエ侯爵のパーティーにも間に合わせることができるだろう。
 机の上に置いておいた、練習用の型紙と鉛筆を手元に引き寄せランタンで照らす。この型紙にならなにかを書いても問題はないだろう。誰か依頼人のものではないのだから。
 俺は夢中で紙に鉛筆を走らせた。試行錯誤をしながら何本も線を引いた。
 もう、待ってばかりはいられない。

「カミーユ、これを見てくれ」
 翌朝、朝食後の作業はじめの前。朝日が差し込む作業場の明るい窓辺で、俺はカミーユに昨夜ずっと向かい合っていた型紙を広げて見せた。
 カミーユは型紙をじっくりと見てから口を開く。
「……これをどうするんですか?」
 指でそっと線をなぞっている。練習用の型紙の上にはドレスのデザイン画が描かれている。
 少し突き放すような目をするカミーユに、俺は堂々とこう言った。
「母上のドレスは俺が縫う」
 それを聞いたカミーユは、目を閉じてからゆっくりと言う。
「デザイン画を拝見する限り、これをソンメルソ様がこれから作るのでは、ずいぶんと時間がかかるでしょう」
「カミーユの見立てではどれくらいかかる?」
 俺の問いに、カミーユはもう一度デザイン画を見て答える。
「これを全部ソンメルソ様ひとりでやったら、一年はかかるでしょう。
 それでもやりますか?」
「当たり前だ。はじめなきゃできあがらないんだ!」
 勢いづいた俺の言葉にも、カミーユは臆することがない。じっと俺の目を見据えて、カミーユは真剣な声でこう言った。
「布屋と糸屋の場所は、アルフォンスに訊いてください。
 もしお店と金額の交渉をするのであればギュスターヴを連れて行くように。
 はじめに預かったお金はお返ししますので、その範囲でできるよう勤めてください」
 それから、ヒュースに指示を出して板巻きのニードルレースが置かれた棚の奥から、俺がこの店に来たときに持ってきた財布を持ってこさせた。
 財布を渡されたので中身を確認すると、中身は全く増えても減ってもいない。たいした管理能力だ。
 俺が財布を手に取ったのを見て、カミーユはにこりと笑う。
「このデザインのドレスを縫うのは、ソンメルソ様には相当な難問です。
 ですが、もうご自分で仕立てるために必要な最低限のことは教えました。
 あとはあなたががんばるだけです」
 その口ぶりを聞いて、俺はようやく気づいた。カミーユは元より、俺に母上のドレスを仕立てさせるつもりだったのだ。
「ドレスを縫っていて躓いたりしたら、僕たちに助けを求めてください。お手伝いさせて頂きます」
 カミーユの堂々とした口ぶりに、やられた。と思うほかない。ドレスを発注するには少なすぎる俺の予算。それは、仕立て屋が自らを養うだけの稼ぎにならないから少ないというだけで、自分で仕立てるならなんとか足りるかもしれない金額なのだろう。
 今まで働いた分の賃金は、裁縫の授業料だと思えば高くもない。
 俺は早速、財布を握ってカミーユに言う。
「では、早速布屋に行こうと思う。
 ギュスターヴとアルフォンスの同伴を頼めるか?」
「もちろんです」
 いかにも頼もしい表情をしたカミーユが、ヒュースに声をかけてギュスターヴとアルフォンスを呼んでこさせる。
 俺の勝負は、これからだ。

 結果として、勝負は早速躓いた。
「ソンメルソ様、申し訳ないです……」
 布屋からカミーユの店へと戻る道中、何度もギュスターヴが頭を下げる。なにがあったのかというと、布が高すぎて買えなかったのだ。
 値下げ交渉をギュスターヴに頼んだのだけれど、それでも布の値段は財布の中身を凌駕した。
「いや、ギュスターヴはなにも悪くない。
 俺の見通しが甘すぎた……」
 まさか、布がここまで高いとは思っていなかった。これだと糸すら買えるかどうかあやしい。
 冷たい風が吹いて、足下を枯れ葉が追い抜いていく。失意の中カミーユの店に戻り、布が買えなかった旨を報告する。カミーユは全くおどろいたようすを見せなかった。
「布も結構しますからね。
 とりあえず、一度屋敷に戻られてはいかがですか?
 母君の採寸もしないといけないでしょう」
「あ、ああ……まず採寸をして、それから最小限の必要量を計算して、また買いに行ってみる……」
 少しでも費用を抑えるには、それしか手が浮かばなかった。
 不安しかない。ほんとうに俺は母上のドレスを完成させられるのだろうか。
 不安を抑えるために、せめてもの願掛けに、カミーユにこう頼み込む。
「どうか、母上のドレスを縫っている間、この作業場を使わせてくれ、頼む」
 カミーユにドレスの発注をしたときのように、深々と頭を下げる。すると、カミーユの優しい声が聞こえてきた。
「もちろんです。
 僕たちはもう、あなたの味方ですよ」

 翌日、俺は半年ぶりに貴族の服を着て屋敷へと戻った。
「ソンメルソ、どこへ行っていたのですか?」
 帰るなり出迎えてくれたのは兄さんだ。心なしか半年前よりもやつれて見える。やはり兄さんには、母上の補佐とはいえ伯爵の職務はつらいのだろう。
「兄さん、母上はどうしてる?」
「母上は今、部屋で休憩してらっしゃいます。
 まずは母上に挨拶をしてください。母上も、あなたのことを心配していたのですから」
 本来なら、屋敷の中を俺や兄さんが歩くときは使用人が先導するものだ。けれども、そんな使用人はいなくなって久しい。兄さんとふたりで母上の部屋の前に立ち、兄さんがドアを叩く。
「母上、ソンメルソが帰りました」
「まあ。どうぞ中へ」
 ドアの向こうから聞こえてくる母上の声は弾んでいる。久しぶりの再会をよろこんでくれているようだ。
 兄さんが重いドアを開け、部屋の中に入る。俺もそれに続く。すると、大きな窓から差す冷たい光を受けて、母上がソファに座ってくつろいでいた。ソファの側にはサイドテーブルが添えられ、その上にはティーセットとちいさな皿、それにフォークが置かれている。
 ああ、母上は相変わらずきれいだ。そう思っていると、母上が心配そうな顔でこう言った。
「私のドレスを用意すると言って出て行って、今までどこでなにをしていたの?
 私もエルカナも、ソンメルソのことを心配していたんですよ」
 たしかに、事情をきちんと説明せずに家を出たのは申し訳ない。けれども、ドレスを仕立てるお金を稼ぐために仕立て屋で下働きをしていた……どころかいろいろと迷惑をかけていたとは言いづらいので、少し考えてからこう返す。
「母上のドレスを仕立てるための修行をしていました。
 腕の良い仕立て屋の噂を聞いて、そこに弟子入りしていたのです」
 なんとかごまかせただろうか。少しひやひやしていると、兄さんが涙ぐみながらこう言う。
「まさかあなたが母上のドレスを仕立てるために修行だなんて……なんて親孝行なのでしょう。
 天国にいる父上も、きっと誇らしく思ってくれるでしょうね」
 全く疑わずに俺の言葉を受け止めている兄さんのようすを見て、母上は少しだけため息をつく。おそらく、実情はもう少し違うものだと勘づいたのだろう。
「そんな無理なんてしなくてよかったのに……私にはドレスなんて必要ないのですから」
 諦めたような母上の言葉に、俺はすかさず返す。
「新しいドレスがあればメルシエ侯爵のパーティーに行けるとおっしゃったのは母上ですよね?」
 俺の言葉に、母上は図星を指されたような顔をする。それを見て兄さんがきょとんとして俺と母上をきょろきょろと見返すので、とりあえず話題を変えることにする。
「ところで、俺がいない間母上と兄さんはうまくやれましたか?」
 その問いに、母上はにこりと笑ってこう言う。
「もちろん。エルカナがいてくれたおかげで、他の貴族からの横やりも躱せたの」
「えっ?」
 まさか兄さんがそんな政治的手腕を?
 俺が思わず戸惑っていると、母上はこう続ける。
「私が体調を崩したところを見計らって謀ろうとする人はそれなりにいたけれど、エルカナが身体に良い食べ物を出してくれたから体調の回復も早かったし、それで謀を躱せた感じね」
 どういうことかと思って兄さんの方を見ると、兄さんははにかんでこう言った。
「修道院では、体調を崩した人に旬の野菜のスープや、焼いた果物を食べさせるんです。もちろん、あたたかいものを。
 そうすると、自然と病魔が退散するんですよ」
 なんでもないことのように兄さんは言っているけれど、やっていることは医者のそれだ。たしかに兄さんは、貴族としては無能かもしれない。けれども修道院に入って、大切なことをたくさん学んでいたのだ。
 俺が思わずおどろいていると、母上がフォークを持ってくすくすと笑う。
「さっきも、エルカナが作ってくれた蜂蜜たっぷりの焼き林檎を食べていたの。
 あんまりおいしいから、おかわりが欲しいなって思うほどなのよ」
「おいしかったですか?
 それなら三人分作りましょうか?
 私とソンメルソと母上の三人でいただきましょう」
「そうね。お茶ももう少しあるし」
 母上と兄さんが楽しそうに話している光景が、なぜかまぶしく見える。もしかしたら、父上が生きていた頃、輝かしい日々を過ごしていた頃と重ねているのかもしれない。
 けれども、あの日々は帰ってこない。前に進むために……俺はドレスを仕立てなくてはいけない。
 そのためには布だ。布の用尺を計算するために母上の採寸をしなくては。
 仲良く話す母上と兄さんの話をどう遮って切り出すか。それを考えてふと窓を見ると、天井まである大きな窓を覆い尽くせるほどのカーテンが束ねられているのが目に入った。
 言葉が思わず口をついて出る。
「母上、屋敷のカーテンを何枚か頂いて良いですか!」
 突然のことに兄さんはもちろん、母上もおどろいた顔をする。
「使っていない部屋があるからそこから取っていっていいけれど……なにに使うんですか?」
 戸惑う母上に、俺はカーテンの裾を広げて見せて答える。
「これで母上のドレスを仕立てます!」
 母上と兄さんがおどろいたような顔をする。それを際立たせるように陽が沈んでだんだんと赤くなる。まるで、この赤いカーテンと溶け合うように。

 せわしない。と兄さんは言った。その言葉を俺は振り払った。
 母上の許可を得て屋敷のカーテンを何枚か拝借し……空き部屋のものだけでは足りそうになかったので、俺の部屋のものも外して……俺はカミーユの店へと戻っていた。作業場を借りるためだ。
 母上の採寸もやって、トワルを組むところまでは済ませた。あとはドレスを完成まで持っていくだけだ。
 母上のドレスを縫っているのは俺だけ。カミーユの手も、ヒュースの手も借りていない。
 カミーユの店での生活をまたはじめて、一ヶ月、二ヶ月と立つうちに、ドレスがだんだんと仕上がっていった。使っているジャガード織りのカーテンは日に焼けていて所々色褪せているけれど、ここはとりあえず縫い上がってからどうにかしよう。
 そして俺はついに、母上のドレスを縫い上げることができた。
 トルソーに着せて、カミーユにできあがりを見てもらう。すると、カミーユは満足そうに頷いてこう言った。
「はじめての仕事にしては十分な出来でしょう。
 でも、僕ならもう少し手を加えますね」
 やはりダメ出しはあるか。そう思ったけれど、ここまで自力でできたことに充実感はあった。
 そこに、ヒュースがこう言った。
「ところでパニエは?」
 パニエと聞いて、俺の顔から血の気が引いていく。
 そうだ、まだパニエを作らないといけないんだ……!


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