「仕立て屋伯爵」第3話
第3話
街路樹が青々とし、強い日差しが降り注ぐようになった頃。俺がカミーユの仕立て屋で運針の練習をはじめて二ヶ月ほど経った。
相変わらずカミーユは、運針と型紙、それにトワルを組む練習をする俺を傍目に、作業場の中でもいちばん明るい窓辺で依頼品のドレスを縫っている。
今となっては服を縫うなんて簡単なことだとは口が裂けても言えなくなったけれど、それでも仕事の手伝いをさせてもらえないことの不満は膨らんでいた。
働いて稼げといったのはカミーユなのに、そもそも働かせてくれない。これじゃあ母上のドレスを注文するだけのお金が稼げない。正直言って、焦りもあった。
不満を抱えつつ、ヒュースに監視されながら今日もトワルを組む。最近はいちばん難しいと言われている袖付けもだいぶきれいにやれるようになってきた。
組み上がったトワルをトルソーに着せ、ヒュースに見せる。すると、ヒュースはいつものように目を細めて、決して見落としがないように縫い目とトワルのラインをチェックする。
またダメ出しをされるのだろうか。緊張しながらそう思っていると、ヒュースがいつもと違う動きをした。トワルをトルソーから外してカミーユの元へと持っていったのだ。
思わず心臓が跳ね上がる。今日のはよっぽど出来が悪かったのだろうか。
どきどきしながらトワルを見ているカミーユから目をそらしていると、カミーユから声がかかった。
「ソンメルソ様、こちらへ来てください」
「は、はい」
いったいなにを言われるのだろう。修正点をすぐに直せるよう、糸と針山を持ってカミーユがいる明るい窓辺に行くと、カミーユはドレスのスカートとおぼしき布を二枚、俺に差し出した。
「今日から、あなたにも依頼品の縫製を手伝ってもらいます」
驚きとよろこびでまた心臓が跳ね上がる。
やっと、やっと稼ぐための仕事ができるんだ。
カミーユは俺の内心に気づくことなく、いつも通り穏やかな声で続ける。
「思ったよりも上達が早くておどろきました。
これからは仕事を手伝ってもらいながら、運針の精度を上げてもらいます」
「は、はい!」
「もう、夜中に夜更かしをして練習なんてしてはいけませんよ」
くすくすと笑ってそう言うカミーユの言葉に、思わず顔が熱くなる。夜更かしをしていたというのはおそらくアンナから聞いたのだろう。それだけならまだしも、知らぬ間にカミーユにも心配をかけていたということがわかって、急に恥ずかしくなった。
まごまごしていたら、ヒュースが睨みつけるような目で俺を見る。さっさとカミーユの仕事を手伝えということだろう。
早速カミーユからドレスのスカートと同じ色の糸を分けてもらって、針に通す。それから、指示されたとおりに布を縫い合わせていった。
しばらくスカートを縫うのに夢中になっていたけれど、そういえばヒュースは普段どんな仕事をしているのだろう。カミーユの手伝いだろうかと疑問になった。
「あの、ヒュースには手伝わせないのか?」
俺がそう訊ねると、カミーユは一瞬目をそらしてから、にこりと笑って答える。
「あの子はあの子で注文を受けているんですよ。
ヒュースが受ける依頼は、僕と比べて納期を長めにとってもらっているので、今回ソンメルソ様の指導を任せられた形ですね」
そうだったのか。俺がこの仕立て屋に来て二ヶ月、ヒュースは仕事をする素振りもなく、カミーユが作業場にいる間はずっと俺につきっきりだった。
練習用の紙や布の費用を負担させていただけでなく、仕事まで滞らせていたのかと思うと申し訳なさを感じる。けれども、そうなるとますますそんな経費を俺にかけるなら母上のドレスを早く作ってくれるか、いっそのこと依頼を断ってくれればいいのにとも思った。
ちらりとヒュースがいる方を見ると、きっと俺が来る前から受けていた依頼なのだろう、カミーユが手がけているものとは別のドレスを縫っている。たしかに、カミーユよりは縫う速度が遅い。それでも俺よりは全然手際が良い。
仕立てというのはほんとうに奥が深い。しみじみとそう思いながら、カミーユの手伝いを続けた。
今日も仕事終わりの時間だ。
仕事終わりの時間の目安はだいたいアルフォンスが作る夕飯の匂いが漂ってきたら。という感じになっているようなので、毎日きっちりと決まった時間ではない。
もう少しやれると思うときもあるけれど、おいしそうな料理の匂いには勝てない。夕飯の時間が近づくと、ヒュースがいの一番に匂いに気づいて作業場を飛び出し、カミーユもいそいそと杖を手に取って立ち上がる。そうなると俺も居残りをするのは気まずいし、にわかにおなかが空いてくるので、カミーユと共に居間に向かうのだ。
今日も、質素だけれどあたたかい料理がテーブルに並ぶ。今日はパンにキュウリとベーコンを乗せて焼いた物と、なすとネギたっぷりのスープがそれぞれの席の前に、それぞれの器に盛られて用意されている。
そういえば、ここに来てしばらくは料理を大きな器に盛ってまとめて出していたのに、このところはこうやって各自の分をあらかじめ取り分けて出している。
まぁ、そうする理由はわからないでもない。大きな器で出されると、俺とヒュースが他の人の分を考えずに多めに食べてしまうからだろう。以前は夕食後、たまに夕飯が足りなかったと言ってアンナが来客用のクッキーをアルフォンスに分けてもらっているのを見たものだ。ほんとうに申し訳ない。
談笑しながら夕食を食べていると、教会の鐘の音が聞こえてきた。夜が来る準備をはじめろという合図だ。
鐘の音を聞いたからだろうか、ギュスターヴが誰ともなしに言う。
「明日は日曜礼拝だから、みんな早く寝るんだぞ」
これは、土曜の夜にギュスターヴが必ず言う決まり文句だ。そして、この決まり文句には続きがある。
「兄貴もマジで早く寝ろよ」
「善処するね」
どうやらカミーユは平民にしては珍しく読書が趣味らしく、土曜の夜には夜更かしをして本を読んでいることがあるらしい。
礼拝の前夜に夜更かしをするカミーユに、もう夜更かしをしないようにと言われるのはなんとなくおかしな感じがするけれど、今夜は久しぶりに早めに寝ようと思った。
夕食後、早く寝るつもりだったけれどもなかなか寝付けなくて、もうくせになってしまっている運針の練習をしていると、誰かがドアをノックした。
一瞬、アンナが来たのだろうかと思ったけれど、そうではないことがすぐにわかった。
「少々よろしいですか」
ドアの向こうから聞こえてきたその声は、アルフォンスのものだったからだ。
「どうぞ中へ」
俺がそう返すと、カップを持ったアルフォンスが、静かに部屋に入ってきた。
机の上にカップが置かれる。甘い匂いがする。ホットミルクだろう。
「夜更かしは、ほんとうにだめですよ」
いつもの闊達な調子ではなく、いささか落ち込んでいるように聞こえるその言葉に、俺は座ったままアルフォンスのことを見上げる。
「でも、もう夜も運針の練習をするのがくせになってしまったようで……」
俺がそこまで言うと、アルフォンスが言葉を遮る。
「それがまずいんです。そうなる前に止めるべきだった」
今にも泣きそうな声に、俺はどうしたら良いのかがわからない。なにも言えずに黙っていると、アルフォンスがぽつりぽつりとこう語った。
なんでも、カミーユがまだ若かった頃、当時はまだ店を支えられる職人が彼ひとりということで、毎日夜中まで仕事をしていたのだという。
いつも寝不足なカミーユのことを心配はしていたけれども、食事をして、たまにぐっすり眠れることがあればそれで大丈夫だとアルフォンスは思っていたらしい。
けれども、ある急ぎの仕事を仕上げて品物を送り届けたあと、突然カミーユが倒れて数日寝込み、再び起きた頃には脚がきかなくなっていたのだという。
それから数年の間、カミーユは服の仕立ての仕事もできず、車椅子で生活していたそうだ。
医者の助言もあって今では杖をつけば歩けるまでには回復したけれども、倒れる前ほど自由に歩くことはできない。そんな状態が十年以上続いているとアルフォンスは言った。
「だから、だめなんです。夜更かしは。
もう無理しないで、ちゃんと寝てください」
カミーユの脚のことを余程悔いているのだろう、今にも泣き出しそうなアルフォンスに、俺はホットミルクに口をつけてから返す。
「正直言って、俺はもう夜更かしをするのがくせになってしまっているから。
でも、このホットミルクを飲めばぐっすり眠れる。
だから、俺が寝られてなさそうだったら、ホットミルクを持ってきてくれないか?」
すると、アルフォンスは困ったように笑う。
「手のかかる子ですね。
でも、カミーユ兄ちゃんほどじゃないか」
それから、飲み干したカップを持って部屋から出て行った。
アルフォンスの背中を見送って、俺はランタンの火を消した。
日曜礼拝の翌日、店に客がやってきた。どうやら貴族ではなく、金持ちの商人のようだ。
カミーユが応接間に行くと、ヒュースが俺に手招きをする。なにかと思って行ってみると、応接間の手前に連れて行かれた。
ヒュースが小声で言う。
「カミーユおじさんの対応を聞いておいてください。
もしかしたら今後、ソンメルソ様も来客対応に同席してもらうこともあるかもしれないので」
「俺が……来客対応……?」
伯爵として、今までに来客対応をしたことは数え切れないほどある。けれども、平民の来客対応というのはどんなものだろう。純粋に興味がわいた。
応接間の前で耳を澄ませていると、中から声が聞こえてくる。
「いま縫ってもらっているドレスの出来はどうかな?」
「そうですね、ヒュースが丹精込めすぎていて少々時間がかかってしまっていますが、いい出来ですよ」
今ヒュースが縫っているドレスの依頼主かと直感する。ヒュースの仕事の進捗が滞っているのは俺のせいなのだけれど、カミーユは角の立たない言葉を選んで、遅れていることを伝えている。なかなかのやり手だ。
「そうかそうか。
それで、約束通りドレスにレースをあしらってくれるのだよね」
その言葉に思わず応接間に飛び込みそうになる。当然ヒュースに止められた。
カミーユと話をしている商人は、裕福なのだろう。そうでなければ、今ヒュースが縫っているドレスのように手の込んだ装飾はつけられない。でも、いくら裕福だからといって、貴族階級にない者がレースを使うなんていうのは言語道断だ。
そう思っていると、穏やかなカミーユの声が聞こえてくる。
「もちろんです。
ニードルレースはさすがに使えませんが、庶民向けのクロッシェレースならお叱りを受けることもないでしょう。
それに、クロッシェレースも十分に華やかですし。
ドレスにあしらうクロッシェレースは、リザとアンナが編んでいる最中です」
庶民の服にレースを使うなんて。という憤りを感じると共に、気になったことがある。
庶民向けのレースというのはなんだ?
「ヒュース、クロッシェレースというのはいったいなんだ?」
小声でそう訊ねると、ヒュースは応接間の前を離れて手招きをする。それについていくと、奥にある階段を上って家族の部屋がある二階に行き、アンナの部屋のドアを叩く。
「作業中か? ちょっといいか」
「どうぞー」
中から聞こえてきたアンナの声に、ヒュースはドアを開けて中に入る。俺も入るようにと視線で促している。
「し、失礼する」
女性の私室に入っていいものかと戸惑いながら中に入ると、アンナとリザが椅子に腰掛けて、細い金属の棒を操ってレースを編んでいた。
「これがクロッシェレースです」
ヒュースの言葉に、まじまじとレースを編むリザの手を見る。レースを作るのには膨大な手間と時間がかかると聞いているけれども、リザの手つきを見る限りでは想像していたほどではないなという印象だ。
「ヒュース、急にどうしたの?」
素早く手を動かしながらもきょとんとするリザに、ヒュースが簡単に説明をする。
「ソンメルソ様が、クロッシェレースとはどんなものかと訊いてきたから」
「あー、義兄さんからなにか聞いたのかな?」
「そう。カミーユおじさんが商人の服にレースを使うと言っているのを聞いて、面食らっていた」
納得したような顔をして、リザは手元にあるレースを広げて俺に見せる。
「多分、ソンメルソ様は庶民の服にレースを使うなんてとんでもないことだって思ってらっしゃいますよね?」
「もちろんだ」
即答する俺に、リザはレースをよく見るようにと言う。少し恐縮しながら近づいてリザが編んでいるレースを見ると、カミーユが作業場にたくさん蓄えている板巻きのレースとはなにかが違う気がする。でも、なにが違うのかがはっきりとはわからない。
きっと難しい顔をしていたのだろう。リザが丁寧にレースについて話しはじめる。
「今私とアンナが編んでいるのは、貴族向けのニードルレースとは違って、もっと簡素なものです。
ニードルレースは縫い針を使って編んでいくのでこれとは比較にならないくらいに時間がかかりますし、十年も編み続ければ目が潰れてしまいます。
けれどもこのクロッシェレースは、見ての通り素早く編めます。庶民が着ているセーターの延長にあるものですよ。
言ってしまえば、正式ではないレースです」
「そ、そういうものなのか?」
貴族が使っているレースが想像以上にたいへんなものだと知ると同時に、庶民が着る服の延長上にあるレースの存在を知って、なんとも不思議な気分だ。
まじまじとクロッシェレースを見ていると、アンナも口を開く。
「素早く編めるって言っても、それでもそれなりの時間はかかりますし、なにより糸を食いますからね。
これを使える庶民は、よっぽどの金持ちですよ」
素早く手を動かしているアンナの手元でも、少しずつレースができあがっていっている。そのさまについ見惚れてしまった。
そして、ついこんな言葉が口をついて出た。
「クロッシェレースの編み方を、俺にも教えてくれないか?」
すると、アンナがおどろいたような顔をしてリザを見る。
リザはおっとりと微笑んでこう言う。
「いいですよ。
でも、義兄さんの仕事のあとだと、夜更かしすることになるのでだめです。
日曜礼拝のあとの、明るい時間に少しずつ、アンナに教えてもらってください」
「ああ、ありがとう」
礼の言葉を言ってからはたと思う。
「リザが教えてくれるんじゃないのか?」
俺の疑問に、アンナがため息をつく。
「日曜礼拝のあとは、近所のネコチャンと遊ぶので忙しいのよ、お母さんは……」
「近所の猫」
日曜礼拝のあと、気がつけばリザが毛だらけになっているのはそういうことだったのか。
妙に納得しつつ、それでは週末に。とアンナと約束をした。
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