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「仕立て屋伯爵」第5話

第5話

 メルシエ侯爵からパーティーの誘いが来て一年。あの時と同じ春の日に、パーティーに出席しないかという手紙が届いた。
 手紙は俺宛だったけれども、あいにく俺は屋敷を空けていたので、代わりに母上が受け取ったようだった。
 母上はその手紙を机の奥底へとしまい込もうとしたらしいのだけれど、兄さんが珍しくめざとく見つけてこう言ったらしい。
「今ちょうど、ソンメルソがドレスを縫ってくれていますし、ぜひ出席してドレスをお披露目しましょう!」
 多分、兄さんは俺が縫ったドレスを他の貴族に自慢したいだけだったのだと思う。そして母上はそれがわかってしまったが故に、手紙をしまい込むわけにはいかなくなった。
 だから、兄さんはわざわざ俺の元まで、うれしそうにパーティーのお誘いの手紙が来たことを伝えに来られたのだろう。
 兄さんがカミーユの店の前から去ったあとも、俺は縫い続けた。
 パーティーまであと一週間。このチャンスは絶対に逃がさない。

 パーティー前夜、俺は荷物を抱えて屋敷へと戻った。いつもより大きな満月が輝いていた。
 屋敷の中へ入ると、母上や兄さんは当然のこと、使用人もみな寝静まっている。窓越しに月の光が照らす廊下を歩いて、母上の部屋の前に立つ。十二時を示す時計の音が、応接間からかすかに聞こえてくる。
 ノックをせずに母上の部屋のドアを開け、そっと中に入る。母上は天蓋付きのベッドの上でぐっすりと眠っているようだ。
 カーテンの隙間から漏れる月明かりだけを頼りにソファに歩み寄り、そっと持っていたものをそこに置く。
 それから、足音を消して母上の部屋を出た。

 そして来るパーティー当日、約束通り母上と一緒にメルシエ侯爵主催のパーティーへと出席した。
 季候の良い春の時期だからだろうか、招かれている他の貴族はみな、華やかな絹で縫われたローブ・ア・ラ・フランセーズやアビ・ア・ラ・フランセーズを着ている。特に令嬢や婦人たちが着ているドレスはみな鮮やかな色柄で、壮麗なシャンデリアにも負けないほどだ。
 そんな中母上が着ているのは刺繍が施されているとはいえ地味な色で、しかもウール地のドレスだ。合わせているアクセサリーも父上からもらったもの、もう十年以上昔のものだ。
 周りの婦人の笑い声が聞こえる。
「あら、あそこにいるのは没落貴族の」
「ずいぶんと貧相なドレスね。恥ずかしくないのかしら」
「デザインも流行遅れだし」
「ネックレスもブローチもくすんでるじゃない」
 聞こえよがしな嘲笑に、母上が悔しそうにうつむく。そんな母上の背中を軽く叩いて、俺は小声でこう言い聞かせる。
「自信を持ってください母上。
 このパーティーの主賓は母上なんですから」
「でも……」
 恥ずかしそうに壁際へ向かおうとする母上の手をつかんで引き留める。
 すると、俺の横からたくましい手が上品に差し伸べられた。
「サルトル伯爵、そこを代わっていただいても?」
 そう言ってすかさず俺の代わりに母上の手を取ったのは、メルシエ侯爵だ。
 俺はにこりと笑ってこう返す。
「閣下の仰せを断るわけにはいきません」
 そしてすぐに、メルシエ侯爵と母上の側から身を引いた。
「マグダレーナ、私と一緒に踊ってくれませんか?」
 メルシエ侯爵は、母上にそう問いかけてはいるものの、答えを待つ間もなくダンスホールの方へと誘っていく。
 婦人たちの視線が母上に集まる。その視線はすべて、嘲りと、妬みと、嫉みが詰まっていた。
 ホールの隅で演奏をしている楽団がいったん音楽を止め、軽やかな音楽を奏ではじめる。母上が踊るのを得意としている曲だ。
 曲に合わせて母上とメルシエ侯爵がステップを踏む。そして、母上が軽やかにくるりと回った瞬間、ホールの中に光の花が咲いた。
 婦人たちの目の色が変わる。みな、母上のドレスに釘付けになっている。
 母上が踊ってスカートとパニエの裾が翻る度に、流れ星のような輝きが瞬く。その輝きの中心には、ガラスの輝きを放つ花が刺繍された、白い靴。婦人と令嬢たちの視線が、羨望へと変わっていく。
「なんてドレスなの! 隠れるパニエに、あんなにたっぷりレースを使うなんて!」
「しかもあのレース、ビーズが編み込まれてるわよ!」
「袖の内側にもビーズのレースがあるわ!」
「野暮ったく見せておいて踊ると輝くなんて、こんなデザインを思いつくのはどこの仕立て屋かしら?」
「あのガラスの靴はなに?」
 それぞれに驚きを口にしているけれど、母上を直接褒めるようなことは口にしていない。ただただ羨望の念を口から吐き出している。そのうちに、ある令嬢がこう言った。
「あんなドレスを仕立てられるなんてずるい! 私もあのドレスが欲しい!」
 その言葉が聞こえたのか、母上が悠然と微笑んで、一瞬俺を見た。
 楽団の演奏がクライマックスを迎える。母上は軽やかに踊って裾を翻す。裾のビーズがきらめく度に、周りからため息が聞こえてくる。
 曲が終わって踊り終わると、周囲から拍手が巻き上がった。
 母上のために縫ったドレスは大成功だ。俺は充足感を感じながら、ドレスを縫っていたときのことを思い出していた。

「正気か?」
 窓際からの光が届ききらない作業場で、ヒュースの遠慮ない言葉につい縮こまりそうになる。けれども俺は、譲らなかった。
「正気だ。パニエの裾にはガラスビーズを編み込んだクロッシェレースを使う」
 俺の言葉に、ヒュースはちらりとカミーユの方を見てからさらに訊ねてくる。
「誰がクロッシェレースを編むんだ」
「俺が編む。どうせ端処理をしなければいけないのなら、まとめてレースを編みつけてもたいして変わらないだろう」
 俺とヒュースの視線がぶつかり合う。ヒュースが言いたいことはわかっている。俺の作業速度で今からクロッシェレースを編んで間に合うのか。そう言いたいのだろう。
 正直言えば、間に合う気はしない。けれどもここで妥協することも諦めることもできない。もう、最後まで走りきるしかないのだ。
 ヒュースがなにかを言おうと口を開きかけた瞬間、カミーユが言葉を投げてきた。
「その案には賛同しかねます」
 物憂げな表情ではっきりと言われて、ショックだった。カミーユなら俺のやることを応援してくれると、気づかぬうちに思っていたのだ。
 ショックだけれど、後には引けない。どうやって言い返すか。そう考えていると、カミーユは厳しい口調でこう言った。
「ソンメルソ様のプランは、無理があります。あなただけではそのドレスを期日までに完成させることは無理でしょう」
 熟練の仕立て屋であるカミーユにそう言われても、納得するわけにはいかない。
「でも俺は」
 言い返そうとする俺の言葉を遮って、カミーユが鋭く言葉を放つ。
「僕に提案があります」
「提案?」
「ソンメルソ様が縫ったパニエの裾にレースを編みつけるのは、ソンメルソ様にもやっていただきます。
 そこに、リザとアンナの応援をつけてください。あのふたりならソンメルソ様より素早く、うまくやるでしょう。
 それと、はじめに出したデザイン通り、袖にもクロッシェレースをつけるのなら、袖はギュスターヴにやらせます。
 この提案が飲めないのなら、僕たちはもう、ソンメルソ様に手を貸せません」
 カミーユの提案に、俺はおどろいた。この提案は、俺にとって不利になるところがひとつもないどころか、助かることばかりだからだ。この提案を飲まない理由はない。
「わかった。そこはカミーユたちに任せる」
 俺がそう返すと、カミーユはさらにこう言った。
「では、ついでにこちらも提案させていただきます。
 カーテンで作ったドレスなのですが、色褪せてしまっている部分が多くあります。
 その色褪せている部分に、織り柄と同じ柄の刺繍を、僕とアルフォンス、それにヒュースの三人で施そうと思います。
 この案はいかがなさいますか?」
 一応質問というテイを取っているけれども、有無を言わせないと言った口調だ。おそらく、カミーユならもっと手を加えると言っていた部分なのだろう。
 これも断る理由はない。
「それもカミーユたちに任せる」
 とにかく必死だった。母上のドレスを完成させるために、必死だったのだ。
 だからその時は、感謝の念を抱いているどころではなかった。
 カミーユの提案通りの方針で作業を進めるようになったのは、メルシエ侯爵からパーティーの招待状が来た頃のこと。パーティー当日の一週間前だ。
 その日からカミーユは、他の仕事をすべていったん止め、俺が縫いはじめた母上のドレスにかかりきりになった。
 明るい日が差す朝から、空が茜色になる夕方まで。俺とカミーユ一家総出で手を動かし続けた。
 間に合うかどうかわからない。そんな緊張感の中でも、夜はしっかり寝るようにとアルフォンスから指示を出される。いや、あれはもはや指示ではなく命令だった。
 夕食後はみな早々とベッドにもぐり、翌朝早めに起きて早めに朝食を食べて、また作業場で黙々と手を動かす。
 そして、パーティーの前日にようやくドレスがほぼ完成した。
 結局のところ、パニエに編みつけているレースはほとんどリザとアンナが編んでしまったし、袖のレースはギュスターヴが、その他刺繍はカミーユとアルフォンス、それにヒュースがやってしまったので、俺はほとんど役立たずだったのだけれど。
 それなのに俺が母上のドレスをすべてトルソーに着せつけると、カミーユは優しく笑ってこう言った。
「おつかれさまでした。あとは細かいところの処理だけですね。
 ほんとうに、ここまでよくがんばりました」
 杖をついて立ち上がって、俺に深々と頭を下げるカミーユに、なんて言えば良いのかがわからなかった。
 ドレスがここまで仕上がったのは、カミーユたちのおかげだ。ここまで俺に付き合う義理なんて無いはずなのに、それなのに付き合ってくれたカミーユたちのおかげだ。
 どんな風にお礼を言えば良いのかがわからなくて口をつぐんで俯いていると、カミーユが顔を上げて、板巻きレースを置いている棚に近づいて、その奥から箱を取り出した。
 小さい箱ではない。カミーユの両手からはみ出るくらいの大きさの箱だ。
「ソンメルソ様がここまでがんばったお祝いの品です。
 どうぞ、受け取ってください」
「そんな、ここまでやってもらってお祝いまで……」
 さすがに受け取れない。そう思って俺が差し出された箱を押し戻そうとすると、カミーユは少し強い口調でこう言う。
「いえ、これは絶対に必要になるものです。受け取ってください」
「……いったいなに……」
 珍しく強引なようすに、少し不審に思いながら箱を受け取って蓋を開ける。するとその中には透明なガラスビーズで花の模様が刺繍されている、白い靴が入っていた。
「あ!」
 思わず声を上げてしまった。そんな俺を見て、カミーユはくすくすと笑う。
「ドレスのことで頭がいっぱいで、靴のことまで考えていなかったでしょう?」
 そう、靴のことが完全に頭から抜けていた。
 カミーユの指摘に、思わず靴の入った箱を抱きしめる。すると、俺の目から涙があふれてきた。
「なんで、なんでこんなことまで……!」
 しゃくり上げながら俺がそう言うと、カミーユはこともなげに返す。
「その靴は、今までソンメルソ様が働いた分のお金で買いました。
 だからなにも遠慮などいりません」
 靴は俺が働いた分だとしても、カミーユやその家族が俺にしてくれたことは生半可なことではない。
 なんでカミーユたちは、突然やってきて無理難題を言った俺にここまでよくしてくれるのだろう。わからない。
 わからないけれど、この好意を無碍にすることは失礼になるということだけはわかった。
 腕の中にある靴と、ドレスを着たトルソーを見て胸がいっぱいになる。
「ありがとう、ありがとう……」
 俺は泣きながら何度も何度も、そう繰り返した。

 ダンスホールの中心で、母上が拍手を受けている。嘲りの視線は羨望へと変わった。
 そんな中で、メルシエ侯爵が跪き、母上の手の甲に口づけをしてこう言った。
「それだけ立派なドレスを仕立てられるなら、私の側にいても誰も文句は言わないでしょう。
 私の妻になってくれませんか?」
 その言葉に、周囲がざわめく。
 いまだ独身のメルシエ侯爵のことを狙っている婦人や令嬢はこの場にもたくさんいるのだろう。その中で、今まで没落貴族として嘲りを受けてきた母上へのプロポーズだ。周りがおどろかないわけがない。
 こうなるのがわかっていたとはいえ、母上は戸惑っている。
 それから、伺うように俺の方を見たので、俺は力強く頷いた。母上のほんとうの心に従ってくれと。
 母上はじっとメルシエ侯爵を見つめ返して答える。
「……仰せのままに……」
 メルシエ侯爵が立ち上がって母上のことを抱きしめる。それを見て俺はひどく安心した。
 ああ、これで母上もしあわせになれるんだ。


第1話

第2話

第3話

第4話

第6話


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