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「仕立て屋伯爵」第1話

あらすじ

 母に思いを寄せる侯爵からパーティーの誘いが着た。きっと未亡人の母にプロポーズするつもりだろう。母も侯爵に思いを寄せているはずなのに、没落貴族になったからかパーティーの誘いを断ろうとする。
 ドレスがないとパーティーに行けないと言われた主人公は、ドレスを仕立てて母の逃げ口上を防ごうと仕立て屋に向かう。
 けれども没落貴族の主人公には新しいドレスを仕立てるだけのお金がない。どうしたものかと思っていると、なんとかしてくれるかもしれない仕立て屋の話を聞く。
 その仕立て屋の元に行き予算を提示してドレスを仕立てて欲しいと言うと、仕立て屋はこう言った。
「それでは、これから僕の店で、住み込みで働いて頂きます」

第1話

 メルシエ侯爵から手紙が届いた。なんでも、今度開くパーティーに是非とも参加して欲しいとのことだった。
 手紙には丁寧にこんなことが書かれている。
「親愛なるサルトル伯爵。次こそぜひ、当家で行うパーティーに出席して欲しい。
 もちろん、あなたの母君マグダレーナも一緒に」
 表面上は俺宛の手紙だし、俺にお伺いを立てるような文面だけれども、メルシエ侯爵のお目当てが母上なのはずいぶん前からわかりきっている。
 別に、俺としては母上に言い寄ろうとするメルシエ侯爵に文句があるわけではない。むしろありがたいくらいだ。
 俺がまだ幼くて、兄さんが修道院に入る前のこと、前サルトル伯爵であった父上は、辺境から攻め込もうとしていた蛮族を押さえ込むために戦い、死んだ。
 その時に国から与えられた栄誉で今までこの家はなんとか持ってきた。
 いや、それは少々過大評価だ。国から与えられた栄誉と、父上と昔から親交のあったメルシエ侯爵の好意の支援で俺たちは今のところ、なんとかこの家を保てている。
 そんな恩があるメルシエ侯爵のことを、母上はずいぶん前から慕っていた。未亡人であるということと、早くして亡くなった父上の手前、その気持ちをひた隠しにしているけれども、隠している気持ちに気づかないほど俺は鈍感ではない。
 だから、こちらも必死で隠そうとしているけれども俺にはすっかり筒抜けなメルシエ侯爵の母上に対する好意、恋慕といっても差し支えのない気持ちがあるのであれば、強引にでも母上を娶ってほしいものなのだ。
 なんせ母上は未亡人といえども、父上の喪が明けて十年は経っている。新しい相手がいたとしても文句を言われる筋合いはないのだ。
 メルシエ侯爵が母上をパーティーに呼びたい理由は明確だ。母上にプロポーズをするつもりなのだろう。
 そのことは母上もわかっているはずなのに、メルシエ侯爵からの誘いを伝えるといつもこうだ。
「母上、メルシエ侯爵が今度催すパーティーにぜひ出席して欲しいとおっしゃっています。
 もちろん、母上も一緒に」
 メルシエ侯爵からの手紙が来る度の、何度目かわからない俺の言葉に母上は扇で顔を隠してこう返す。
「もし出席するのならソンメルソ、あなただけで行ってきてくれる?
 私は遠慮すると閣下にお伝えして」
 そうやって母上がメルシエ侯爵の誘いを断る度に、もどかしい気持ちになる。母上が誘いを断る理由がわかっているからなおさらだ。
 俺の家は、父上が亡くなってから瞬く間に没落した。国を守った見返りとして、伯爵という地位は保てているけれど、領地を保ち続けるだけの手腕がなかったのだ。
 母上は無能ではない。けれども病弱だ。その弱みを突かれて領地を他の貴族にむしられた。
 兄さんは、善良ではあったけれど正直言って賢くなかった。本来なら伯爵になるべきなのは兄さんだったのだけれど、あまりにも人に騙されやすいので、このままでは伯爵としての務めを果たすどころか人の世で生きていくことすら難しいと判断した母上に修道院に入れられた。
 そして伯爵になった俺も、有能とは言えない。母上の手を借りても、失いゆく領地を留めることができなかった。俺が兄さんより優れているところは、人を疑うことができるという一点だけなのだろう。
 これは余談だけれど、兄さんが修道院に入れられたばかりの頃、俺はきっとひどく兄さんに恨まれているのだろうなと思った。けれども、兄さんが修道院に入って一ヶ月もした頃だろうか、畑仕事も書写もたのしいし、なによりあたたかくておいしいごはんが食べられるというよろこびの声が俺宛に届いた。
 その便りの中には、つらい仕事を押しつけて申し訳ないことをしたと謝罪の言葉もあった。兄さんからの手紙を読んだ俺は、兄さんはあるべきところへ帰っただけなのだと納得できたっけ。
 兄さんからの手紙で気になるところがあるとすれば、あたたかくておいしいごはん。というのがどうにもわからなかった。俺はしっかりと冷ました食事しか食べたことがないからだ。
 パーティーで供される食事も全部冷たいし、あたたかくておいしいごはんというのが、どうしても想像できなかった。
 そう、パーティーといえば。つい物思いにふけってしまった頭を振って考える。メルシエ侯爵からの誘いを断ることができるだけの地位を、俺も母上も持っている。けれども、このまま断り続けていたら母上はしあわせになれない。
 だから俺は母上にこう言った。
「しかし母上、今まで何度閣下のお誘いを断ったでしょうか。
 たしかに俺は伯爵で、あなたはその母親です。断るだけの権限はあるでしょう。
 けれども、これ以上断り続けるのは、閣下の面子を潰すことになるのではないですか?
 どうか、しっかりお考えください」
 すると、母上はため息をついて扇を下ろす。ためらいがちに視線をさまよわせ、俺に聞こえないほどちいさな声でなにかをつぶやいてから、こう言った。
「それなら、ドレスの用意をしないといけませんから、一年ほどお待ちくださいと閣下にお伝えして」
 ドレスの用意、と聞いて俺は疑問を口にする。
「ドレスの用意もなにも、母上はパーティー用のドレスをお持ちでしょう。
 閣下のパーティーに行くのなら新調した方が、という気持ちはわかりますが、母上の事情を知っているメルシエ侯爵なら、着回しのドレスでも歓迎してくれるでしょう」
 そう、母上は多くはないけれど何着かパーティー用の華やかなドレスを持っている。それに、これは心苦しいことなのだけれども、今持っているドレスよりも華やかなものを仕立てるだけの経済的余裕はこの家にはない。
 なのに母上はこう続ける。
「私が持っているドレスは、流行遅れのものばかりだから」
 誤魔化そうとしている。
 母上は、一年間待ってくれと伝えれば、その一年の間にメルシエ侯爵が自分をパーティーに誘っていたことなど忘れるだろうと踏んでいる。その考えを俺に隠そうとしている。
 ならば、こちらにも考えがある。
「わかりました。閣下には一年猶予をいただけるようお伝えしておきます。
 それと、俺はこれから仕立て屋に行って母上のドレスを発注してきます」
「えっ?」
「だって、ドレスの用意が必要なんでしょう?」
 うろたえる母上に、俺はにっこりと笑いかける。ほんとうにドレスを作ってしまえば母上も後には引けないだろうし、そもそも今さら一年待たされたくらいでメルシエ侯爵が母上を諦めるとも思えない。
 俺は母上に一礼をして、早速仕立て屋へ向かった。

 平民たちが暮らしている街の一角、春の柔らかい日差しの下で子供が走り回るそこには何件もの仕立て屋が店を構えている。
 そういえば、母上が最後に仕立て屋に行ったのは何年前だろうと、仕立て屋に向かう馬車の中で物思いにふける。
 俺自身は、年に一、二回は仕立て屋に行っている。年々背が伸びるので、毎年仕立てないと着られる服がなくなってしまうのだ。
 このところ、身長も伸びなくなってきたので、節約のために服を作るのは控えるかと思っていたところに、今回の件だ。
 いつも俺が使っている仕立て屋は、腕は良いけれど紳士服しか扱っていない。それに少々値が張る。
 けれども、頼れる仕立て屋はそこだけだったので、まずは行きつけの仕立て屋に行って、母上のドレスを仕立てるのに良い仕立て屋はないかと訊いた。
「ソンメルソ様、母君のドレスを仕立てるとおっしゃいましても、ご予算はいかほどなのですか?」
 行きつけの仕立て屋の問いに、恥ずかしさをこらえて予算を伝えると、仕立て屋は沈鬱な表情になった。
 わかっている。俺が提示した予算は、ドレスを仕立てるには低すぎることくらい俺も自覚している。
 気まずい時間がしばらく流れて、仕立て屋がこう言った。
「どんなことでもする覚悟はおありですか?」
 俺は即答する。
「法に触れなければ」
 仕立て屋は頷いて、ゆっくりとこう続ける。
「それなら、なんとかしてくれそうな仕立て屋がいます」
「それは誰だ」
「仕立て屋のカミーユ。
 領主様からも覚えの良い仕立て屋です」

 あの仕立て屋の案内通り、カミーユという仕立て屋が構えている店に向かう。
 しかし、領主様からも覚えが良い仕立て屋となると、俺が提示する予算では到底手が出ないのでは? 俺は訝しんだ。
 そうこうしている間に目的の仕立て屋に着き、馬車を降りてドアを叩く。すぐにドアが開いて、エプロンを着けた壮年の男性が出てきた。年の頃は母上よりも上だろうか。
 男性が俺に一礼をする。
「いらっしゃいませ。仕立てのご注文ですか?」
 普段から貴族の相手もしていて慣れているというのが、男性の振る舞いから見て取れる。安心と不安を抱えながら、口を開く。
「そうです。母上がパーティーに着ていくドレスを仕立ててもらいたく、他の仕立て屋から紹介を受けてきました。
 あなたが仕立て屋のカミーユですか?」
 すると、男性ははにかんでこう答える。
「カミーユは俺の兄ちゃんです。
 それでは、お客様ということですので、中の応接間へどうぞ」
 男性に先導されて店の中に入っていく。通されたのは、豪奢ではないけれど上品な家具がしつらえられた部屋。ここが応接間なのだろう。
「こちらで少々お待ちください」
 男性に促されるままにソファに座る。クッションがしっかりしていて座り心地が良い。もしかしたら、へたってしまっている俺の屋敷にある椅子よりも上等な座り心地かもしれない。
 そして気がつけばテーブルの上にクッキーが用意されている。これを食べながら待てということなのだろうけれど、はじめて来る店で、軽率にものを食べるわけにはいかない。毒を盛られているかもしれないからだ。
 あの男性は部屋の外に出て行った。きっと、仕立て屋のカミーユを呼びに行っているのだろう。
 クッキーには手をつけず少しの間待つ。すると、足音と杖をつく音と共に先ほどとは別の壮年の男性が部屋に入ってきた。
 長い髪を無造作に束ねているけれど、粗野な感じはしない。むしろ、整った顔に穏やかな表情を浮かべているせいか、紳士的にさえ見える。
 男性がふわりと微笑んで俺に話しかける。
「はじめまして。僕が仕立て屋のカミーユです。
 早速失礼しますが、少々脚が悪いもので、座らせていただきますね」
「あ、はい」
 やはり彼がカミーユか。そう思いながらソファに座るさまを見ていると、とてもゆっくり慎重に動いている。脚が悪いというのはほんとうなのだろう。
 すっかりソファに座ってから、カミーユが穏やかに話を切り出す。
「さて、今回は母君のパーティー用のドレスのご用命と弟から聞いているのですが、あなたがどのような地位にいるのかわからないと、どのようなドレスを仕立てればいいのかをつかみかねます。
 ですので、まずはそこからお聞かせ願えますか?」
 そうだ、ついタイミングを逃して名乗りそびれていた。そのことに気づいた俺は、改めて姿勢を正して自己紹介をする。
「俺はサルトル伯爵ソンメルソ。
 この度メルシエ侯爵からぜひ母上と一緒にとパーティーに誘われたのですが、母上は新しいドレスがないと閣下に顔向けできないと言っているのです。
 なので、伯爵の母である彼女にふさわしいドレスを仕立てていただきたい」
 これを聞いたカミーユは、一瞬だけ訝しそうな顔をした。けれども次の瞬間には、また穏やかな笑みを浮かべてまた訊ねる。
「なるほど。それですと格調高いドレスを仕立てなくてはいけませんね。
 それで、ご予算は?」
 予算の話になった途端、カミーユの視線が鋭くなる。
 恥ずかしさと恐ろしさで思わず逃げたくなったけれども、なんとか耐えておずおずと予算を告げた。
 すると、カミーユはやはりといった顔をしてこう言った。
「その予算では、ご要望に応えられるドレスを仕立てることはできません」
 そんなことはわかっている。でも、馴染みの仕立て屋の、カミーユならなんとかしてくれるかもしれないという言葉を信じて食い下がる。
「なんとかお願いできないでしょうか。
 母上がしあわせになれるかどうかがかかっているんです」
 そう言いながら俺は頭を下げた。相手が平民なのにだ。
 頭を下げていると、カミーユの声が聞こえた。
「なるほど。なんでもする覚悟はおありですか?」
 これは先ほどの仕立て屋でも訊かれたことだ。だから俺は顔を上げて、カミーユの目を見据えてこう答えた。
「法に触れなければなんでもやる!」
 すると、カミーユは満足そうににっこりと笑ってこう言った。
「では、足りない分のお金は、ソンメルソ様にこの店で働いていただいて稼いでもらいましょうか」
「えっ?」
 俺が働く? この店で?
 カミーユが言っていることをうまく飲み込めず思わずためらう。
「働くって、でも、俺、裁縫なんてやったことないし……」
 思わず泣き言めいたことを言う俺に、カミーユは笑顔で圧をかけてくる。
「なんでもやるっておっしゃいましたよね?」
「……はい……」
 たしかに、なんでもやると言ったのは俺だ。しかも、働いて足りない分を稼ぐのは合法だ。
 平民の元で働くということに多少の不満はあるけれど、母上のドレスのためならしかたがない。
「それではこれから僕の店で、住み込みで働いて頂きます。
 伯爵としての仕事もあるでしょうが、そこは誰か任せられる人に任せてきてくださいね。猶予は二日です」
 とんでもないことになった。俺の家には伯爵の仕事を肩代わりさせられそうなのは母上しかいない。それなのに体調を崩しがちな母上だけに、全部を任せるわけにもいかない。
 俺は悩んだ。目の前にカミーユがいることも忘れて、誰に母上の補佐をやってもらうかを考えた。そして出した結論は。
「わかりました。二日の間に母上への挨拶と、補佐役の確保をしてきます」
 そう言って俺は、ソファから立ち上がった。

 カミーユの店を出て真っ先に向かったのは、街の中にある修道院だ。
 この修道院には兄さんがいる。そう、俺は母上の補佐を兄さんに任せようと思ったのだ。
 馬車を修道院の門の前に着け、降りて中へと入っていく。すると、俺を見つけた壮年の神父様が声をかけてきた。
「そちらの方。この修道院にどんなご用件ですか?」
 穏やかなその声に、俺は焦りの滲む声で答える。
「この修道院に、エルカナ修道士という方がいるはずです。
 その方に用があるのですが、取り次いで頂けますか?」
 勢いがつきすぎていたのか、俺の言葉を聞いた神父様は一瞬だけ身を固めてから、困ったように笑ってこう返してくる。
「私は他の教会の神父なのですが、この修道院にも縁ある身です。お取り次ぎしましょう」
 他の教会の神父様だと聞いて、少しだけ気まずくなる。もしかしたら、これから帰るところだったかもしれないからだ。
 神父様に案内されて、修道院の応接間に通される。この応接間のソファも座り心地がいい。やはり修道院は違う。そう思っている間にも、神父様はどこかへと行ってしまった。
 上質だけれども質素な応接間の中でしばらく待つ。すると、静かな足音が聞こえてきてドアが開いた。
「お待たせいたしました」
 そう言いながら入ってきたのは、彫刻か絵画かと思わせるほどにうつくしい面持ちの青年。この修道院併設の教会へ礼拝に来る貴族たちの間で噂話が絶えないエルカナ修道士、俺の兄さんだ。
 兄さんの顔を見るなり、俺は声を上げる。
「兄さん、頼みごとがあるんだけど!」
「なんですか? お兄ちゃんにできることならなんでもしますよ!」
 相変わらず話を聞く前から安請け合いをする兄さんに少々不安を覚えながら用件を話す。
「実は、仕事の都合でしばらく屋敷を空けなきゃいけなくなったんだ。
 いつまで屋敷を空けてなきゃいけないかわからないから、俺がいない間は母上に伯爵の仕事を頼もうと思う」
「はい、それで?」
「それで、母上は身体が弱いだろ?
 だから、兄さんに一時的に母上の補佐をやってもらいたいんだ」
 俺の話を聞いて、兄さんの顔が青くなる。
「その……つまり……
 私にも伯爵の仕事をしろ。ということですか?」
「端的に言うとそうなる」
 俺が肯定すると、兄さんは頭を抱えて言葉を漏らす。
「いくらソンメルソのお願いでもそれは……
 だって、家が傾いたら怒るでしょう?」
「それはそう」
 どうやら兄さんは、自分が貴族としては限りなく無能に近いなにかだという自覚があるようだ。でも、自覚があるならまだ救いがある。
「でも、多少家が傾いても、今兄さんを頼らないと母上のしあわせを逃しちゃうかもしれないんだ、だから」
 最後の方は涙声になってしまった俺の言葉に、兄さんは両手で自分の頬をはたいて俺に向き直る。
「わかりました。ソンメルソと母上のためなら、その頼みを引き受けましょう。
 一時的に修道院を離れられるよう、修道院長に話を通しておきます」
 思わず涙がこぼれる。
「兄さん、ありがとう……」
 なんとか兄さんの協力を取り付けることができた。あとは俺が仕立て屋で働いて稼げば、母上をしあわせにできるんだ。
 もう後戻りはできないし、したりしない。


第2話

第3話

第4話

第5話

第6話


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