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第26回「小説でもどうぞ」応募作品:アポロn号
第26回「小説でもどうぞ」の応募作品です。
テーマは「冗談」です。
冗談、私自身冗談というものが得意ではないので悩んだのですが、個人的には妥当な着地点にできたかなと思っています。
なお、実際のアポロ計画は20号で打ち切られているそうです。
アポロn号
「月に行ったアポロ11号の乗組員は、そこで真っ白なウサギを見つけたんだよ」
兄さんのその話に僕がおどろくと、兄さんは冗談だよと言ってくすくすと笑った。
兄さんは、宇宙のことを空想して、些細な冗談を言うのが好きだ。
火星には氷に覆われた大きな海があって、そこには古代生物めいた魚が泳いでいるんだとか、木星の渦には小さな目があって。その目の中には青く輝く蝶が飛んでいるんだとか、そんな話をしては冗談だよと笑った。
もちろん、僕もそれが冗談だとわかっている。だって、兄さんと一緒に宇宙に関する本を読んでいるのだから。
そんなふうに冗談を言う兄さんだけれども、いつか宇宙飛行士になって宇宙に行きたい。特に、アポロ計画に加わって月の地面を踏みたいと言っている時の兄さんの顔は真剣だった。
アポロ計画がまだ続いているのかはわからない。もし続いていたとしても、それは絵空事だというのが兄さんはわかっているのだと思う。
だって、兄さんはすこしずつ体の筋肉が衰えていく難病にかかっていて、自分で満足に体を動かすことができないのだから。そう、成人するまで生きることができれば良い方だと医者には言われている。
兄さんの介助をしながら、小さな頃、一緒に公園を駆け回ったことを思い出す。あの頃から兄さんは宇宙に行きたいと言っていた。
だから、兄さんにこの難病も、ほんとうは悪い冗談なのだと言って欲しかった。大好きな兄さんが長生きできないなんて思いたくないし、絶対に嫌だ。
兄さんの病気が治らないなんて言うのは冗談で、いつか元気になって宇宙飛行士になって、宇宙に行くのだと思いたかった。
ぼんやりとベッドの上の天井を見る兄さんに言う。アポロに乗って月に行ったら、ウサギを捕まえてきてくれと。
すると、兄さんは小さな声で笑う。月でウサギを捕まえてきたら、ペットにしてかわいがろうって、そういった。
こんな冗談をいつまでも言い合いたい。できれば、この冗談が現実になって欲しい。
叶わないことだとわかっているのに、そう願わずにはいられなかった。
兄さんは日に日に衰えていく。このところはしゃべるのもたいへんらしく、口数もだいぶ減った。
そんな兄さんに、僕は冗談を話して聞かせる。
死ぬまでに良いことを重ねた人は、死後神様が火星の魚を食べ物として振る舞ってくれるとか、木星の蝶を捕まえるように命じられた英雄が、空に上げられてアンドロメダ星雲の向こうにある星座になったとか、そんな話だ。
兄さんはその話を聞いて、口元だけで笑った。今の兄さんには、これが精一杯なのだろう。
そんな兄さんが、ある日の夜僕に言った。
「明日、宇宙に行くよ」
か弱くて、小さくて、かすれた声。
それを聞いた僕は、いつもみたいに冗談を言っているのだと思った。
だって、まともにしゃべることもできなくなった兄さんが、宇宙になんて行けるはずはないのだから。
すこし間を置いて、兄さんは言葉を続ける。
「宇宙から、手紙を送るから」
その言葉を言って、疲れてしまったのか兄さんは眠ってしまった。
翌朝、兄さんは目を覚まさなかった。
家族が起きた頃にはもう、兄さんは冷たくなっていて、両親は慌てて病院に連絡をしていた。
僕は目を覚まさない兄さんの側で呆然とする。
起きてよ兄さん。いつもみたいに冗談だと言ってよ。ほんとうは生きてるんだって言ってよ。
兄さんは、アポロに乗って月に行って、ウサギを捕まえてくるんでしょう。
そのウサギをペットにしてかわいがるって言ったのに。
兄さんはなにも言わない。目も開けない。
ふと、昨夜兄さんが言っていた言葉を思い出す。
「明日、宇宙に行くよ」
あれは冗談じゃなくて、ほんとうだったんだ。
兄さんは、自分の体をここに置いて、宇宙に行ってしまったんだ。
アポロに乗らずに、きっと今頃、月を目指している。
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