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秘密の花園

伸びてボサボサの髪をなんとかしてもらおうと、美容院を予約した。

「カットと毛染めをお願いしたいのですが」

電話でこれを言うのに、1週間は悩む。変なことを言っていないだろうか。ちゃんと伝わっているだろうか。ファミレスで「Aセット、ごはんでお願いします」とか、スタバで「ドリップコーヒー、トールで」も緊張するけど、そっちの方が気が楽だ。

実は美容院には、ほとんど行ったことがない。五十路過ぎた女が、どうして美容院初心者なのかというと、家が美容院で、この年まで美容師だった母にお願いしていたからだった。

母は、中学卒業後美容室に住み込みで働き、鋏を持ってン十年。私の髪を切り、孫の髪を切り、ときどき夫の髪も切ってくれた。まだまだ現役、次はひ孫もと思っていたのに、「もう、ようせーへんからどこか探して行ってな」と言い出した。3年ほど前のことだ。

今まで母に頼り切っていた私は、途方に暮れてしまった。

どこに行けばいいのかわからなくて、職場の人や友達にかたっぱしから「どこの美容院?」と聞いた。すると不思議なことに「私、〇〇やねん」とさらっと教えてくれる人と、「えーと、んんん」って教えてくれない人がいる。

私は、
「そのブラウスかわいいな。どこの?」
「これ『しまむら』で一目惚れやってん」
くらいのノリで聞いているのだけれど、相手は、聞いてはいけないこと、例えるなら、秘密基地の場所を聞かれたような反応をする。不思議だった。

そして、自分で何軒か美容院をめぐってみて、気づいた。
美容院は、秘密基地なんかじゃない。

秘密の花園だ。

ほんの少し日常から離れて、ゆったりと時間を過ごせる場所。
髪だけじゃなく、気持ちも心地よくしてくれる場所。
もちろん、髪が綺麗になる場所。
そして、無防備に他人に自分をまかせる場所。

できることなら、ひとりでゆっくりとくつろぎたい。

そんな場所で、知り合いと出会うなんていうのは、できれば避けたいのだと思う。

母の美容院も、誰かの秘密の花園だったのかもしれない。そう思うと、長くその場所を守ってきた母を、支えてきた父を、ありきたりの言葉だけれど、偉大だと思う。

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