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Forget Me Not(第11章)

これは何?
 絵を描けなくなった画家である日向理仁を中心に、湖畔で起きた失踪事件の解明を試みるお話。

第11章
 青葉と墓参りに行く日の朝、私は6時に起き上がってシャワーを浴びた。きちんと歯を磨き、きちんと髭を剃った。そしてきちんとアイロンをかけたシャツとデニムを着て、ヘアワックスで髪を整えた。もう何年も行ってなかった墓参りに対して、これで一応の姿勢は作れただろう。8時には朝食が出来上がっていた。コーヒー、パン、目玉焼き、ハム。上品な朝だ。

 約束の10時に、私は車で青葉の家に着いていた。インターホンを鳴らして到着を告げる。白のシャツに淡い青のカーディガンを羽織っていた。彼女の身に付けるものは、服も装飾品も、みなが新鮮な息をしているように見える。自分と調和するものを自然に選び、手入れをして大切にし、共に長く暮らすー彼女から発せられる品の良さや柔らかな優雅さの由来が見て取れるようだった。

「お待たせしました。それでは、行きましょうか」
彼女は助手席に乗り込むと、ドアをきゅっと丁寧に音もなく閉じた。私は「狭い車内で申し訳ないんだが」と言いながら運転席に乗り込んだ。ドアは丁寧に閉じてみた。バン。なんとなく。エンジンをかけ、車を走らせた。

「お墓はどこのでしたっけ?」
青葉からの質問に、今日の具体的な話をほとんどしていなかったことに気付かされた。人付き合いを絶っているうちに、基本的な他人への配慮を忘れてしまったようだ。
「湖東霊園だよ。うちは両親もそこなんだ」
「びっくり!私の両親のお墓も同じ霊園なんです。一緒にお参りさせてもらいますね」

青葉はこの偶然を喜び、今日という1日の持つ意味が増えたことを素直に喜んだ。車は湖沿いのカーブの多い道路を時速40kmの速度制限を律儀に守りながら、秋の名残りの風が包む世界と緩やかに並走していた。
赤や黄色に色づき始めた辺りの木々は、これから押し寄せてくる冬の世界に対する最終防衛戦線のように見えた。あるいは、曇天の中にあって冴えない湖畔にを彩る化粧のように。しかし彼らもやがて散りゆき、彼ら自身が最後まで拒むのであろう、色のない世界の一部と化す。

ー再生されることのない彼ら一葉一葉に、そんな意思はあるのかしら。本体の木にはきっと、「来年も綺麗な葉っぱを」と思うことだってあるでしょう。
けれど葉っぱには?よく熟れたリンゴのような艶やかな赤色そのままの姿で枝から落ちる時、それは綺麗なままで終わる。傷の一つも付けずに、たまたまやってきた縁もゆかりもない、誰とも知らぬ風に吹かれて落ちてゆく。そこで意識も途絶えるのなら、それは完璧な最後と言えるのかもしれないなあ。
助手席に座る青葉は、穏やかなドライブの中こうしたことを考えていた。その間の彼女の表情は、葉の色が緑、黄、赤と移り変わるように変遷していった。

 湖東霊園は湖を囲む山の中腹辺り、標高400mの高台にある。
湖をよく見渡せる高台なら故人もきっと喜ぶだろう、なんてことは現世に生きる人の勝手な思い込みかもしれないが、あなたたちも現世で生きたことがあればわかってくれるはずだ。
自分たちの持つ価値観の中において”良い”とされていることを可能な限り施させて欲しいとの気持ちから芽生えたものだということ。
生者は死者の置かれている状況も今の気持ちもわからないのだから、わからないなりに”良かれ”をしたらいい。誰に正解が分かるものか。

 霊園という場所はいつ来ても落ち着かない場所であると思いながら、私はそこに集まっている墓石を見渡した。

ーここは生者と死者とが交わる場所だというのに、本来あるべきものがないじゃないか。境界線。垣根。玄関。扉。トンネル。入口と出口。オンとオフ。これら現世の者とあの世の者とを隔てる何ものもないということが本当なら、それが示す事実とは、そもそも世界は隔てられていないということだ。

 私は今日こうした問いを持ったこと、その内容、そして今日までこうした問いを持たないで生きてきていたことを受け入れるまでに時間がかかりそううだと見込んだ。生きている者同士でさえ、玄関や扉でお互いの世界を線引きし互いを区別しているというのに、全く異世界の者とはそんなものもないのだ。
 青葉が2つの花束を車から持ってきて、1つを私に手渡してくれた。
「さあ、行きましょうか」
私はたった今考えていたことを青葉に話そうかと思って、やめた。はっきりした理由はなく、ただなんとなく。

最初に青葉の両親の墓へ向かった。私なりの、青葉への感謝を示したつもりで。【青葉家の墓】と彫られた墓石は綺麗に磨かれているようだった。鈍い鼠色が一瞬垣間見えた陽の光を鋭く反射したのを見て、青葉は自分の訪問が両親に伝わって感謝されたような気分を感じた。あるいは、一緒にやって来た理仁に対する挨拶だったか。

「私の両親は、2人とも病気で亡くなりました。父が先で、母が後に。2人のお見舞いに行ったり最後を看取るようなとき、天寿をまっとうして死に別れていく姿に尊さを感じていました。悲しみよりも、お疲れ様。涙よりも、笑顔。2人とも満足げな表情で棺に納められたんです。純粋な幸福感の漂うお葬式もあるんだな、て姉と話しましたっけ。」

青葉は手で墓石をさすりながら、そばにいる両親に語りかけるように話した。私は火をつけた線香を青葉に手渡し、一緒に墓前に添え、手を合わせた。
「さて、では理仁さんの奥さんのお墓へ」と言いながら身をくるりと回転させた青葉に向かって、私は一言だけ、「すまない」と言った。
ー今日はもう帰ろう。
私はまるで独り言のように呟き、駐車場へ向かって歩き出した。

けじめをつけようと決心してきたつもりだったが、理仁は今日自分がここに来た理由がいつの間にかわからなくなっていた。
ー死者との境界なんてものはなかったのだ
そう考えた時から急に、手を合わせて死者に”祈る”という行為がとても、とても猥雑なものに感じられてしまう。
この無防備なポーズが、単にポーズとしての意味しか持たなかったのであれば?この姿を示すことが、自分の自尊心を回復させる意味しか持たなかったのであれば?

舗装されたアスファルトの上を道なりに歩いていく理仁を追いかける青葉には彼の心情は計りかねていたが、かける言葉がないことだけはわかった。

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