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「何もしなかった」が積み上がっていく

世の中というのは実に理不尽な物で、どうしたってあれもこれもは選べない。当に今の僕はそんな状態である。
会社の人とつい話し込んでしまい、気がつけば夜の9時過ぎだと言うのに電車に揺られている。大体いつも10時過ぎくらいにはNoteの投稿をしてからご友人様との通話をするので、今日は自転車を漕いでいる時間は無い。楽しかったけれど、必要な事だけど、別の必要なことは犠牲になってしまった。僕が殺してしまった。

日々というのは残酷だ。苦しいときほど進まない。楽しい時ほど置いていく。虚しいときほど残らない。
そうやって、僕の過去は気がつけばこんな様相を呈している。無意味に積み上げただけの空の容器を思い返していると、このままで良いのか不安になる。不安になるだけ。
そうやって空虚を積み上げるのか年の功ってやつなのかもしれないけれど、何も成し遂げられず、やりたいことを延々と積みあげていけるかどうかすら、僕には自信がないのだ。
今でさえ焦りと自己陶酔でギリギリ明日を生きているのに、いつか諦めを知ってしまうのだとしたら、人生は無意味であると認めてしまったら、僕は何をもって生きることが出来るのだ。いや、そもそも諦めがつくほど積み上げられるかどうかすら僕には怪しい。だから、いつだって結論を急かしている。今日だけ生きてる人間にどうやって10年後のことが分かろうか。

無論、世界はそんなインスタントに完成したりしない。蓋を空けても経験は入ってない。お湯を入れても実績はできやしない。
誰だって、効率がいいならそうしたいに決まってる。結局のところ、僕は面倒くさがっている言い訳を並べているに過ぎないのだ。そんなことをしている暇があるなら、手元にあるもの何でも積み上げるほうがよっぽど建設的である。

ひとまず、今日も無意味を積み上げよう。結果は出るのか知らんけど、明日を生きる焦りにはなるのだから。


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