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結局、自分を貶めることが安心する

僕は自虐と不幸自慢が手癖のようになっている。今まさに惰性の如く、それを記述している。くだらない自己嫌悪と、露悪的に吹き出す悪態を止めようともせずに毎日毎日被害者意識を保とうと必死になっている。そうしていれば、他人から同情してもらえると、構ってもらえるからそうしているのか、はたまた癒えない傷が目についてしょうがないのか。いずれにしてもそんなことを何時までも続けているわけにも行かないのに、踏み出す勇気が全然湧いて来ないのだ。

忍野扇が言っていた、ある地点で被害者だったからといって今回も被害者であるとは限らないという言葉が僕の人生に神経毒のようにジワジワと、そして確実に心に染み出して脳が壊死していく。まさしく僕の人生は被害者意識を武器にして弱さがアイデンティティの下らない弱者ごっこに他ならない。

尤も、それなら誰が悪いというのだ。誰が僕の罪を裁くというのだ。誰だって被害者で加害者で、弱者で強者で、卑怯で高潔で、悪党で聖人で、正しくて間違っている。人は矛盾だけで出来上がっていて、いつでも平気で立場を変えていく。それを許すも許さないも無く、都合よく生きている。

なれば、自己否定も被害者意識も平気でやっていけばいい。弱者らしく負けて卑怯に逃げ出して露悪的に自分を偽って失敗すればいい。どうせ説教臭いあの人だって、間違いだらけの罪人なのだから。

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