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宇津保物語を読む5 吹上 下#9(最終回)


忠こそ真言院の阿闍梨となり、継母を養う

 かの行ひ人を、院の帝限りなくいたはらせたまひて、院の内にだん賜ひなどしてさぶらはせたまふ。尊き師につきてかしこく受けければ、悟りいと深く、しるしあり。院奏せさせたまひて、真言院のになされぬ。弟子、同行など多く、身の勢ひ時なること、昔に劣らず。召しありて嵯峨の院に参る。車清らに装束きて、人いと多くて参る。院の御門のほとりにて、老いかがまりたる嫗のかたゐ、いち笠のいたく損われしを頂きて、顔は墨よりも黒く、足手は針よりも細くて、継ぎの布のわわけたる、つるはぎにて、阿闍梨のまかづるに、手を捧げて、「今日の助けたまへ」と、しりに立ちてはひゆく。阿闍梨あはれがりて、物など食はせて、(忠こそ)「むかしいかでありし人のいつよりかくはなりしぞ」と問へば、(老女)「限りなき財の王にて、世の中の一の人のにてなむ侍りし。その人、母なき男子の、かたち心すぐれたるを持ちて、限りなくかなしくしたまひ、君も二つなくかへりみたまふ人を、滅ぼさむと思ふ心深くて、親の家の宝を取り隠して、かれが盗みたるといひ、親のためにあるべきことを、この人にいひ負ほせつつ、つひになむ失ひてし報いにや侍らむ、生きながらかかる身をなむ受けて侍る」といふ。阿闍梨、むかしの一条の方に聞きなしつ。時の変はるまで思ひ入りて思ふほどに、おとどの大願を立てて求めたまふ帯も、われにこそは負ほせけれ。またおとどの御気色も、さは大きなる災ひを聞かせ奉れるにこそありけれ。年ごろ胸の炎さめず嘆きわたりつることを、仏世におはしましければ、聞き明らめつることと思ひて、久しくありていふ、(忠こそ)「さほどに、いかにしてか、さる罪なき人のためには、あやしき心を遣ひたまふ。しかありける報いにかかる身となりぬ。来む世には、地獄の底に沈みて浮かむ世あらじ」といふに、かたゐ涙を流していふほど、(老女)「このことを悔い思ふも、ほむらに燃ゆるがごとし。されどもしてしことなれば、返すべき方なし。思ひ出づるなむ、あからしく悲しく侍る」といふ。阿闍梨、今いくばくもあらじと見たまへば、(忠こそ)「世に経たまはむ限りはいたはりたいまつらむ。後のかばねをも納め、地獄の苦しびをも救ひ申さむ」とのたまひて、小さき小屋造りてこめ据ゑて、物食はせ衣着せなどして養ふ。
 かかるほどに、大将殿の宮あこ君、物の怪つきていたくわづらふ。とかくすれども怠らず。この阿闍梨につけたてまつれば、かしこくていたはりやめつ。阿闍梨、宮あこ君に、心うつくしく語らひてのたまふ。殿のことなど問ひ聞きて、(忠こそ)「この春、春日かすがにおはしましし御方に、いささかなること聞こえむ。奉りたまへよ」とて、かく書きて奉る。
 (忠こそ)「閉ぢこもりいはほの中に入りしかど
   君が匂ひは空に見えにき
かくてしも思ひ離れぬものになむ」とて、(忠こそ)「これ奉りたまひて、御返り必ず賜はりてたまへ」といふ。宮あこ君、「さらにかかること見たまはぬ人なり。いかがあらむ」。阿闍梨、(忠こそ)「などかくいたはりやめたてまつる心ざしをも思さで。あひ思せとこそ思へ」。あこ君、難きこと、と思へど参りぬ。あて宮に奉りたまへば、(あて宮)「あなむくつけ。なでふさるものをか持ておはする」とて、引き破りて捨てたまひつ。

(小学館新編日本古典文学全集)

 あの行者(忠こそ)を朱雀院はこの上なくねぎらいなさり、院の内に壇所をお与えになったりなどして、近くで奉仕させなさる。
忠こそは尊い師についてその教えをしっかりと受けていたので、悟りもとても深く、霊験も著しかった。院は帝に進言して、真言院の阿闍梨となさった。
(真言院とは、空海の発願で建立された祈祷所。朝廷の要請で祈祷や修法などを行う)
弟子や同行なども多く、時めくこと殿上童であった頃に劣らないほどである。

 ある日、お召しにより嵯峨院に参上する。車も美しく飾り立て、供人も多く引き連れての参上である。
 院の御門の近くに年老いて腰の曲がった老婆がいた。破れた市女笠をかぶり、顔は墨よりも黒く、手足は針よりも細くて、つぎあてをした布のボロボロになった着物を着て、その短い裾から足を出しいる。その老婆が、阿闍梨(忠こそ)が門を出るときに、手を捧げて、
「今日のお助けを」
とその後を這ってついてきた。
阿闍梨はかわいそうに思い、ものなどを食べさせて、
「おまえは、昔、どのような暮らしをしており、いつからそのようになったのだ。」
と尋ねると、
「私はかつて、この上ない財産家として、世間では、一の人と呼ばれた人の妻でした。その人は、母のいない、容貌の優れた男子を持っており、その子をこの上なく愛し、帝も無類なほど寵愛なさっていましたが、私にはそれが疎ましく、その子を破滅させてやろうとの思いを強く持つようになりました。その子の親の家に伝わる宝物を隠して、その子が盗んだと言いふらしたりもしましたし、親が罪を負うようなことを、この子が言ったと、言いふらしたりもしました。その結果ついにはその子は失踪してしまいました。しかし、その報いでしょうか、生きたままこのような目に遭っております。」
という。
阿闍梨は、この老婆が昔の一条の方であると思いいたった。しばらく思いを巡らすに、(父大臣が大願を立ててまで探し求めた帯も、私に濡れ衣を着せようとしていたのか。父の機嫌がたいそう悪かったのも、それほど大きな悪事を聞かせたからであったのか。長い間胸の炎も冷めず嘆き続けていたことも、今、仏の御利益によってすべて合点がいった)と思い、しばらくして、こう声をかける。
「それほどまでに、どうして、罪のない人のためによこしまな心を起こしたのだ。そのような報いで、このような身となり、来世では、きっと地獄の底に沈み、二度と浮かぶことはあるまい。」
というと、乞食は涙を流して言う。
「このことを悔やむ気持ちは、まるで炎に焼かれるほどでございます。しかし、してしまったことはもう取り返しがつきません。思い出すにつけ、悲しいことでございます。」
という。
阿闍梨は、この老婆も余命は幾ばくもあるまいと思い、
「生きている限りは、お世話申し上げましょう。亡くなった後の屍も埋葬し、地獄の苦しみからもお救い申し上げましょう。」
とおっしゃって、小さな小屋を造りそこに住まわせ、ものを食わせたり、衣を着せたりなどして養うこととした。

 さて、そうこうしているうちに、左大将殿の宮あこ君が物の怪がついてたいそう病み苦しむこととなった。あれこれと手を尽くすものの、回復しなかったが、この阿闍梨にお願いしたところ、熱心な祈祷のおかげで回復することとなった。
 阿闍梨は宮あこ君と親密に語り合い、話題は左大将殿とその家族のことに及ぶ。
「そういえば、この春、春日にいらっしゃったあの姫君に、少しばかり申し上げたいことがあるのだが、渡してはくれないか。」
といって、あて宮にあて、次のように書いて差し上げる。
 (忠)「俗世から引きこもり、巌の中に入っていましたが、
  あなたの美しい姿はいつも目の前にうかんでいました。

このような身となっても、あなたへの思いからは逃れられません。」
と書き、
「これを差し上げて、お返事を必ずいただいてきてください。」
という。
宮あこ君は
「けっしてこのような手紙はご覧になりませんよ。お止めになった方がよろしいとおもいますが。」
阿闍梨「なぜです?これほど病気回復に尽力した志に思いもいたさないで。私の身になってください。」
あこ君は、難しいなあとは思うけれども、それでもあて宮の所に参上し、その手紙を渡したところ、案の定、あて宮は、
「ああ、ヤダヤダ。なんでこんなもの持ってくるのよ。」
といって、破り捨ててしまった。


前半と後半との落差が激しい。

前半、忠こその出世と継母との和解で、「いい話やなあ~」と思わせおいてからの、大失恋。作者イケズやなあ。

前回の種松につづき、忠こそストーリーもこれで一段落。
ここまでの伏線を回収した後、ラストはいつものごとく、あて宮へのラブコールで幕を閉じます。

東宮はじめ懸想人たち、あて宮に歌を贈る

 かくて、九月つごもりに、東宮よりあて宮にかく聞こえたまふ。
 (東宮)秋ごとにつれなき人をまつ虫の
  常磐ときはの陰になりぬべきかな
あて宮、
  色変へぬ秋よりほかに聞こえぬは
  頼まれぬかなまつ虫の
源宰相、鈴虫を奉りて、
 (実忠)鈴虫の思ふごとなるものならば
  秋の夜すがらふり立てて鳴け
兵部卿の宮、菊の盛りに、
  頼もしく思ほゆるかな
  いふことをきくてふ花の匂ふ長月
右大将殿、つごもりの日、
 (兼雅)長月は忌むにつけても慰めつ
  秋果つるにぞ悲しかりける
平中納言、十月ついたちの日、
 (正明)薄かりし夏の衣やぬれしとて
  替へつる袖に変はらざりけり
三の皇子、御前の紅葉色濃きにつけて、
 (忠康)色深く染むるまにまに神無月
  そでや紅葉の錦なるらむ
中将仲忠、宇治のじろより、
 (仲忠)ながれ来るひを数ふれば網代木に
  よるさへ数も知られざりけり
初雪降る日、涼の中将、
 (涼)雲居より袂に降れる初雪の
  うちとけゆかむ待つが久しき
おとど見たまひて、(正頼)「九月に仰せられしを思ひたるなめりかし。かうざくなる人にあれば、かしこをば人にこそ頼み聞こえたれ」などのたまふ。
 侍従の君、時雨しぐれいたく降る日、
 (仲澄)神無月雲隠れつつ時雨しぐるれば
  まづわが身のみ思ほゆるかな
 源少将、祭の使に立つとて、
 (仲頼)袖ひちて久しくなれば冬中に
  ふり出でて行くとふかあふやと
 兵衛佐、ものに参るとて、宮あこ君と物語などす。帰る暁に、御前の池より水鳥の立つを見て、
 (行政)われ一人帰れる池の鴛鴦をしどり
  なれもつれなく鳴きて立つかな
 藤英、六十余日が内に対策せむと、夜昼いそぐ。年ごろ雪を夜の光に勤めつれど、今はこの大将殿の御いたはりに、食物山のごとし、油は海のごとたたへなどしてあり経るにも、なほこのことを嘆く。雪降る日、
 (藤英)心だに明かくなりにし
  雪降れど恋には惑ふものにぞありける

 こうして、9月末、東宮からあて宮に、このような歌が送られた。

  秋になるたびに薄情な人を待ち続ける松虫は、
  いつまでも変わらない常磐の松の木陰になってしまいそうで。
  (まつ=待つ・松虫)

あて宮
  色を変えない秋以外の季節では、その鳴き声を聞かないのですもの
  松虫の鳴き声も、頼りにはなりませんわ。

源宰相(実忠)から、鈴虫が贈られる
  鈴虫が私の思い通りになるのなら
  長いこの秋の夜を通し、一晩中鳴いて
  私の思いをあの人に届けてほしい。

兵部卿宮からは、菊の花が盛りの時に
  頼もしく思うことだなあ、
  言うことをよく聞くという、菊の花が咲き匂うこの長月の季節は
(秋は婚姻を忌むというので、あて宮がほかの男と結婚することはない)

右大将兼雅からは、月末の日に
  長月は婚姻を忌む月ではあるが、
  逆に今は、それによって慰められることだ。
  この秋が終わってしまえばまた悲しい日々が戻ってくる

平中納言正明からは、10月の1日に
  薄かった夏の衣が私の涙で濡れ
  着替えましたが、その冬服の袖もまた
  同じように濡れるのです

三の皇子はあて宮の御前の紅葉が色濃く染まっていることによせて
  神無月になって、紅葉の色も深く染まる
  それとともに私の袖も、紅葉の錦のように涙で色づいています。

中将仲忠は、宇治の網代から、
  流れてくる氷魚の数を数えたならば、
  網代木に寄る魚の数は、数え切れないほどです。
  (泣き過ごす日々を数えたならば、
    泣き過ごす夜は、数え切れないほどです)
   「流れ・泣かれ」 「日を・氷魚」 「寄る・夜」

初雪の降る日、涼の中将から
  雲居より私の袂に降る初雪が、
  溶けてゆく日を待ち続けてずいぶんとたちました
  (朱雀帝の約束はいつ果たされるのでしょう)

左大将がこの歌をご覧になって、
「9月に帝がおっしゃったことを思って歌ったのだな。何かにつけ、優れた人であるのだから、あの涼を頼りになるものと思っていらっしゃるようだ。」
などとおっしゃる。

兄の、侍従仲澄から、時雨がたいそう降る日に
  神無月は雲隠れしながら時雨が降るので、
  まずは我が身のことばかりが、思われるのです

源少将仲頼から、賀茂の祭りの使者に立つということで
  袖が涙に濡れてずいぶんと久しくなったので、
  寒い冬のさなかではあっても、出かけてゆくのです。
  お会いできるかもしれないと思って

兵衛佐行政は、寺社に参拝するという件について、宮あこ君と相談をしていたが、それも終わり、帰ろうとする暁に、御前の池から水鳥が立つのを見て
  私がたったひとりで帰って行こうとする時、
  池の鴛鴦よ、おまえもつれなく鳴いて飛び立つのだな

 藤英は60よ日の内に、神泉苑で与えられた方略試の答案を作ろうと、夜昼となく励む。長年、雪明かりを灯火として勉学に励んでいたけれど、今では、左大将のもと、食べ物は山のように、灯火の油は海のように満たされたなかで過ごしてきたが、やはり、あて宮への思いを断ち切れずに嘆く。
ある雪の降るに、
  学問では、私の心でさえ、明るくしてくれた雪が降るけれど、
  恋の道に迷う私を照らしてはくれないのだな。


9月から10月、季節も秋から冬へと移り変わります。
春の吹上訪問から始まった「吹上」のストーリーも終わりです。

改めて都に舞台を移し、さらに物語はすすみます
仲忠、涼、そしてあて宮の運命やいかに。

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