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宇津保物語を読む3 忠こそ#7
祐宗、千蔭に忠こそを讒言するが効なし
これを祐宗得て、後の身のならむやうも知らで、千蔭の大殿に参りて、(祐宗)「切なること申さむ」といふ。おとど会ひたまへり。一日のたばかりごと、(祐宗)「かうかうのことありとは知ろしめしたりや。愛子の御上をかくとり申すは、たいだいしけれど、うけたまはるに、かたはらのしものかけおつる心地のすれば、かくとり申すなり」。おとど、とばかりものものたまはで、あやしきことなり。忠こそ、わが上にさることをいはむやは。またむげになく恐ろしきことを告げむやはなど、恐ろしく思し召すものから、かくいらへたまふ。(千蔭)「いかなることにかあらむ。ただ今とて、つはものども来て、千蔭を殺さむといふとも、かれが咎をばえなむのたまふまじき。その由は、忠が母、なでふ契りかはべりけむ、子らうたく覚えしほどに、いみじくてまかり隠れにしかば、片時もまかり遅れじと思ひしかども、心にもあらでまかりとまりてはべるに、夜昼思ひはべる人の、今々とするまで、『わが代りにはこれをかへりみよ。逆さまのことありとも見知るな』といひしかば。忠こそ二人となき子なれば、いかがらうたく思はざらむ。ましてかの遺言を思へば、世を逆さまになさむといふとも、心にかなふものならば任せて見むと思ふ。かかることをいたして、千蔭が身をいたづらになすとも、忠が母に遅れで死なむとせしかば、それに代るとなむ思ふべき。かの世にても、今一度あひ見むと思ふ本意はベれば、とくまかり隠れなむはうれしかるべき。さてさて、あやしきことのはべりける、告げたまふなむうれしき」とのたまふ。祐宗、何のはかもなくて帰りぬ。
〔絵指示〕これは、千蔭の大殿。
これを祐宗は受け取り、今後、これが我が身にどう降りかかってくるかも知らず、千蔭の大臣のもとに参上し、「大切なお話があるのですが。」という。
大臣がお会いになので、あの日の企みごとを実行する。
「これこれのことがあるのはご存じですか。大切なご子息のことをこのように申し上げるのは心苦しいのではございますが、私の耳に入りましたことは、とんでもない事件に発展するやもと思いますれば、申し上げるのです。」
それを聞いた大臣は、しばらくは何もおっしゃらず、
(奇妙なことだ。忠こそが私のことをそのように言うだろうか。しかしまた根拠もなくこんな恐ろしいことを知らせに来るだろうか。)
などと恐ろしく思いなさるものの、このように返事をなさる。
「どういうことであろうか。たとえ今すぐにでも武士たちが来て私を殺そうとしても、私はあの子の罪を咎めることはできない。なぜなら、忠こその母はどのような宿縁であったか、子をかわいく思っていたのに、たいそう苦しんで亡くなってしまった。私もいつもすぐに後を追いたいと思っていたけれど、心ならずも生きながらえている。その夜昼となく思い続けている妻が、最期まで、
『私の代わりにはこの子を大切にしてください。道理に外れたことがあっても、信じてはいけません。』
と言っていたのだ。忠こそはたった一人の子なので、どうしてかわいいと思わないだろうか。まして妻の遺言を思えば、世界がひっくり返ろうとも、あの子が願うことならば、思い通りにさせてあげようと思うのだ。こんなことをして、私の身が滅ぼうとも、忠こその母に遅れずに死のうとしていたのだから、その代わりだと思えばよい。あの世でもう一度会いたいと思う願いがかなうので、早く死んでしまうことはうれしいことだ。それにしても奇妙なこともあるものだ。教えてくれてありがとう。」
とだけおっしゃる。祐宗は肩透かしをくらって帰っていった。
忠こそを信じると言いながら、内心疑念がわいてくるのも抑えられない。
ちょっとした疑念の積み重ねがだんだんと効果を現してくる。
忠こそ、父千蔭の不興に煩悶し遁世を志す
かくて、かの北の方に祐宗まうでて、(祐宗)「かく聞こえつれば、『今殺しにやらむ。上にも申して殺さむ』とのたまひつる」と聞こえつれば、いとうれしと思す。
父おとど、いとあやしきことをも聞くかなと思ほしわづらふに、忠こそ内裏に久しくさぶらふに、おとどの久しく参りたまはねば、(忠こそ)「恋しうはべるにまかでむ」と奏すれど、暇許させたまはぬを、しひて申してあからさまにまかでぬ。
おとど、「もの食はせよ。などか久しくまかでざりつる」とのたまへば、(忠こそ)「暇も賜はせざりつれば。などか久しく参りたまはざりつらむ。内裏にも、おはしまさばこそ頼もしくて、宮仕へも仕うまつりよけれ。参りたまはねば知らぬ心地して、心細うはべるは。暇も許されざりつるを、しひてまかでたりつる」と聞こゆれば、おとど涙をほろほろと落としたまひて、(千蔭)「あはれ、さはさや思ひつる。われも片時見ぬをば、さなむ思ふ。故君の遺言なれば、忠世に出で来て後、いささかなることを知らずなむあるを。されど、われをあひ思はぬやうに聞こゆれば、え思ひはつまじくなむある」とのたまへば、忠こそ、「あやしうものたまふかな。何ごとかはベるらむ」と聞こえて、涙をほろほろとこぼして立ちぬ。
曹司に籠もり臥して思ふ、ここらの年ごろ、天を逆さまになすとも、とものつはものして親を射るとも、汝が処とはとがめじといひわたりたまへるを、御ためにいささかなる過ちも仕まつらず、塵ばかりの気色も見えぬを、いかに重き罪ありと聞こしめして、かくのたまふらむと、恐ろしく恥づかしく、思ひこがれ臥せり。されどおとどは見えたまはねば、内裏へこそ参りぬらめと思ほす。内裏には、里にこそあらめと思ほす。忠こそ、さらにおとどに見えたてまつらじ。山林に入りなむ。親の片時見えたまはぬは、心細く悲しくこそ覚ゆるに、許されぬ御気色を見つつは、何を頼みてか宮仕へもせむ、と思ひつつ、入り籠りておはす。
こうして、かの北の方に祐宗は戻り、
「このように申し上げましたところ、『すぐにでも殺しにやろう。帝にも申し上げて殺そう。』とおっしゃいました。」
と申し上げたところ、北の方は嬉しいこととお思いになる。
父大臣は奇妙なことを聞くものだと思い悩んでいると、忠こその方では、宮中に長くお仕えしていたが、父大臣が久しく参内なさらないので、「父が恋しゅうございますので、戻りたい。」と奏上するも、退出することをお許しにならないのを、強いて申し上げてしばしの間退出する。
大臣は「何か食べさせなさい。どうしてしばらく帰ってこなかったのだ。」
とおっしゃると
「お暇もいただけなかったので。父上こそどうして久しく参内なさらなかったのですか。宮中でも父上がいらっしゃればこそ、頼もしくて宮仕えもしがいがあるのです。参内なさらないと、知らないところに来たみたいで心細くございました。帝はお暇をお許しにならないのですが、無理を言って退出してきました。」
と申し上げるので、大臣は涙をほろほろと落としなさって、
「ああ、そんなふうに思っていたのか。私もしばらく会えないので、同じように思っていたよ。亡き妻の遺言だから忠こそが生まれてから少しの過ちでも知らないふりをしてきたが、しかし、私のことをよく思っていないという噂を聞いたので、愛しいと思い続けることができなくなってしまった。」
とおっしゃるので
「思いもよらないことをおっしゃる。何があったのですか。」
と申し上げて涙をほろほろとこぼして席を立つ。
自室に籠もり臥して思うには、
(ここ数年、世界がひっくり返るとも、武士をつかって親を射るともお前の罪は咎めはしないと言い続けていたのに、まして、父のために少しの過ちもしたわけでなく、塵ほどの親に逆らうような様子も見せなかったのに、どれほどの重い罪を犯したとお聞きになってこのようにおっしゃるのだろう)
と恐ろしくも恥ずかしく、思い焦がれて伏せている。しかし大臣の方では忠こその姿が見えないので宮中へ戻ったのであろうとお思いになる。宮中では実家にいるのであろうとお思いになる。忠こそは、
(もうけっして父大臣にはお目にかかるまい。出家して山にも林にも入ってしまおう。親に片時もお会いできないのは心細くも悲しく思われるけれども、お許しにならない様子を見ながらでは、何を頼りとして宮仕えもできよう)、
と思いながら、部屋に引きこもっている。
ついに父大臣の疑念が噴出してしまう。
そのきっかけが忠こその父を思う言葉からというところが、あわれである。
忠こその愛情を信じるからこそ、かえって疑念を感じずにはいられない、そんな自分をどうすることもできない。
親子が愛でつながっているからこその断絶。
矛盾こそが人の心であり、ドラマはそこから生まれる。
宇津保物語屈指の名シーンである。
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