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宇津保物語を読む4 吹上 上#4

仲頼の出立のために、忠保費用を工面する

 かくて、仲頼、宮内卿殿に帰りて、(仲頼)「明後日あさてばかり、ものにあからさまにものせむと思ふを、いかにおぼつかなからむ」。娘、「いづちかものしたまふらむ」。少将、(仲頼)「近き所なり。藤侍従、良佐などしてものすべき所ぞ」などいふ。娘、父母に、「明後日あさて、ものにものしたまふなるに、かのずいじんなどをいかにせむ」などいふに、父母、「あぢきなし。何せむにか思ひものしたまふ。ものにもものしたまひなむほど、このせちきたまふ御佩刀はかしを質に置かむ」。娘、「さて正月の節会などにはいかがせむ。とみにえ取り出でずもこそあれ」。(忠保)「あぢきなし。稲多く出で来なば、いととく出だしてむ。そゑに恥を見むや」。御佩刀取り出でて、大蔵しやうの家に、ぜに十五貫が質に置きにやりて、御供の人、道のほどのわりなどせさす。母、「ものなど清げにせさせよ。便びんなきなへにわろくしたらばやさしからむ」。あるじのぬし、(忠保)「世間は同じこと。わが婿の君だに心とめたまはば。たからを尽くしていたはるところにも居たまはで、わがかく貧しきところにおはすれば、恥は隠れぬ」などいふ。

(小学館新編日本古典文学全集)

 こうして、仲頼は妻の家である宮内卿殿に帰って、
「明後日から、ちょっと旅に出ようと思うのだが、その間、おまえのことが心配だなあ。」
娘「どちらにいらっしゃるのですか。」
仲頼「近くだよ。藤侍従(仲忠)良佐(行政)たちと一緒だ。」
などという。
娘は両親に
「明後日から、仲頼様が旅にお出かけになるようですが、道中の随身たちをどうしましょう。」
などというと、両親は
「問題ないよ。何を心配することがあろう。お出かけになるというなら、この前の節会で仲頼様が身につけなさった御佩刀を質に入れればよい。」
娘「そうしたら、今度の正月の節会はどうしますの。すぐに受け戻すことができなかったら困るでしょう?」
「心配ないよ。荘園の稲が多くとれればすぐにでも受け戻すことができよう。だから恥をかくことなんてないよ。」
そして、御佩刀を蔵から取り出し、大蔵史生の家に銭15貫の質として置きにやって、お供の人々の道中の食費などとした。
母「お食事は見苦しくないようになさいよ。貧しいからといって粗末なものにしては、恥ずかしいですからね。」
忠保「世間は同じこと。我が婿君さえ我が娘のことに心を留めてくださればよいのだ。財を尽くして、お世話する家の娘の所には行かずに、我が家のような貧しいところにいらしてくださるのだから、名誉なことだ。」
などという。


 仲頼は才能豊かな貴公子で、多くの貴族たちから婿にと望まれていた。それがどういう訳か貧しい宮内卿の娘の元に通うようになる。当時、婿の経済的支援をするのは女の親であった。女の家が経済的に困窮すると男は別に女を作ることもあったことは、「伊勢物語」23段の筒井筒の例にもある。宮内卿はだから無理をしてでも仲頼を大切にしようとする。仲頼が通ってきてくれることがなによりの誇りなのだ。

 忠こその継母、故左大臣の北の方は、千蔭を引き留めるために財を尽くしたが、かなわなかったことと対象的である。(忠こそ#3参照)


仲頼、仲忠、行政、松方、吹上を訪問する

 かくて、みな出で立ちて、かりぎぬ装束をして、直衣装束は持たせて、少将は良佐と藤侍従の住みたまふ桂にまうづ。それより侍従やがて出で立ちたまふ。いとになく、都のつとに何をせむと思ふに、かしこになきものなかるべし、むかし、所々に別れしきんの残り、やどもり風といひしを、かの京極といひし所にうづみたりしを、母に問ひ聞きて、夜みそかに取りに、童一人を率ていまして、取り出でさせて、それをなむ持て下りたまはむとする。大将殿、出で立つ人に饗したまふ。三ところの君だちに、蘇枋の机四つづつ立てて、随身などにもさまざまにつけて賜ふ。
 かくて、みな出で立ちたまふ。くにに至りたまうて、松方、まづ吹上の宮にはひ入りて、君の御前につい居る。君、(涼)「あなめづらし。いと心もとなくて帰りものせられにしを、うれしうも対面するかな」。松方、「はなはだかしこし。さぶらはむと思うたまへしを、づかひのことなど侍りしかば、それにさはりてなむ、急ぎまうのぼりにし。今日は、つかさの源少将、かはに詣でたまへる供になむさぶらひつる」。あるじの君、(涼)「いとうれしきことかな。このわたりにたよりあらば、おはしまさせたまへ。御馬など休めさせたてまつらむ」。松方、「さやうになむ思ひて侍りたまふめる」。あるじの君、(涼)「かしこまりてさぶらふと申したまへ」などのたまふ。あるじの君、内にはひ入りたまひて、よき装束などしたまひて、南のはしより下りて、客人まらうどたち迎へて、寝殿の南のひさしに、四ところ着きつつ居たまひぬ。

(小学館新編日本古典文学全集)

 こうして、みな旅の準備を整え、狩衣を着て直衣は持たせて、少将(仲頼)は良佐(行政)と一緒に藤侍従(仲忠)の住む桂に迎えに行く。そこからそのまま藤侍従も一緒にお出かけになる。
 さて、仲忠は都の土産としてどんな立派なものを贈ろうかと考えるが、あの吹上の宮には、ないものなどないのだろう。それならば、昔、所々に差し上げたきんの残りの“やどもり風”という琴が、京極の屋敷の庭に埋めてあるという話を母から聞き、夜こっそりと童ひとりを連れて取りに行き、掘り出させて、それを土産として持って行こうとする。
 仲忠の父左大将は旅立つ方々に食事を振る舞いなさる。3人の方々の前に蘇枋の机を4つずつ立てて、随身たちにもそれぞれに応じて振る舞いなさる。
 こうして、みな出立なさる。紀伊国に到着なさって、まず松方が吹上の宮に入り、源氏の君の御前に参上する。
君「おや、めずらしい。たいそう物足りないままにお帰りになられたのに、うれしくもまた再会できましたね。」
松方「おそれおおいいことで。もっとこちらに滞在したいと思っておりましたが、賭弓の手番のことなどがございましたので、そんな差し支えがあって急いで上京しました。今日は、近衛府の源少将仲頼殿が、粉河寺に参詣なさったお供として参上しました。」
源氏の君「それはうれしいことですね。このあたりについでがあれば、どうぞお立ち寄りください。馬なども休ませて差し上げましょう。」
松方「源少将殿もそうお考えのようです。」
源氏の君「承知いたしましたとお伝えください。」
などとおっしゃる。源氏の君は内に入り、装束を整えなさって、南の階から庭に下りて、客人たちを迎え、寝殿の南の廂の間に4人はお着きになりお座りになる。


 「やどもり風」は配らずに、俊蔭が手元にスペアとしてとっておいた琴。(俊蔭12参照)
このことによって、あて宮、忠こそにつづく琴の奏者として物語の中心に位置づけられる。


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