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宇津保物語を読む 俊蔭Season3 #1

親子の運命やいかん? 物語は再びファンタジーの世界へと進みます。

子の異常な生育、母への孝養に奇瑞生ず。

 かくて、この子、三つになる年の夏ごろより、親の飲まず。母怪しがりて、「などはこのごろは飲まぬ」といへば、親、「なほ飲め。苦しうもあらず。ことものは食はず、乳を飲まずは、いかがせむ」といへば、子「いな、今はな飲ませたまひそ」とて、飲まずなりぬ。
 かかるほどに、この子は、すくすくと引き伸ぶるもののやうに大きになりぬ。生ひ出づるままに、いとになくうつくしげなり。いささか見聞きつること、さらに忘れず、心のさとくかしこきこと限りなし。かくいときなきほどに、親の苦しかるべきことはせず、親はかなしきものなり、と思ひ知りたり。
 かかるほどに、この子五つになる年、秋つ方、おうな死ぬ。この親子、いささかもの食ふこともなくなりぬ。日を経てつれづれとあり。この子、出で入り遊びありきて見るに、母のものも食はであるを見て、いみじう悲しと見て、いかで、これを養はむ、と思ふ心つきて思へど、さる幼きほどなれば、なでふわざをもえせず。つとめて、近き河原に出でて遊びありけば、釣りする者、いをを釣る。(子)「何にせむとするぞ」といふに、(釣人)「親のわづらひてものも食はねば、たばむとするぞ」といふに、さは、親にはこれを食はするぞ、と知りて、針を構へて釣るに、いとをかしげなる子の、大いなるかはづらに出でてすれば、かくらうたげなる子を、かく出だしありかする、たれならむ、と思ひて、(人)「何せむに、かくはするぞ」といへば、(子)「遊びにせむずる」といふ。らうたがりて、(人)「われ、釣りてとらせむ」とて、多く釣りてとらする人もあるを、持て来て、親に食はせなどし歩くを、(母)「かく、なせそ。もの食はぬも苦しうもあらず」といへど、聞かず。容貌かたちは、日々に光るやうになりゆく。見る人、いだきうつくしみて、「親はありや。いざ、わが子に」といへば、(子)「いな、おもとおはす」とてさらに聞かず。日の暖かなるほどは、かくし歩きて母に食はす。夢ばかりにても、ただ子の食はするものにかかりてあり。
 冬の寒くなるままには、さもえすまじければ、この子、わが親に、何をまゐらむ。いかにせむ、と思ひて、母にいふやう、(子)「いをを取りに行きたれど、氷いと固くて魚もなし。おもと、いかがしたまはむずるぞ」といひて泣くときに、親、「何か悲しき。な泣きそ。氷解けなむときに取れかし。われもの多く食ひつ」といへど、なほ明くれば、河原に行きて、人多く車などあるときは、そのほど過ぐして出でて見るに、氷鏡のごとくこほれり。そのかみ、この子いふ、「まことにわれけうの子ならば、氷解けて魚出で。孝の子ならずは、な出でそ」とて泣くときに、氷解けて、大いなる魚出で来たり。取りて行きて母にいふやう、「われはまことの孝の子なりけり」と語る。小さき子の、深き雪を分けて、足は海老えびのやうにて走り来るを見るに、いと悲しくて、涙を流して、(母)「など、かく寒きに出でてはありくぞ。かからざらむ折、出でてありけ」と泣けば、(子)「苦しうもあらず。おもとを思ふ」とて、とどまるべくもあらず。ありつる魚は、魚と見つれど、百味を備へたるおんじきになりぬ。あやしうたへなること多かり。

(本文は小学館新編日本古典文学全集)

こうして、この子は3つになる年の夏頃から、親の乳を飲まなくなった。母が不審に思って、
「どうして吾子はこのごろ乳を飲まないの。」
「やはり飲みなさい。大丈夫ですよ。他のものも食べないで、乳を飲まなかったらどうするの」
というと、
「いえ、もうこれからは飲ませないで下さい」
といって、飲まなくなった。
 こうしているうちに、この子はすくすくと、引き伸ばすように大きくなった。成長するにつれてこの上なくかわいらしい。少しでも見たり聞いたりしたことは決して忘れず、気だてが聡明で賢いことこのうえない。こんなに幼いのに親が困るようなことはせず、親はいたわるものであると理解している。
 こうして、この子が5つになる年の秋、嫗は死んだ。この親子は少しも食べることができなくなった。所在なく日を過ごす。この子は家を出入りして遊び歩いてみると、母が何も食べないでいるのを見て、たいそう悲しいと思い、何とかして母を養いたい、と思う気持ちになるが、こう幼いほどであるのでどれほどのことができようか。
早朝に近くの河原にでて遊んでいると、釣りをする人がいた。
「なにしてるの?」
というと
「親が病気になってものを食べないので、魚を釣って食べさせようとしているのさ」
というのを聞いて、それでは母親にはこれを食べさせればいいんだ、と理解して、針を準備して釣っていると、たいそうかわいらしい子が、大きな川面で釣りをしているので、こんなかわいらしい子をこんなふうに遊び歩かせている、どこの子だろうと思って、
「どうしてこんなことしてるんだい」
というと、
「遊んでるんだよ」
という。かわいがって、
「どれ、私が釣ってやろう」といって、多く釣って分け与えてる人もいるので、持ち帰って母親に食べさせたりなどするのを、
「こんなことはおやめ。食べなくても辛くはありませんよ」
というも聞かない。
この子の姿は日々光るように美しく成長してゆく。見かけた人は抱き上げ、かわいがって
「親はいないのかい、さあ、うちの子になるかい」
というと、
「いいえ、母上がいらっしゃる」といって、決して聞き入れない。陽気の暖かいうちはこうして、母に食べさせる。ほんのわずかなことでも、この子の食べさせるものの世話になっていた。
 冬が寒くなるにつれて、そうそう魚を釣ることもできないので、この子は親に何を食べさせよう、どうしたらよいか、と思い、母にいうには
「魚を捕りに行きたいのだけれど氷が硬く張っていて魚もいない。母上はこれからどうなさいますか」
といって泣くと、
「何が悲しいことがありましょうか。泣かないで。氷が解けた時にまた捕ればいいわ。私はお腹いっぱい」というが、やはり明るくなると子は河原に行って、人が多く車が通っている時はそれを避けて河原に出てみると氷は鏡のように凍っている。
そのとき
「ほんとうにわたしが親孝行であるならば、氷よ解けて魚よ出てこい。親孝行でないならば、出てくるな」
といって泣くと、氷が解けて大きな魚が飛び出した。その魚を捕って母にいうには
「私は本当の親孝行だ」
と語る。
小さい子どもが深い雪を分けて足をエビのように真っ赤にして走ってくるのを見て、母は悲しくて、涙を流し
「どうしてこんな寒い日に出歩くのですか、寒くない日に外に出なさい」
と泣くと、
「辛くなんてないよ、母上のことを思っているもの」といって、止めようとはしない。その魚は魚のように見えたけれど、百味を備えた御馳走になった。不思議で奇妙なことが多いのである。

三つになる年の夏=6月生まれなので、満2歳。
な~そ=禁止
になく(二無し)=二つと無い。比べるものがない。この上ない。
ゆめばかり=ほんのわずかなこと


5歳の時嫗がなくなる。ついに二人きりになってしまった。母は全く生活力がない。それにひきかえ、早熟で聡明な子のたくましさ。魚を釣ることを覚える。そして奇跡は起こる。

このシーンが宇津保物語の中で私は一番好きだ。子と釣り人とのやりとりや母とのやりとりがなんともかわいくて仕方がない。
「遊びにせむずる」ととぼけている様子もかわいいし、「おもとおはす」という言葉はお母さんが好きなんだなあ、というのがしみじみと感じられる。「われはまことの孝の子なりけり」といいながら走って来る姿には喜びに満ちたキラキラとした笑顔までもが思い浮かべられる。「おもとを思ふ」なんて言われたら、お母さんは泣いてしまうにちがいない。
百味飲食おんしきなんて奇跡を付け加えなくてもこの親子の食事は喜びに満ちたし合わせたものであったろう。


乳はいつまで?

 満二歳で「親の乳飲まず」とある。現代では1歳くらいで卒乳(断乳)するようだが、「宇津保物語」では、この子(仲忠)が娘のいぬ宮に琴を伝授するとき、いぬ宮は6歳でまだ乳母の乳を含んでいたとの記述がある。(「楼の上上」p.469)
しかし、貴族ならば乳母が乳を与えるものだ。それを母乳で育ち、魚を自分で捕まえて食べ、やがては山で自活する。俊蔭にせよ仲忠にせよ当時の貴族の「普通」から逸脱した育ち方をしている。「変化の者」とはよくいったものだ。

二十四孝

 「二十四孝」に次のようなエピソードがある(wikipediaより引用)

王祥
王祥おうしょうは母を亡くした。父の王融は後妻をもらい、王祥は継母の朱氏からひどい扱いを受けたが恨みに思わず、継母にも大変孝行をした。継母が健在の折、冬の極寒の際に魚が食べたいと言い、王祥は河に行った。しかし、河は氷に覆われ魚はどこにも見えなかった。悲しみのあまり、衣服を脱ぎ氷の上に伏していると、氷が少し融けて魚が2匹出て来た。早速獲って帰って母に与えた。この孝行のためか、王祥が伏した所には毎年、人が伏せた形の氷が出るという。
姜詩
姜詩きょうしの母は、いつも綺麗な川の水を飲みたいと思い、魚を食べたいと言っていた。姜詩と妻は、いつも長い距離を歩き、母に水と魚を与えてよく仕えた。するとある時、姜詩の家のすぐ傍に綺麗な川の水が湧き出て、毎朝その水の中に鯉がいた。
孟宗
孟宗もうそうは、幼い時に父を亡くし年老いた母を養っていた。病気になった母は、あれやこれやと食べ物を欲しがった。ある冬に筍が食べたいと言った。孟宗は竹林に行ったが、冬に筍があるはずもない。孟宗は涙ながらに天に祈りながら雪を掘っていた。すると、あっと言う間に雪が融け、土の中から筍が沢山出て来た。孟宗は大変喜び、筍を採って帰り、熱い汁物を作って母に与えると、たちまち病も癒えて天寿を全うした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/二十四孝

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