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宇津保物語を読む 俊蔭Season2 #2

若小君、帰途荒邸に入り、俊蔭の娘と契る

 かくて、やしろにまでつきたまひて、神楽かぐら奉りたまふに、若小君、ひる見えつる人、何ならむ。いかで見むと思して、暗く帰りたまふに、人に立ちおくれて、みな人渡りはてぬるに、若小君、家の秋の空静かなるに、見めぐりて見たまへば、野やぶのごとおそろしげなるものから、心ありし人の急ぐことなくて、心に入れて造りしところなれば、だちよりはじめて水の流れたるさま、草木の姿など、をかしく見どころあり。よもぎむぐらの中より、秋の花はつかに咲き出でて、池広きに月おもしろく映れり。おそろしきこと覚えず、おもしろきところを分け入りて見たまふ。秋風、かは風まじりてはやく、草むらに虫の声乱れて聞こゆ。月隈なうあはれなり。人の声聞こえず。かかるところに住むらむ人を思ひやりて、独りごとに、
  (若小君)虫だにもあまた声せぬあさ
   ひとり住むらむ人をこそ思へ
とて、深き草を分け入りたまひて、屋のもとに立ち寄りたまへれど、人も見えず。ただすすきのみいとおもしろくて招く。隈なう見ゆれば、なほ近く寄りたまふ。

 こうして神社に到着なさって、神楽を奉納なさるが、若小君は「昼間見た人は誰なのだろう。何とかしてまた会いたい」とお思いになって、暗くなってお帰りになるときに、人に遅れて、みなが帰りきったこところで、若小君(はあの屋敷をお訪ねになる。)
その家から見る秋の空は静かで、屋敷を見て巡ると、野藪のごとく恐ろしげではあるものの、風流な人がゆっくりと丹精込めて造った庭なので、木立をはじめ水の流れている様子、草木の姿など趣深く見所がある。
蓬や葎の中から、秋の花がひっそりと咲き出して、広い池に月がおもしろく映っている。恐ろしいとは感じられず、風流である庭を分け入ってご覧になる。
秋風に河原から吹く風が混ざってさっと吹き、草むらに虫の声が乱れて聞こえる。月は隈なくしみじみと感じかれる。人の声は聞こえない。
このようなところに住む人を思いやって独り言に
  虫でさえわずかしか声がしない浅茅生に
  一人住んでいるはずの人を想わずにはいられないのだ。
と、深い草を分け入りなさって、家の傍らに立ち寄りなさるけれど、人の姿は見えない。ただ、ススキだけがたいそう趣深く招く。月の光で隅々までよく見えるので、さらに近寄りなさる。

「みな人渡りはてぬるに」のあと、いきなり屋敷の中に移動している。

荒廃した屋敷はまるで異世界のようである。俊蔭が心を込めて造った庭は、荒れ果てて一見恐ろしげに感じつつも「おそろしきこと覚えず、おもしろき」と風流さを失わずにいる。

女君への興味はいっそう高まる。そしてかすかに琴の音が聞こえる。

 ひんがしおもてかうひとあげて、琴をみそかに弾く人あり。立ち寄りたまへば入りぬ。(若小君)「あかなくにまだきも月の」などのたまひて、すののはしにゐたまひて、「かかる住居したまふはたれぞ。名のりしたまへ」などのたまへど、いらへもせず。うちぐらなれば、入りにしかたも見えず。月やうやう入りて、
 (若小君)立ち寄るとみるみる月の入りぬれば
   影を頼みし人ぞわびしき
また、
   入りぬれば影も残らぬ山の
   宿まどはして嘆く旅人
などのたまひて、かの人の入りにしかたに入れば、ぬりごめあり。そこにゐて、もののたまへど、をさをさいらへもせず。若小君、「あなおそろし。おとしたまへ」とのたまふ。「ぼろけにてはかく参り来なむや」などのたまへば、けはひなつかしう、わらはにもあれば、すこしあなづらはしくや覚えけむ、
 (俊蔭娘)かげろふのあるかなきかにほのめきて
   あるはありとも思はざらなむ
とほのかにいふ声、いみじうをかしう聞こゆ。いとど思ひまさりて、(若小君)「まことは、かくてあはれなる住まひ、などてしたまふぞ。たが御族にかものしたまふ」とのたまへば、女、「いさや、何にかは聞こえさせむ。かうあさましき住まひしはべれど、立ち寄りふべき人もなきに、あやしく覚えずなむ」と聞こゆ。君、「うときよりとしもいふなれば、おぼつかなきこそ頼もしかなれ。いとあはれに見えたまへれば、えまかり過ぎざりつるを、思ふもしるくなむ。親ものしたまはざなれば、いかに心細く思さるらむ。たれと聞こえし」などのたまふ。いらへ、(俊蔭娘)「たれと人に知られざりし人なれば、聞こえさすともえ知りたまはじ」とて、前なる琴をいとほのかにかき鳴らしてゐたれば、この君、いとあやしくめでたしと聞きゐたまへり。ひと夜ものがたりしたまひて、いかがありけむ、そこにとどまりたまひぬ。

(本文は小学館新編日本古典文学全集)


 東面の格子を一間上げて、琴をひそかに弾く人がいる。若小君が近寄りなさると奥へと入ってしまう。
「あかなくにまだきも月の」とおっしゃって、簀の子の端にお座りになって、
「こんなところに住んでいらっしゃるのはどなたですか。名をおっしゃってください」
などとおっしゃるけれど返事もない。部屋の中は暗いので入っていった所も見えない。
月が次第に山の端に入っていくので、
  立ち寄るとみるみるうちに月が沈んでしまうので、
  月の光を頼りとしてきた私はなんともわびしいものだ。
また、
  月が沈んでしまったので、影も残らない山の傍らで、
  宿るべきところも分からず嘆く旅人
などとおっしゃって、あの人が入っていった方へと上がってゆくと、塗り籠めがある。
そこに座って、ものなどとおっしゃるが、なかなか返事はない。
若小君は
「ああ気味が悪い。何かおっしゃってください」
とおっしゃる。
「ありきたりな気持ちで、このように参上してくるでしょうか」
などとおっしゃると、親しみやすい様子の少年であるので、すこし気が置けないと感じたのでしょうか。
  かげろうのようにひっそりと暮らしております。
  ここにいてもいないものとして思ってください。
とかすかにいう声がたいそう趣深く感じられる。
たいそう気持ちがこみ上げて、
「ほんとうに、このような寂しい生活をどうして送っているのですか。どのご一族でいらっしゃるのでしょうか」
とおっしゃると、女は、
「さあ、何とも申し上げられません。このようなみすぼらしい生活をしてはおりますが、訪ねてくるはずの人もなく、不審に思わずにいられません」
と申し上げる。
「『はじめは誰も疎いものだ』とも言うようですから、頼りないことこそが、頼もしいことなのです。昼間、たいそう心惹かれるものだと思われましたので、立ち去ることもできずにおりましたが、こうしてお会いするとあなたは思ったとおりの方だ。親がいらっしゃらないというのでしたなら、どんなに心細く思っていらっしゃることでしょう。父上はどなたなのですか。」
などとおっしゃる。
返事は
「誰とも人に知られていない人なので、申し上げてもご存じないでしょう。」
といって、前にある琴をひっそりとかき鳴らしているので、若小君は不思議とすばらしいと聞きながら座っていらっしゃる。
一晩、語り合いなどなさいながら、どうしたことでしょう、その夜はそこにお泊まりになりました。

あかなくに~=在原業平の歌。
「あかなくにまだきも月の隠るるか山の端にげて入れずもあらなむ」    (まだ十分に満足する前に月は隠れてしまうのか、山の端は逃げて月を入れないで欲しい)

女君は「たれと人に知られざりし人なれば、聞こえさすともえ知りたまはじ」というが、レジェンドである俊蔭を知らない者などいない。女君の言葉は謙遜であろうが、それにしても、俊蔭の屋敷であることは、調べればわかるはず。未成年ならではの世間知らずのせいか。


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