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宇津保物語を読む 俊蔭8

俊蔭、七仙人と弾琴音仏の国に達す

 その山のさまは心ことなり。山のなり。花を見ればにほひことに、紅葉もみぢを見れば色ことにほこりかに、浄土のがくの声、風にまじりて近く聞こえ、花の上には鳳凰、孔雀つれて遊ぶところに、七人つれて入りたまひて、その山のあるじを拝みたまふ。

(本文は小学館新編日本古典文学全集)

 その山の様子は格別であった。山の地肌は瑠璃である。花を見ると匂いが格別で、紅葉を見れば、色は特に誇らしく、浄土の音楽が風に乗って近くに聞こえ、花の上には鳳凰、孔雀が連れ立って遊ぶところに、7人は連れだってお入りになって、その山の主を拝みなさる。

花が何の花を指すかわからないが、桜であるならば、ここは春と秋が同時に訪れる場所である。竜宮には四季の花を同時に見ることのできる庭があるらしいので、この山は竜宮のような仙境といえよう。(なお、源氏物語の六条院は四つの町を四季に見立てており、竜宮をもしたものともいわれている。)

 山のあるじ喜びかしこまりたまふときに、客人まらうど申したまはく、「日本の人、蓮華の花園よりとて来たれば、そのぶさの恋しさになむ。花園をかけてもいふ人なれば、山のともがらこぞりて、てまうで来つる」とのたまふときに、山のあるじ、俊蔭にのたまふ、「おのれは、天上より来たりたまひし人の御子どもなり。この山にくだりたまひて、七年住みたまひしほどに、一年に一人をあてて、七人のともがらとなりにき。おのらがいとけなきを見捨てて、天上へ帰りたまひにしかば、乳房の通ひたまはぬところに、いときなきともがら、花の露を供養と受け、紅葉の露を乳房となめつつありふるに、親、天上したまひてのち、あまつ風につけてもおとづれたまはず、知る人もなきに、あめの下にとどめたまひて、こふの変るまでおとづれたまはぬを、ほのかに聞けば、これよりひがしなる花園になむ、春と秋とに下りたまふなるを、花園よりとうけたまはれば、親の御あたりのかうばしさに、娑婆世界の人の通はぬところなれども、対面するぞ」とて、

(本文は小学館新編日本古典文学全集)

 山の主が喜び恐縮しなさっていると、客人(他の山の主)が申し上げなさるには、
「日本の人が蓮華の花園から来たので、その乳房(母の愛情)の恋しさに……。花園のことを色々と話してくれる人なので、山の仲間と一緒につれて参ったのです。」
とおっしゃると、山の主は俊蔭におっしゃる
「私は、天上からいらっしゃった人の子どもである。この山に下りなさって、7年お住まいになったときに、1年に1人づつ産み、7人兄弟となりました。幼い私たちを見捨てて天上にお帰りになったのですが、乳房(母の愛情)のない場所に幼い兄弟は花の露を食物として食べ、紅葉の露を乳房としてなめながら過ごしていましたが、親は昇天なさった後天から吹く風につけても訪ねて下さらず、誰も知らない場所にこの地上に留めなさって、劫が変わるほどの長きにわたり訪ねてくださらなかったが、聞くところによれば、ここから東にある花園に春と秋とに下りなさっているとか。その花園から来たと承りますれば、親の匂いの恋しさに娑婆世界の人が来ることのできない場所ではあるが、対面するのです。」といって、

また「乳房」である。何回出てくるのだろう。だんだん豊饒なる命の象徴のように思えてきた。

他の山の主の態度や、この主の話しぶりからしてこの人が長男であろうか。

仙人の姿は30歳くらいに見えたとあったが、「劫」の変わるほどの時間放置されたといっている。劫は何千万年という時間を表すが、誇張表現と取るか、時空の歪みと取るか。そもそも30に見えたって実際の30歳とは限らないし。

このこと八つを一つづつ調ベて、七日七夜弾くに、この響き、仏の御国まで聞こゆるときに、仏、もんじゆにのたまはく、「これより東、娑婆世界より西に、天上の人の植ゑし木の声すなり。とみに行け」とのたまふときに、文珠、獅子に乗りて、せつあひだいたりて問ひたまはく、「汝は何ぞの人ぞ」と問ひたまふときに、七人の人、みな礼拝して申さく、「われは昔そつてんないゐんじようなり。いささかなる犯しありて、たうてんの天女を母として、この世界に生まれて、七人のともがら同じところに住まず、またあひ見ること難し。しかあるを、ぶさの通ふところよりとて渡れる人のかなしさに、七のともがらつどひてうけたまはるなり」と申すに、文珠帰りて仏に申したまふときに、仏、文珠を引き連れて、雲の輿こしに乗りて渡りたまふときに、このやまかは、つねのここせず。

(本文は小学館新編日本古典文学全集)

 この8つの琴を8人がそれぞれ一つづつ弾いて、七日七夜弾くと、この響きが仏の御国にまで聞こえた。そのとき仏が文殊菩薩におっしゃる
「ここから東、娑婆世界より西に、天上の人が植えた木の音がするようだ。すぐに行って(見て参れ)」
とおっしゃると、文殊は獅子に乗って一瞬のうちに着いて、お尋ねになる。
「おまえはどういうものだ」
とおっしゃったときに、7人の仙人はみな礼拝して申し上げる。
「私たちは昔兜率天の内院におりました衆生です。少しばかりの罪を犯し、忉利天の天女を母としてこの世界に生まれ、7人兄弟同じ所には住まず、また互いに会うことも難しく、そうしているところに、乳房の通う(母と関係の深い)ところから来た人の懐かしさに、7人兄弟集まってその話を聴いていたのです。」
と申すと、文殊は帰って仏に申し上げなさると、仏は文殊を引き連れて、雲の輿に乗ってお渡りになる。そのときこの山も川もいつもとは違う様子となった。

テキストとしている「小学館新編日本古典文学全集」の注には以下のようにある。

文殊=梵語Manjusri。文殊師利と音訳。妙吉祥と訳す。諸仏の知恵を象徴する菩薩で、俗に「文殊の知恵」と称される。獅子に乗り、釈迦の左脇侍達となり、右脇侍の普賢菩薩と三尊をなす。中国では山西省五台山が文殊の聖地清涼山であるとして信仰され、その信仰は円仁によって日本に招来された。

刹那=一日は6480000刹那とあり、1刹那は75分の1秒(0.013秒)に相当するという。

兜率天=梵語Tusitaの音訳。知足、妙足などと訳される。欲界六天の第四天で、内外二院に分れ、内院は弥勒菩薩の住処、外院は天衆の遊楽の場所で、ここの天人の寿命は地上の四百年を一日として四千年(地上の五億七千六百万年)であるという。

「小学館新編日本古典文学全集」

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