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宇津保物語を読む7 菊の宴(実忠抄)#2


実忠、真砂子君の死を知り悲しむ

 源宰相は、かかることをも知りたまはで、思ほすことのならぬをのみ思ひられ、臥し沈み、病になり、ある時は遊びきらめきつつ旅住みをし、思ひしの上をも知らで、恋ひ悲しむをも知らぬほどに、真砂子君の七日のわざを、母君、仏描き経書きほふぶくして、にてしたまふほどに、宰相、思ひなしたまへと、やしろに詣で合ひたまへるに、この君のわざをするぐわんしよに、親の心変はりたるにより、一人あるの子いたづらになしたることを面白う作れり。ひとやまの人悲しみののしる。源宰相、驚きて泣き惑ひ、臥しまろびたまへどかひなし。多くのじいきやうしたまふ。さてなむ君のなきをば知りたまひける。

(小学館新編日本古典文学全集)

 源宰相(実忠)は、真砂子君がなくなったことも知らず、あて宮への恋の成就がならぬことばかりにイライラとし、寝込んで病気になり、あるときは派手に楽器を演奏しては、左大将邸に泊まり込み、愛する妻子がどうなったかも、ましてやわが子が自分のことを恋い悲しんで死んでしまったことも知らないでいた。
 真砂子君の七日の法要を母君が、仏画を描き写経をし法服を整えなどして、比叡山で行っていたところに、偶然、恋愛成就のために参詣していた宰相と出くわした。
 真砂子君のための願書には、親の心変わりによってたった一人の男の子を死なせてしまったいきさつを、感慨深く書いてある。それを聞いた参詣の人々は皆同情し、声をあげて泣き悲しむ。源宰相はそこで初めて事情を知り、驚き泣き惑い、臥し転びなさるが、今さらどうしようもない。源宰相は多くの誦経をして供養なさる。
こうして、真砂子君が亡くなったことを知ったのであった。


実忠と家族との対比が切ない。実忠は真砂子君が死んだことも知らず、一途にあて宮のことだけを思い、生活のすべてをあて宮へと費やしている。その姿は狂気じみてもいる。

比叡山での一件も象徴的だ。真砂子君の法要が多くの人々の同情の中で執り行われているところに、何も知らない実定がひょっこりと現れる。何しに来たのかと思えば報われない恋愛成就の願掛け。

家族を見捨てた情けない男が、まさにその情けないままの姿で現れる。
事情を知り慌てふためく姿は滑稽でもあるが、その場に居合わせた者たちはさぞ引いていたことであろう。

実忠の妻、真砂子君を哀悼する

 かくて、男もなき所に、つれづれと眺めわたりたまふ。この北の方、むかしよりかたち清らに、心ある名取りたまへり。娘の君もよきほどにてものしたまへば、よろづの人聞こえたまふ中に、左大将殿の中将の君、ひやうゑのかんの君、式部卿のまのかんの君など、この北の方をせちに聞こえたまふを、近くて見たまふことかけてなし。
 真砂子君の恋しく覚えたまふをり、かくなむ。
 (実忠妻)聞くだにもゆゆしき道と思ひしを
  君もきぬと見るが悲しさ
袖君、
  並びゐて遊びしものをにほどり
  涙の池にひとり行くかな
(以下略)

 こうして実忠の北の方は男のいない家で所在なく嘆き暮らすのであった。
この北の方は以前より容貌も美しく心だてもすぐれているとの評判であった。娘の袖君も年ごろに成長なさったので、多くの男たちが求婚するが、なかでも左大将殿の子息である中将の君や兵衛督の君、式部卿の右馬頭の君などが熱心にこの北の方に求婚なさるが、近くでお会いなさることはけしてなかった。

 ある日、真砂子君を恋しく思い出されてこのように歌を詠む。

  冥土への道はうわさに聞くだけでも不吉な道だと思っていましたが、
  わが子がその道を行くと思うと、悲しくてなりません

袖君がそれに応じる

  二人並んで鳰鳥のように遊んでいたのに
  弟はあの世の涙の池に一人で行くのですね


原文ではこの後、母の長歌へとつづきます。

実忠の北の方に多くの男性が言い寄るが、
それになびかないのは、実忠への操ではなく、男というものへの幻滅であろうか。

息子を失っても未だ目が覚めない実忠と、誰も頼ることが出来なくなった母子。悲劇は続きます。

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