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宇津保物語を読む 俊蔭Season2 #4

翌朝若小君、去りがたい思いで女の許を辞す

 深き契りを、夜ひと夜、心のゆく限りし明かしたまふも、逢ひがたからむことを、今よりいみじうかなしう思さるるほどに、かくなれば、さてもあるまじう、思しさわぐらむといみじければ、(若小君)「なほ、いかがすべき。今日けふばかりは、なほかうてもと思へど、同じところにてだに、片時お前ならぬところにはゑたまはず。あからさまの御ともにも、はづしたまはず。昨日きのふ心地のあしく覚えしかば、参るまじかりしを、せちにのたまへば。そもかうここに参りべかりければこそと、今なむ思ひ知らるる。さらに心にては夢にてもおろかなるまじけれど、参り来むことのわりなかるべきこと」とのたまへば、女、
  秋風の吹くをも嘆くあさ
  いまはとれむをりをこそ思へ
とほのかにいへば、ふたしへにいとほしく、あはれなることを思ひ入りて、
  (若小君)「ずゑこそ秋をも知らめ
  根を深みそれみち芝のいつか忘れむ
あがほとけ、おろかなるにな思しそ。さりともかくてやむべきにもあらず。ただつつましきほどばかりぞ」とのたまひて、起き出でたまふに、なほいみじうかなしう思さるれば、ひとの袖を顔におしあてて、とばかり泣き入りて、かくのたまふ。
  (若小君)宿思ふわが出づるだにあるものを
  涙さへなどとまらざるらむ
とのたまへば、女、うち泣きて、
  見る人も名残ありげもみえぬ世を
  何と忍ぶる涙なるらむ
といふさまも、いと心苦しけれど、殿とののこともいとをしければ、かへすがへす契りおきて出でたまふに、殿のうちをだに人あまたしてこそ歩きたまへ、ただひとところ帰りたまふに、いづれの道とも知りたまはぬうちに、あはれなる人を見捨てつるに、あれか人にもあらぬ心地して、見めぐらしてつじに立ちたまへり。

(本文は小学館新編日本古典文学全集)

 深い契りを夜通し、心のゆく限りなさり、夜を明かすが、これから会うことが難しくなることを、今からたいそう悲しいことと思いなさるうちに、夜が明けてきたので、こうしているわけにもいかず、いまごろ両親も心配して大騒ぎしていることであろうと、気がせくので

「やはり、どうしようか。今日だけは、やはりこうしていたいと思うけれども、同じ屋敷の中でさえ、片時も御前でないところには私を置かないのです。ちょっとした外出の供としてお外しにはならない。昨日も気分がよくなかったので、お供に参上したくなかったのに、是非にとおっしゃったので。それも結局ここに来ることのできたのでよかったと、今は思い知らされていますが。けっして心の中では、夢の中であってもあなたをおろそかには思いませんが、ここに来ることは無理なことだ。」

とおっしゃると女は

  秋風が吹くことでさえも嘆く浅茅の生えた荒れ野では、
  いまはもう枯れてしまう時が思われる。
    (秋=飽き 枯れ=離れ)

とかすかに口ずさむと、女と親との双方が気の毒に、哀れであると思い悩み、

  「葉の先は秋を知っているでしょうが、しかし
  根は深いので、ここへの道をいつ忘れることだありましょうか。
   (葉末=女 みち芝=自分 秋=飽き 根=寝 みち芝=道)

たいせつなあなた。いい加減な者だと思わないで下さい。いくらなんでもこのまま終わりになるはずがありません。ただ、親に遠慮しなければならない間だけのことです」

とおっしゃって、起き出しなさると、やはりたいそう悲しく思われるので、単衣の袖を顔におしあてて、しばらくの間お泣きになってこのようにおっしゃる。

  この宿に住むあなたを思う私がここを立ち去ることでさえ辛いのに、
  涙までもどうして止まらないのでしょうか。

とおっしゃると、女は泣いて

  契りを結んだあなたも名残ありげな様子にも見えない二人の関係の
  何を忍んで流す涙なのでしょう。

という様子も、とても心苦しいけれど、父のことも心配なので、繰り返し約束をしてお出かけになると、家の中でさえ多くの人を従えてお歩きになるのに、ただひとりでお帰りになると、どの道を通ってゆけばよいかもわからないうち上に、愛しい人を見捨て、茫然としながら歩き、ふと周囲を見廻すと、道の辻にお立ちになっている。


みち芝=道に生えている芝草
あが仏=たいせつな人
見る=夫婦の契りを結ぶ
世=二人の仲


思う存分の逢瀬のあと、二人は日常に戻る。若小君は将来を約束しながらもなんとも頼りない。

若小君は親のことを常に気にしている。「煩わしいもの」といった感じではなく、女と同等に大切に思っている。若小君は恋のためにすべてを捨てられない男である。


「女」

俊蔭の娘を、今までは「娘」と呼んでいたが、若小君との場面においては、「女」と表現される。恋の場面においては、属性がそぎ落とされ「人」「男」「女」となる。
「和泉式部日記」でも主人公和泉式部は、ただ「女」と書かれるのみ。


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