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宇津保物語を読む5 吹上 下#4



忠こそ来合せる 人々昔を思い歌を詠む

 その夜、物の静まりたる明け方に、行ひ人の声遥かに聞こゆ。帝聞こし召して、(院)「あやしく、尊く読経する者こそあれ。尋ねて召せ」とのたまふ。蔵人、殿上人馬に乗りて、ほのかに聞こゆる方をして行くに、かみの宮に至りぬ。そこにかの行ひ人、遥かに思ふまじき心つきて、そのあたりをだに今一たび見せたまへと、六十余国を行ひありきけるを、召すに参らぬを、しひて率て参りて、(蔵人)「さぶらふ」と奏す。帝御はしのもとに召して御覧ずるに、木の皮、苔の衣を着て、いふばかりなきものから、ただの人に見えず。帝、なほこれはあるやうある者なりと思し召して、(院)「何ごとにより、いづれの山に勤め行ふ人ぞ」と、くはしく問はせたまふ。忠こそ、かくなりにたれば、見知る人もなけれど、思し召しもこそ出づれと、悲しくいみじく思ふ。帝、仲頼、行政に、琴をその声に調ベさせたまひて、行ひ人に孔雀経、理趣経読ませたまひて、合はせて聞こし召すに、あはれに悲しく、涙落とさぬ人なし。
 帝、この行ひ人を、ほのぼの御覧ぜしやうに思さる。大将、仲忠などは、春日かすがにて見たまひしかば、それと思へど、恥ぢかしこまりしを思して、ただ今もいみじう思へるを見れば、知らぬやうにてさぶらひたまふ。帝、昔より御覧じたる人を思し出づるに、忠こそを思し出でて、それなりけり、と思し定めて、左大将にのたまはす。(院)「この人見しやうなれば、あはれなるを、一人なむ思ひ出でたる。昔契られたる仲なれば、見知られたらむとなむ思ふ」。大将、悲しと思してえ奏したまはず。帝、右のおとどして、(院)「昔の御時に上にさぶらひしと見るはあらずや」と問はせたまふ。忠、気色御覧ぜられぬと思ふに、涙雨のあしのごとくこぼる。帝よりはじめたてまつりて、声も惜しまずなむ。
 大将、(正頼)「この法師見たまへつけしはじめより、奏せむと思ひたまへしかど、世に侍りけると聞こし召されじと、限りなく恥ぢかしこまりはべりしかば、今に奏せず侍りつる」。帝、限りなくあはれと思し召して、御階に召し寄せて、(院)「年ごろ今にいたるまで、隠れにしを思はぬ時なし。あやしくはかなくて失せにしは、いかなることにてぞ」など問はせたまふ。山伏、紅の涙を流して奏す、(忠こそ)「山にまかり籠りしは、父、剣をもちてせちがいすとも、汝が罪をば咎めじとまで申しはべりしを、かの朝臣いたはるところありて参らずはべりしころ、許されぬいとまを奏してまかり出でてはべりしに、にはかに許さぬ気色見えはべりしかば、親を害する罪よりまさる罪や侍らむと、魂静まらずして、すみやかにまかり籠りて、山林を住みかとし、熊狼を友とし、木の実松の葉を供養とし、木の葉、木の皮こけを衣として、年ごろになりはべりぬ」と奏す。帝、限りなく悲しと思して、(院)「過ぎぬること嘆くにかひなし。今よりだに近くさぶらひて、御祈りも仕うまつれ」と仰せらる。(院)「かくて世にありけるものを、え求め出でずもありけるかな。
  谷深くおりゐる雲の立ち出でつ
  など山のを求めざるらむ」
山伏、
(忠こそ)空なるを見つつ入りにし山辺には
  雲のおりゐる谷もなかりき
式部卿の親王、
  空に満つ雲のかかりし秋霧を
  山の底より出でむとや見し
中務の親王、
  空よりも尋ねて雲のかかるてふ
  暗部くらぶの山を頼むなりけり
右大臣、
(忠雅)入る人を墨染めになす山よりや
  暗部てふ名を人の知るらむ
左大将、
(正頼)風吹けば空に遊びし白雲を
  谷におりゐむとやは思ひし
 夜明けぬ。かくておはしますほどに、よろづのことを尽くしたまふ。
 かくて、帰りおはしますに、源氏率てのぼらせたまふ。種松、上達部、親王たちに、御衣櫃、馬、くりやぶねなど、さまざま奉る。調じたるやういはむ方なし。
 かくて、帰らせたまふ道すがらも、興を尽くして御遊びあり。

(小学館新編日本古典文学全集)

 その夜、楽の音も静まった明け方に、行者の声が遙か遠くから聞こえてきた。
嵯峨院はそれをお聞きになり、
「不思議にも尊く読経するものがいるようだ。探して連れてくるように。」
とおっしゃる。
蔵人と殿上人が馬に乗って、かすかに聞こえてくる方角をめざして行くと、かみの宮についた。
そこには、あの忠こその行者が、あて宮を遠くから恋い慕うまいとの覚悟をしつつも、あて宮の姿をもう一度お見せくださいと、全国各地を修行しながら放浪していたのだった。忠こそは院のお召しだというのを断るものの、そこを強いて連れてくる。

蔵人が「連れてまいりました」と奏上する。
嵯峨院は御階のもとにお呼びになりご覧になると、木の皮・苔の衣を着ていいようもないほどに粗末な身なりではあるが、普通の者とは思われない。院は、「やはりこれはなにか事情のある者だな」とお思いになり、「どういう事情で、どちらの山で修行している者か」と詳しくお尋ねになる。
忠こそは、このような姿では、自分だと気がつく者もいないだろうが、院が思い出しでもしたら、とたいそう悲しく思う。
院は仲頼・行政に琴を誦経の声に合わせてお弾かせになり、行者には孔雀経・理趣経を読ませなさって、琴の音と合わせてお聞きになると、その調べはたいそう悲しく、涙を落とさない者はいない。

 院はこの行者をうすうすと以前ご覧になったことがあるように思われる。大将や仲忠などは以前春日詣の折りにご覧になっていたので、忠こそだとは気がついたのであるが、恥じ恐縮していた姿を思い出し、今もたいそう恐縮している姿を見れば、知らないふりをして控えている。
院は、昔ご覧になった人々を思い出すうちに、忠こそを思い出し、「まさしく忠こそである」と気がついて左大将におっしゃる。
「この人は以前あったことがあるようなので、しみじみと思われるのだが、一人思い出した。おまえは昔義兄弟の仲を約束したのだから見知っているだろうと思うが。」
しかし大将は悲しみのあまり返事もできない。
次に右大臣に
「昔、わが在位のとき宮中に仕えていたと思われるが、違うかね。」
とお尋ねになる。
忠こそはすっかり気づかれてしまった思うと、涙が雨のごとくこぼれた。
院をはじめとしてみな、声を惜しまずに泣く。

 大将「この法師を目にするやいなや忠こそであると申し上げようと思いましたが、生きていると知られまいと、この上なく恥恐縮しておりましたので、今まで申し上げずにおりました。」
院は、限りなくあはれなことだとお思いになり、御階に呼び寄せて、
「長年今に到るまで、おまえが失踪したときを思い出さないときはなかった。不思議にもこっそりといなくなったのは、どうしてなのだ。」
などとお尋ねになる。山伏は紅の涙を流してお答えする。
「山に籠もりましたのは、父が、「剣をもって私を殺そうとも、おまえの罪は咎めまい。」とまで申していただきましたのに、父が病のため参内できずにいたところ、無理にお暇をいただいてお見舞いに伺ったところ、その父が急に私を許さぬといったように見えましたので、親を害する罪よりも重い罪はあるまいと、気持ちが落ち着きませんで、すぐに家を離れ山に籠もりました。山林を住みかとし、熊や狼を友とし、木の実松の葉を食糧として木の葉、木の皮苔を衣として、長年過ごしておりました。」とお答えする。
院は限りなく悲しいことと思われて、
「過ぎたことを嘆いてもしかたあるまい。今からでも我が近くに仕え、祈祷などするがよい。」とおっしゃる。さらに
「こうして生きていたのに、探し出すこともできずにいたものだなあ、
谷深く立ちこめていた雲も外へと昇り出た。
どうして山頂を求め昇らないだろうか、昇ればよい。
(こうしておまえも姿を現したのだから、都に戻ってはどうかね)

山伏
  うつろな思いで分け入った山辺には
  雲の下りる谷もございません
  (いつまでも悟りを得られずさまよっています)

式部卿の親王
  空いっぱいに雲がかかっている秋霧の中
谷底から出てくるとは思いませんでした
  (不意の再会に喜んでおります)

中務の親王
  空から降りて、わざわざ訪ねて雲がかかるという
  暗部の山を、雲は頼りとしているのです

右大臣
  入山する人を皆墨染めの僧にしてしまう山なので
  暗部山を皆知っているのでしょう

左大将
  風が吹くと空にさまよう白雲が
  谷に降りようと思いませんでした。
  (あなたとの再会を喜んでいます)

 夜が明けた。こうして院が滞在している間、様々なことを尽くして歓待申し上げる。

 こうして、ご一行がお帰りになるときに、源氏の君(涼)をつれて上京なさる。
種松は上達部、親王たちに、御衣、櫃、馬、厨舟など、様々のものを差し上げる。それらの品々を整えた様子はいいようもない。
 こうしてお帰りになる道すがらも、興を尽くした管弦の遊びをする。


やや唐突ではあるが、忠こその再登場である。
忠こその失踪は『忠こそ』で紹介したとおりであるが、
実は失踪後仲忠たちの前に姿を現している。(春日詣)その様子については、次回紹介しようと思う。
歌の中に出てくる「暗部山」は忠こそが籠もっていた鞍馬山のこと。

吹上の場面はこれで終わり、涼を伴って上京し、舞台は再び京に戻る。

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