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宇津保物語を読む 俊蔭10


七仙人、俊蔭を送り、琴に名をつける

 かくて、俊蔭、今は日本へ帰らむと思ふに、この七人の人に琴一つづつとらす。七人、紅の涙を流して惜しむ。俊蔭、行きがてにして帰る。七人の人、おんじやうがくして、ざくの渡しし河のほとりまで送る。それより帰るとてのたまふ。「われら、日の本まで送りたてまつらまほしけれど、山ぐちをだに出でぬともがらなれば、別れの悲しびに、ここまでだに参り来つるなり。ここにて日本国まで送りたてまつるべき人をさぶらはせむ」とのたまひて、いささかなる法をつくりかけつ。かの国までて帰るべき琴には、をのがたぶさの血をさしあやして、琴の名を書きつく。一つをばりうかく風、いま一つをばほそを風、いまーつをばやどもり風、四つをばやまもり風、五つをばせた風、六つをばはなぞの風、七つをばかたち風、八つをばみやこ風、九つをばあはれ風、十をばおりめ風と書きつけて、七人の人は帰りぬ。

(小学館新編日本古典文学全集)

 こうして、俊蔭は「今は日本へ帰ろう」と思い、この7人の仙人に琴を一つずつ差し上げる。7人の仙人は紅の涙を流して別れを惜しむ。俊蔭は別れがたい様子で帰る。7人の人は音楽を奏で、孔雀が渡してくれた川のほとりまで送る。そこから引き返そうとしておっしゃる。
「私たちは、日本までお送り申し上げたいけれど、山の入り口さえでることのできない者たちなので、別れの悲しさに、ここまで参ったのです。ここで日本まで見送るはずだった人をおつけしましょう」
とおっしゃって、ささやかな法を施した。
日本まで持って帰るはずの琴には、自分の手首の血をしたたらせて、琴の名を書きつけた。
一つを、「りうかく(竜角)風」もう一つを、「ほそを(細緒)風」もう一つを、「やどもり(宿守)風」四つ目を「やまもり(山守)風」五つ目を「せた(栴檀)風」六つめを「はなぞの(花園)風」七つめを「かたち(容)風」八つめを「みやこ(都)風」九つめを「あはれ(哀)風」10番目を「おりめ(織女)風」と書きつけて、7人の仙人は帰った。

~がてに=~できないで
「日本国まで送りたてまつるべき人」=自分達のかわりの従者
たぶさ(手房)=手首

 従者をつけるといいながらその存在が語られないのは、作品としての不備か、もしくは「いささかなる法」によってつけられた目に見えない守護霊みたいなものか。

 俊蔭帰れば、例のつじかぜいで来て、ことをば巻きとりつ。天女の名づけたまひし、とり合はせて十二、しらもとり加へて巻き上げつ。
 俊蔭、三年住みし山に至りて、ことのさまを語りて、月日のさまなど詳しくいふほどに、旋風、この巻き上げし琴を、この三人のいひゐたる前に、琴を巻き持て来ておろし置きつ。そのかみ、俊蔭、この白木の琴を、この人々に一つづつたてまつる。めづらしがり喜ぶこと限りなし。

(小学館新編日本古典文学全集)

 俊蔭が帰ろうとすると、例のつじ風が吹いてきて、琴を巻き上げた。天女が名づけたものと併せて12面。白木(名づけられていないもの)も加えて巻き上げた。
 俊蔭は3年住んだ山に着いて、ことの様子を3仙人に語り、日々の様子などを詳しく話しているときに、つじ風がこの巻き上げた琴をこの3人のいる前に、巻き持って来て下ろし置いた。そのとき、俊蔭はこの白木の琴をこの人々に1つずつ献上した。珍しがり喜ぶことこの上ない。

「旋風」便利だなあ。手ぶらで旅ができる。

名づけるということ

 血にで琴に名づけることにより呪法をおこなう。名づけることだけで十分な呪力を込めることになるが、さらに血書でより強固なものとなる。
 夢枕獏「陰陽師」には「玄象」「葉二つ」という琵琶と横笛が登場する。「陰陽師」のなかで安倍晴明は、名とは「しゆ」であるという。名をつけることによってそれは唯一特別な存在となる。
 今でも「名器」とされるものには「名」がつけられ、それとともに「いわれ」というストーリーが神秘性をさらに付加する。
 たとえば、バイオリンの名器「ストラディバリウス」。それぞれの楽器には愛称が付けられ、誰が使っていたかなど様々なエピソードがその楽器を彩る。
 白木の18面の琴はどれも同じモノで、どれを誰に与えてもよかった。お礼として「贈る」ということに意味があり、その琴がどうなろうと俊蔭には関係ない。意味が生まれるとすれば、受けとった人がそこに「いわれ」を刻みつけたときだ。
 現代の楽器は工業製品であり番号で管理される。価値は金額で計られ壊れれば交換される。しかし、愛着を持つということは、個性のないモノに、「いわれ」を付加するということだ。それは私たちの生活の中に今も残っている。

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