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宇津保物語を読む 俊蔭15(Season1終了)

俊蔭薨後の娘の窮乏生活

 心と身を沈めしほどに、ことに身のとくもなく、久しくなりにしかば、まして一人の使ひ人も残らず、日にしたがひてせ滅びて、ものの心も知らぬ娘一人残りて、ものおそろしくつつましければ、あるやうにもあらず、隠れ忍びてあれば、人もなきなめりと思ひて、よろづのわうくわんの人は、やどどももこぼちとりつれば、ただしん殿でんひとつのみ、すのもなくてあり。ほどもなく野のやうになりぬれば、娘はただ、乳母めのとの使ひけるの、しもざうしてありけるをぞ呼びて使ひける。父ぬしのいひしごと、所々の荘より持てしも、使やりなどしてはたり持てしときこそありしか、かくむげになりぬれば、ただ預りのもののよろこびにてやみぬ。はかなくうち使ふ調てうなども、親たちの亡くなりにけるさはぎに、とりかくしてしかば、みな失せはてにけり。
 世の中も知らぬ若きここに、いとあはれにかなしく、春は花をながめ、秋は紅葉をながめて明けくらすに、ただこの嫗の食はすれば食ひ、食はせねば食はであり。ひとり隠れゐるばかりの屏風、几帳、着るものばかりは、さはいへど、広かりしところのごりに、なくなりぬと見れど、なほしつらひてあり。父ぬし、もののようあり、心にくきところありし人なれば、家のさま、をかしうおもしろかりしところなれば、家広く、植木おもしろく、草のさま、しきなど、なべてならずおもしろきところにて、夏になるままに、出で入りつくろふ人なきところなれば、よもぎむぐらさへ生ひこりて、人めまれにて、ただ明け暮れながむるに、秋にもなりぬれば、木草の色ことになりゆくを見るままに、いふかたなく悲しくて、かくいふ。
  (俊蔭娘)わび人は月日の数ぞ知られける明け暮れひとり空をながめて
など、ひとりごちてなむながめける。

(本文は小学館新編日本古典文学全集)


 俊蔭が自らの意志で官を退き、身を沈めてから、特に収入もなく、長くなってしまったので、まして一人の使用人も残らず、日を追うに従って残すものなく滅び、分別もつかない娘が一人残って、もの恐ろしく、ひっそりと暮らしていたので、住んでいる様子もなく、隠れ忍ぶようにして暮らしていたので、「誰も住んでいないのだろう」と思いそこを行き来する多くの人々は、家を壊して持っていってしまうので、寝殿一つだけが簀の子もない様で残された。まもなく邸は野のようになってしまったので、娘はただ乳母が使っていた従者で、下屋に部屋住まいしていた者をよんで使っていた。父の言っていたとおり、所々の荘園から持ってきた物資も、催促して持ってこさせた時もあったが、このように落ちぶれてしまったので、管理する者の収入になってしまった。なにげなく使っていた調度品なども、親たちが亡くなった時のどさくさで持ち去られ隠されてしまったので、皆なくなってしまった。
 世間のこともわからない幼い心地にも、たしそうしみじみと悲しく、春は花を眺め、秋は紅葉を眺めて暮らし、ただこの従者の老婆が食べさせる時は食べ、食べさせなければ食べないで過ごす。ひとり身を隠すだけの屏風や几帳、着るものくらいは、そうはいっても広い邸の名残で、なくなったかと思われたが、まだ用意してある。
父は器用なところがあり、趣味のよいところがあったので、家の様子はたいそう興味深く、風流な所であり、家も広く、植木も風流で、草の様子、けしきなど普通とは違い、風流なところで、夏になるに従い、出入りして手入れをする人がいないので、蓬や葎までもが生い茂り、人影はめったになく、ただ明け暮れぼんやりと眺めているうちに、秋にもなれば、草木の色が移り変わってゆくのを見ていると、いいようもなく悲しくて、このように歌を詠んだ。
  わびしく過ごす私は、ただ月日の数ばかりがしられるのだ。
  明け暮れる空をただひとりで眺めるうちに。
などと、独り言を言いながら物思いにふける。

心と身を=「心と」は俊蔭が自らの意志で、自分からすすんでの意。(全集注)
徳=収入

ただひとり残された娘は、下女の老婆だけを頼りに日々を過ごす。

ひどい落ちぶれようである。かつては宰相とまでなった娘がだれにも見向きもされず忘れ去られてしまう、絵に描いたような零落ぶりである。

娘の運命やいかに。


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