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宇津保物語を読む8 あて宮#1


「あて宮」は菊の宴に続く巻です。

 この巻はあて宮の婚儀とその後の親王誕生までを描きます。「あて宮」ストーリーの決着がいよいよつきます。

 あて宮の結婚を多くの人たちが嘆き悲しみますが、その中でも特に心を痛めるのが実兄の忠澄でした。

あて宮の東宮入内決定 実忠仲澄ら悲嘆

 かくて、あて宮、東宮に参りたまふこと、十月五日と定まりぬ。聞こえたまふ人々、惑ひたまふこと限りなし。その中にも、源宰相、御せうとの侍従は、伏し沈みて、ただ死ぬべしと惑ひられて、いみじう悲しきことども書き連ねて、日々に書き尽くし聞こえたまへり。御返りなし。
 惑ひらるる中にも、源侍従、心一つに思ひて、伏し沈みて、湯も水も絶えて死ぬべきに、大宮、いと悲しと思して、(大宮)「などいふかひなくはなりまさりたまふぞ。あてこそを、宮のいとせちに召せば、何かはと思ふを、あまたものしたまへど、中将とそことをこそは、宮にも上許されなどしたまへれば、さらむ折にも、宮の内のことをもうしろすべし。このことをば、そこに預けたてまつらむとなむ思ふを、かくいたづら人にていますがるが、いみじく悲しきこと」と泣き惑ひたまふ。いとどしきに、かけてものたまはで、ものも覚えず、あるかなきかにてぞ聞こゆる。(仲澄)「月日のるままに、かくのみなりまさりはべるは、なほえ侍るまじきにこそ伸るめれ。つかさかうぶりをも、人と等しく賜はり御覧ぜられむ、もちになひも、御世の限りは仕うまつらむ、とこそ思ひはべりつれ。かくながらやみはべりぬべきが、いみじう悲しきこと。あまたおはしませども、中のおとどの姫君になむ、いかで仕うまつらむと思ひたまへつる。御宮仕へのほどなどには、ざふやくをだにとこそ思ひたまふる時しまれ、いたづら人になりぬること」と、泣く泣く聞こゆ。
 宮、おとどに、(大宮)「侍従のいと頼もしげなう見ゆるに、思ひこそわづらひぬれ。いかならむとすらむ」。おとど、(正頼)「そがいとほしきこと。などかこれしもかくあらむ。わが子といふもの、いとおもてせ、人笑へなるはなきがうちに、これはなり出でぬべく、かどをも広げ、うぢをも継ぐべきしも、かくあれば、いといみじくなむ。すべて世の中いと騒がしかなり。これがわづらふやうに、みな人あなる。源宰相も、死ぬべしとなむいふなる。今年のこととして、かくなむあなる。あやしく、騒がしかりぬべき年とて、春のはじめより人慎みて、たけ、熊野詣で、やむごとなきかんだちり立ちて、山踏みしたまへる年にこそあれ」とのたまふ。

(小学館新編日本古典文学全集)

 さて、あて宮が東宮にじゆだいなさるのは10月5日と定まった。求婚なさっていた人々はみなそれを聞いておろおろとしている。

 なかでも源宰相実忠と実兄の源侍従仲澄は、寝込んでしまい、もう死んでしまうとばかりに、焦りに焦りっては、たいそう悲しい気持ちを手紙に書き連ねて毎日送りなさるが、返事はいただけない。

 二人のうちでも特に源侍従は、その悲しみを誰にも打ち明けることも出来ず、自分一人の心のうちに秘めては寝込んでしまい、湯水さえもお口になさらず、今にも死んでしまいそうである。

 母大宮はそんな様子をご覧になり、たいそう悲しんで、

「どうしてそれほどまでに憔悴なさっているのでしょう。あて宮を東宮が熱心に御所望なさっていたので、それも仕方のないことと思ってお受けしましたが、多くの息子たちの中でも、あなたと中将は東宮御所へも殿上を許されているので、入内の折は、東宮御所内であて宮のことを助けていただこうと、それをあなたにお願いしようと思っておりましたのに。こんなにも廃人同様になってしまって、なんとも悲しいこと。」

とお泣きになる。

 それを聞いて侍従はなんとも情けなく思うものの、あて宮への思いは打ち明けるわけにも行かず、うつろなままかすかな声で申し上げる。

「月日が経つうちにこのようになってしまいましたのは、やはりもう生きてはいられないということなのでしょう。官職も人並みにいただく姿を母上にご覧になっていただこうと、父の仕事もよく手助けをもし、父のご存命の間はお仕えしようと、そう思っておりましたのに。このように病気になってしまいましたことが、たいそう悲しいことで。多くおります姉妹たちの中でも、あて宮のお世話を何とかしたいと思っておりました。御入内の折にはたとえ下働きでもいいからと思っていたが、そんな折も折、こんな役立たずになってしまって。」

と泣きながら申し上げる。

 大宮は父左大将に、

「侍従がこんなにも弱っているのを見るのはとても辛いですわ。どうしたらよいのでしょう。」

左大将「それはかわいそうに。どうしてこんなことになってしまったのだろう。うちの子たちは、だれもが面目を失うことなく、笑いものになることもなく立派に成長しているが、なかでもこの子は出世し、家門を繁栄させ跡継ぎともなろうと期待していたのに。こんなになってしまっては、たいそうつらいことだ。しかしながら、世の中総じて騒がしいようだ。この子と同じように、源宰相(実忠)も死にそうだといっているらしいし。今年は変な病が流行しているのかなあ。物騒な年だということで、春の頃からみんな慎んで御嶽参りや熊野詣でをしては身分の高い上達部さえもが自ら寺社詣でをしているということだし。」

とおっしゃる。


兄仲澄が妹に恋しているのは、「藤原の君」からすでに描かれていました。あて宮の結婚にショックを受けて、兄実忠はついに寝込んでしまいます。心配する両親。

父左大将は、都中の男たちが寝込んでしまっているのを不審に思うものの、それが自分の娘が原因とは思いも寄らないようで。

兄妹婚

 兄と妹の恋愛というものは、古今東西を問わず物語として描かれております。

 伊勢物語を例に取れば、まず初段「初冠」

 昔、男、初冠して、平城の京、春日の里に、しるよしして(=領地を持っている関係で)、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる(=若くて美しい)女はらから(=姉妹)住みけり。この男、垣間見てけり。思ほえず、ふるさと(=昔の都)にいとはしたなくて(=似つかわしくなくて)ありければ、心地惑ひにけり。男の、着たりける狩衣の裾を切りて、歌を書きてやる。その男、しのぶずりの狩衣をなむ着たりける。
  春日野の若紫のすり衣
  しのぶの乱れ限り知られず
となむ、追ひつきて言ひやりける。ついで(=機会を逃さぬ行動)おもしろきことともや思ひけむ。
  みちのくのしのぶもぢずりたれゆゑに
  乱れそめにし我ならなくに
といふ歌の心ばへなり。昔人は、かくいちはやき(=情熱的な)みやび(=風流)をなむしける。

「はらから」は同腹の兄弟を意味します。この「女はらから」を二人の姉妹と読むことが多いかと思いますが、男の妹ととることも出来ます。

また、49段では

 昔、男、妹のいとおかしげなりける(=愛らしいさま)を見をりて、
  うら若み寝よげに見ゆる若草を
  ひとの結ばむことをしぞ思ふ
と聞えけり。返し、
  初草のなどめづらしき言の葉ぞ
  うらなく物を思けるかな

とあり、これは完全に自分の妹です。

 近親婚には多少緩かった当時、従弟との結婚はあたりまでしたし、叔父姪、叔母甥の結婚もありました。源氏物語にでてくる朱雀帝と朧月夜は叔母甥にあたりますね。

 兄弟については微妙で、同腹でなければギリOKだったようで、「とはずがたり」では後深草院が腹違いの妹である前斎宮のもとに忍び込む様子が描かれています。なんと令和4年(2022)共通テストで出題され、こんなの高校生に読ませていいのかとビックリしたのを覚えています。

 それでも同腹の姉妹はやっぱりいつの時代もタブーです。

タブーは神話の典型

 タブーは体制秩序に対する反抗です。しかし、物語ではそのタブーに苦しむ姿が描かれたりもします。

 先に挙げた伊勢物語もそうですし光源氏の藤壺に対する恋も、実母ではありませんがそれにあたるでしょう。最近では小説「銀河鉄道の父」の映画で、賢治が妹トシに恋愛感情を抱いたかのような描写もありました。近親婚に限定せずとも、さまざまなタブーに挑戦するエピソードは語られる。

 なぜかくもタブーはドラマのテーマになるのか。タブーを打ち破りたいというそもそもの欲求を人は抱いており、そしてタブー(体制)に反抗するヒーローの姿を作り上げたのではないか。しかしその反面、タブーは神が禁ずるものであるかぎり、それを乗り越えた者は逆に神になってしまう。その末路は崇められる存在となるか、この世界から追放されるか。

 昨今のアニメなどでもさまざまなタブーに挑戦する主人公が多くいます。これも古代から現代にまで続く神話の系譜かもしれません。

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