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宇津保物語を読む3 忠こそ#6

北の方、祐宗を呼び、再び奸計をめぐらす

 ことなければ、北の方、しわづらひて、またたばかるやう、故おとどの御をひすけむねといひて少将にてありける、心よろしからず、博打がふの者にて、身の装束などはみなうち入れて、せむ方なく籠りゐたるを、この北の方、呼び取りて、物語などしたまひて、(北の方)「昔は、むつましき者には、君をこそ頼み聞こえしか。されども、君隠れたまひにしかば、つれなきをしも何かはとてなむ。おのが身には、女、むつましき人しなければ、君一人をこそとざまかうざまに頼み聞こゆれ」。(祐宗)「はなはだかしこし。年ごろも、宮仕へなども忙しくはべるうちに、仰せもなければ、かしこまりてなむ昔のごともさぶらはぬ」。北の方、「さりとも、ここには昔忘れがたさに、年ごろのつらさをも忘れて聞こゆる。いかにこのごろは。内裏うちへは参りたまふや」。祐宗、「さいつごろ、侍るところに、衛府司ともや知らずはべりけむ、心憎く思ひて、盗人入りまうで来て、一つ二つはべりし装束なども、みな探し取りて、かしこにはべるものの、いささかなる調度など、みなあさり取りてまかりにしかば、にはかに装束えしはべらず。このごろ内裏に召しはべれど、え参らでなむ」。北の方、「いとほしきことかな。などかはさもものしたまはざりし。いささかなることは、仕うまつりてましものを。今よからずとも、御装束は調てうじて奉りはべらむ」。祐宗、「いとうれしきことかな。いにしへの御勢ひのやうにもおはしまさざなるをなむ。今のも同じごと、御徳は劣りたまはざなるを、などかはさはものしたまはざらむ」。北の方、「思ふやうにもあらずや」などいひて、(北の方)「いささかなること謀りきこえむとてぞや。人にはのたまはじとてなむ」。祐宗、「仰せごとは何かは否びきこえむ」。北の方、「うれしきこと。聞こえむことは、このものしたまふ人は、年も老いぬ、今更に人に見えたてまつらじと思ひしを、一人ある者どもの、つれづれともの心細げに思ひたりしかばなむ、時々ものするを、あさましきこと、忠こそのいかなることかありけむ、あさましき心つきて、夜昼いへば、見知らぬやうにてはべれば、思ひ狂ひて、『おほかたは父おとどのいますがればぞ、かくあなづりたまふ。いますがらずは何かつつまむ。この道には親子なきものななり。このおとど、帝傾けたてまつらむと奏して、流させたてまつりて、つつむことなくて責めいはむ』となむいひたばかるなる。これなむおのが身に苦しきことなる。かかることなむあると、かしこに語らむと思へど、かかる仲らひを、昔より腹汚きものに人のいへば、あぢきなくてなむえものせぬ。君やは忠こそが帝にかう奏したるやうに告げたまはぬ」。祐宗、「いとやすきことなり。かくあやしき人の、いかで時めきたまふらむ。なほ見たまふるには、こともなき人とこそ見たまへつれ。よろづのこと、忠こその奏するままになむ。忠こそならぬ人、上になきものになむ思したる。げに思ほすこと、いとことわりなりや。宮仕へをしたまふこと、御前かたとき去らず、思されぬべくこそはものしたまふめれ。内裏うちの御局に、忠こそ召し使ひたまはぬやうなし。梅壺のやすどころ、え隠したまはざめり。これを見たまふればこそいとおそろしけれ。この御息所は、ただ今の時の人なり。気色を御覧じて、なほさぶらはせたまふになむおそろしき」。北の方、これを聞きたまふに、人にもかく思されけりと思ふに、ねたきこと限りなし。
 かくて、祐宗にのたまふ。(北の方)「親にのたまはむやうは、『「おのが親の上をかく申すまじけれど、罪あるとき、命をも取らるるものなればなむ、かかることのよしを奏するなり。父の大臣なむ、忍びて后の宮にさぶらひたまひけるを、かうて心よからず、帝傾けたてまつらむと騒ぎはべるめる。しかあらむとき、忠こそらを尋ねらるまじきものなり。大臣も心は遣ふものなりける。忠こそまろが制に従ふべくもあらねばなむ忍びて奏する」と申ししかばなむ、上には、「あやしきことにもあるかな。定かなることにあなるを、何を飽かずとてか朝廷おほやけにも悪しき心を思ふべき。多くのついでを越してこそ大臣の位にはなしつれ。しか思ふものならば、伊豆の島にこそ遣はすべかなれ」とこそ仰せられしか。人聞かず、祐宗一人なむうけたまはりし』とを告げたまへ」。祐宗、「うけたまはりぬ。いともやすきことなり。いとよく取り申さむ」といふ。北の方、朝服などいと清らに調じて、妻の料などもいと清らにて取らせつ。

(小学館新編日本古典文学全集)

 その後表面的には何事もなかったので、北の方は当てが外れ、また悪だくみをする。亡き左大臣の甥に祐宗という少将がいた。タチが悪く、博打に入れ込んで装束などは皆博打のカタに入れて、しかたなく出仕もままならず引きこもっていたが、北の方はこの男を呼び世間話などをなさった後、
「昔は親しい者としていつもあなたのことを頼りにしておりましたのに、でも大臣が亡くなった後すっかりご無沙汰でしたのはどうしたことでしょう。私は女の身ですから親しくして下さる方がいないので、あなた一人を何事にもつけお頼りしておりますのよ。」
「これはもったいない。長年宮仕えなども忙しくしておりますうちに、あなたからのお呼びもなかったので、遠慮して昔のようにもうかがいませんで。」
「それでも、うちでは昔のことが忘れられなくて、いままでのあなたの冷淡な振る舞いも忘れ、お話ししたいことがあるのです。どうでしょう、最近は宮中には参内してらっしゃいますか。」
「先頃勤めているところに、私が衛府の役人だとは知らなかったのでしょうか、いいものがると思った盗人に入られて、1つ2つあった装束をみんな探し出して、あちらにあったわずかばかりの調度品などもみんな漁られて持ってかれてしまったので、すぐには装束を整えることができなくなりました。近頃宮中からお召しがございましたが、参上できませんで。」
「それは気の毒なこと。どうしてそう言ってくださらなかったの。少しのことでしたら用立ててあげましたのに。すぐに、たいしたことはできませんが、装束を新調して差し上げましょう。」
「それは嬉しいことで。かつての殿がご存命時のようにはいらっしゃらないでしょうに。でも今もあの頃と同じように財力は劣っていらっしゃらないようですが、どうしてあの頃のような豪勢なお暮らしをなさっていないので。」
「どうでもいいじゃない。」
などといって。
「ちょっとしたことをご相談しようと思って。誰にも内緒よ。」
「あなたのおっしゃることを、どうしてお断りいたしましょう。」
「嬉しいこと。相談というのはね、ここに通ってくる人がいてね。年も取っていることだし今さら結婚なんて考えていないけれど、独り者同士所在なく心細く思っているのでしょうね、時々いらっしゃるのだけど、あきれたことに、忠こそが、何を考えているのでしょう、ふしだらな心を抱くようになって、夜昼となく言い寄ってくるので、知らんぷりしていたのだけど、狂ったように
『大体、父上がいらっしゃるから、私を侮りなさるのでしょう。父さえいなければ何の遠慮もいるものか。恋の道には親子なんて関係ないんだ。父上なんか、帝に謀反を起こそうとしているって奏上して、流罪にさせて、そうしたら遠慮なくあなたに迫ってやるから。』
なんて言って、たくらんでるみたいなの。これが私の心配事。こんなことがありましたと、先方にお伝えしたいと思うけれど、継子継母の関係は昔から腹汚いように人は言うので、変に勘ぐられるのも嫌だし、どうしようもなくて言えないのよ。あなたから、忠こそが帝にこんなことを申し上げたと伝えてくださいな。」
「おやすいことで。あんなけしからん人がどうしてもてはやされているんでしょう。あの方は、見た感じでは優れた人のように見えるものだから。いろいろなことが忠こその奏上するままになるのです。帝にとっては忠こそ以外は宮中にはいないようにお思いなんすよ。まあ、帝がそうお思いになるのももっともなことで。宮仕えをする時は片時も御前から離れず、信任を得るのも当然でしょう。宮中の御局でも忠こそはひっぱりだこで、お呼びにならないことはございません。中でも梅壺の御息所との関係は隠しようもないことで。その様子を拝見すると恐ろしいことですよ。この御息所は今を時めく方です。なのに帝は二人の関係をご覧になっても、まだ忠こそを侍らせているんですから、恐ろしいことで。」
北の方はこれを聞いて、自分以外の女からも思われていたと思うと、妬ましいことこの上ない。

そこで祐宗におっしゃる。
「あの子の父親に言うセリフはこうよ。
『忠こそが
「自分の親のことをこう申したくはないのですが、罪になれば、命も取られるほどのことですから、このようなことを申し上げるのです。父大臣はこっそりと后の宮に通っていて、それで悪心を抱き、帝に謀反を起こそうと騒いでいるようです。そんなときに私たちは巻き込まれたくありません。父大臣も用心しております。私が制止しても聞き入れてくださらないので、忍んで帝に奏上するのです。」
と申し上げたら、帝は、
「けしからんこともあることだ。それは確かなのだな。何が不満で朝廷に悪心を抱くのだ。大勢の序列を飛び越えて大臣のくらいにしてやったのに。そんなことを考えているのならば伊豆の島に遣わしてやろう。」
とおっしゃいました。誰も聞いていません。私一人が聞いたことです。』
と告げなさい。」
「承知しました。簡単なことですよ。うまく取り計らいましょう。」
と助宗は答えた。北の方は、朝服などをたいそう美しく調えて、祐宗の妻の衣装などもとても美しくあつらえて与えた。


帝から熱く信頼されている忠こそが梅壺の御息所と深い関係にあり、帝もそれを承知であると祐宗は語る。真偽は定かではないが、周囲の者たちにはそう見えるのだ。

帝や忠こその高貴な世界も、祐宗たちアウトサイダーからすれば偽善的退廃的な世界なのだ。

「藤原の君」において、ヤクザ者たちを描いた作者は、ここでもまたヤクザ者の目を通して貴族たちの世界を相対化している。
それは「俊蔭」の巻においても同じである。
仙人から伝授された芸術との対比、
俊蔭の娘を世話する老婆と貴族との対比。
山の祠で暮らす自然界との対比。

宇津保物語は、さまざまなアウトサイダーをとおして貴族社会を相対化する。
作者もまたアウトサイダーだったのであろう。

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