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宇津保物語を読む5 吹上 下#3


九日の菊の宴、吹上で盛大に催される


 かくて、九日ここにて聞こし召す。御前に磨き飾れること限りなし。まぜの縦木には紫檀、横木にはぢん、結ひ緒にはだん[糸+炎]の組して結ひて、黄金のいさ敷きて、黒方を土にしたり。白銀して菊を飾れり。移ろへる花などのしたる中に、紺青、緑青の玉を花の露に置かせたり。
 その日のつとめて、はかず奏せさせて、源氏参らせたまふ。この源氏の名はすずしとなむありける。菊につけたりける歌、
  (涼)朝露に盛りの菊を折りて見る
    かざしよりこそ御世もまさらめ
帝御覧じて、いと切なりと思したり。
  (院)よそながら玉なすものは
    菊園の露の光を見るがうれしさ
式部卿の親王、
  秋来れば園の菊にも置くものを
  わが身の露を何嘆きけむ
中務の親王、
  菊園にいくらのよはひ籠れれば
  露の底より千代を延ぶらむ
兵部卿の親王、
  白菊の同じ園なる枝なれば
  分かれず匂ふ花にもあるかな
左大将、
  (正頼)白菊の千歳をこめて待つ園に
   残れる露を玉と見るかな
 かくて、帝出でおはしまして、上達部、親王たち着き並みたまへり。御前には、錦のあけばり打ちて、ぢむの座に文人、擬生など着き並みぬ。しばしあれば宣旨下りて、殿上人仲頼、行政、涼、仲忠、四人召されて横座に着きぬ。
 かかるほどに、御前に、沈の棚厨子九よろひに、棚一つに同じろくひきの十五、黄金の御器十五づつ、よそへは十六のなまものからものよりはじめて、貝、こふを尽くして、御果物かずを整へ、飾り盛りたり。もの、台九具、黄金の御器、よき参り物同じ数なり。親王たち、上達部に、紫檀の衝重ついがさね、同じ轆轆ろくろひきの御器、ほどほどに従ひて調へて参る。殿上人よりはじめて、所々の上下の人々に、おのおのむまぞひかひ、押さへ、をかへまで賜ひ、同じく下したまふ物も、いかめしくうるはしく盛りて、くさ整へて飽き満ちたり。
 かくて、御かはらけ始まる。文人に難き題出だされたり。賜はりて、ふみ作り果てて、御前に奉る。文章博士講師かうじ、読み申す。もろ声にせさせたまふ中に、季英が声を聞こし召して、帝おどろき愛でさせたまひて、立ち返り誦せさせたまふ。うちつぎて四人の殿上人のふみ講ず。帝おどろきでさせたまふ。(院)「度々の唐土もろこしに渡れる累代の博士のふみに劣らず、この男どもの作りまされるかな。かたき題出ださむとて、学問せさせたる道の人にもあらず、年若くして遊びに進める者どもなり。行政、いときなくて唐土もろこしに渡れりといへども、まだ年若くて帰りまうで来たり。仲忠、俊蔭がのちといへども、俊蔭隠れて三十年、仲忠世間に悟りありといへども、かれが時に会はず。琴におきては娘に伝ふ。娘仲忠に伝ふ。それだにありがたし。ふみの道さへやは、俊蔭女子に教へけむ。すべて仲忠、仲頼はいとあやし。へんの者どもなめり」とのたまはするほどに、その日の禄、源氏の君、帝の御前に、銀のすきばこ、同じ台に据ゑて九つ、包みの中に綾、錦よりはじめてありがたき薬、世に出で来がたき香、帝いまだ御覧ぜぬ物ども、白銀、黄金にて、細かにし入れて参らす。上達部、親王たちまで、連ねて持て参りて立ち並べり。左右の大臣、親王たちよりはじめて、白絹、畳綿百とん、殿上人、諸大夫どもよりはじめて多くの百官、品々にいかめしきことどもなり。上臈の御供人にさへ、ほどにつけて賜はす。
 かくて、夜に入りぬ。御前に、黄金の灯籠、とうかい、沈の御松明たいまつ、前ごとにともしたり。かうらいあけばり十一間を、いろこのごとく打ちたり。沈の舞台、金の糸して結ひ渡し、よろづの楽器ども、金銀、瑠璃を磨き整へて、さう四十人、笛四十人、弾き物、舞人、数を尽くして参る。穴ある物、緒ある物、めづらかなる声ある御時なり。その道の上手かずを尽くしたり。選びすぐりたる上手を整へたり。らんじやう、鼓、物の音、一度に打ち吹き弾き合はせたり。おびたたしくめでたし。明くるまで遊ぶ。

(小学館新編日本古典文学全集)

 こうして、9月9日の重陽の節句はここ吹上にておこなう。
嵯峨院の御前を磨き飾ることこの上ない。
垣根の縦木には紫檀、横木には沈、結び緒には色を次第に濃くした組紐を使い、黄金の砂子を敷いて、黒方を土とし、そこに白銀で作った菊で飾る。色変わりしつつある菊の花を植えた中に、紺青、緑青の玉を花の露に見立てて置かせている。
 その日の早朝、菊の葉数を奏上させて、源氏が献上する。この源氏の名は「涼」というのであった。
涼が菊に書きつけた歌
  朝露に盛りの菊の花を折り
  挿頭として見るにつけても
  父院の御世がますます栄えることでしょう。

院はその歌をご覧になって胸に深く感じるところがあった。
  遠く離れながらも、
  玉のように光り輝く菊園の露の光のように
  立派に成長した姿を見ることの嬉しいことよ

式部卿の親王
  秋が来ると菊園の菊にも露は降りるのです
  わが身のはかなさをどうしても嘆いてしまいます

中務の親王
  菊園に多くの年月が込められているので
  菊の露の底から千年もの長寿が延べられるのでしょう

兵部卿の親王
  同じ園で育った白菊の枝ですから
  別々にならずに美しく咲いた花のですよ

左大将
  白菊の千年の齢を込めて待つ園に
  残る菊の露を玉のように美しいと見ることです

 こうして、院は宴席に姿を現し、上達部や親王たちも並んで席にお着きになる。御前には錦で飾った仮屋を建て、陣座には大学寮の文章生や文章擬生などが並んで座る。しばらくすると、院からの宣旨が下って殿上人の仲頼、行政、涼、仲忠の4人が召されて正面の座にお着きになった。
 そうして、御前には、沈の棚厨子9組に、その棚1つに同じ轆轤引きの器が15、黄金の器が15個ずつ置かれ、盛り付けられた料理は、16の生もの、乾物からはじまり、貝や蟹などの海産物や果物を盛りだくさんにそろえ、盛り付けている。
院の御膳には台が9つ。黄金の器に料理を美しく盛り付け同じく15用意する。
親王たちや上達部には、紫檀の衝重に、同じく轆轤ひきの器が置かれ、それぞれの身分に応じて料理を盛り付けて差し上げる。
殿上人をはじめ、役所のさまざまな身分の人々には、それぞれ「馬副」「居飼」「押さえ」「おかえ」までが席を賜り、同じようにくだされる料理も、たいそう立派に美しく盛り付けて品数も豊富で満足のいくものであった。
こうして酒宴が始まる。
文人たちには難しい詩題が下される。
それを賜り詩を作って院の御前に差し上げる。
文章博士・講師がそれを読み上げる。
それに続き一座のものに吟誦させなさる中、季英の声をお聞きになって院はたいそう驚きほめたたえなさり、繰り返し吟誦させなさる。
続いて仲頼ら4人の殿上人の漢詩が読み上げられる。院はたいそう驚き賞賛なさる。
(院)「何度も唐土に渡った累代の博士たちの詩に劣らず、彼らの作る詩は優れていることだ。難しい題を出そうとして学問をさせた専門の人でもなく、若くして風流の道に進んだものたちである。
行政は幼いときに唐に渡ったとはいうが、まだ若いうちに帰ってきたのだ。
仲忠は俊蔭の子孫ではあるが、俊蔭が消息を絶ってから30年、仲忠が世間で評判であるとはいっても、俊蔭が生前に会ったわけではない。俊蔭の琴は娘に伝えられ、その娘が仲忠に伝えた。それでさえめったにないことだが、漢籍の道については俊蔭は娘に伝えたわけではあるまい。
まったく仲忠や仲頼は不思議な者たちだ。きっと仏が生まれ変わったものたちなのであろうな。」
とおっしゃるうちに、その日の禄は源氏の君(涼)が用意なさる。
帝の御前には銀の透箱が同じ台に9つ並べて、その包みの中には綾、錦をはじめとして貴重な薬や、めったにお目にかかれない香、院もまだご覧になっていない物たちを、白銀・黄金で細かく細工をして入れて差し上げる。
上達部や親王たちの禄まで連ね並べてある。
左右の大臣や親王たちをはじめとして、白絹、畳綿を100屯、殿上人や諸大夫をはじめとした多くの百官たちには身分に応じて立派な禄が贈られる。上臈の供人にさえ、分相応に禄をお与えになった。
 こうして夜となった。
院の御前では黄金の灯籠、灯械に灯りが灯され、沈の松明が人々の前に灯される。
高麗織で飾られた仮屋11間を鱗のように並べ立てる。
沈の舞台を金の糸で結び渡し、さまざまな楽器を金銀瑠璃で飾り立て、笙40人、笛40人、弦楽器、舞人ある限り並び立つ。
管楽器、弦楽器などは珍しい調べのご時世である。その道の達人が皆登場する。選りすぐりの名人を集め、乱声、鼓、楽の音が一度に鳴り響く。
まったくもってすばらしい。夜が明けるまで演奏は続く。


例によって、尋常ならざる饗宴の描写である。
沈木や紫檀、金銀、瑠璃、ついには黒方を土に見立てるという。(黒方とは練り香のこと)正直ワンパターン化しつつあり、つい読み飛ばしたくなる。
黙読で読むわれわれには、ノイズと化してしまう過剰な繰り返し表現も、語りとして耳で聞き味わうならば、この過剰さがおもしろみになるのかもしれない。
(現に語り文学である昔話は、繰り返しが多用される)

さて、源氏の君の名が「涼」であることが、ここで初めて示される。
宇津保物語は必ず本名が示される。これは源氏物語との大きな違いだ。
光源氏の「光」は名ではないのは、皆さんご存じのとおりだが、源氏物語では極力固有名詞を排している。そのかわり、内容は心理描写も含めてリアルであり、超常現象も決しておこらない。
宇津保物語は、その内容は荒唐無稽な現実離れしたものであったり、超常現象もよく起こるのだが、その描写の方法は、とことんリアルに徹している。
対象的で面白いところだ。

涼の親孝行な歌に嵯峨院は感動する。兄弟たちの歌はまるで嫉妬しているかのようだ。
後半、4人の漢詩が披露される。どれも人並み外れている。特筆される点は彼等の才能が先天的なものであることだ。「変化の者どもなめり」、まさに宇津保物語的な褒め言葉である。

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