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宇津保物語を読む 俊蔭14

俊蔭、娘に秘琴のことを遺言して逝去

 かかるほどに、娘、十五歳になる年の二月に、にはかに母かくれぬ。それを嘆くほどに、父やまひづきぬ。父、弱くおぼゆるときに、娘を呼びていふやう、(俊蔭)「われ、ありつる世には、わが子に高きまじらひをもせさせむと思ひつれども、若くては知らぬ国に渡り、この国に帰り来ても、おほやけにもかなひ仕うまつらでほどれば、まづしくて、わが子の行く先のおきてせずなりぬ。天道にまかせ奉る。わがりやうずる荘々、はた多かれど、たれかはいひわく人あらむ。ありともたれかいひまつはし知らせむ。ただし、命の後、女子のために、け近き宝とならむものを奉らむ」とのたまひて、近く呼び寄せて、よろづのことをいひて、(俊蔭)「このいぬゐすみかたに、深くー丈掘れるあなあり。それがうへしたほとりには、ぢんを積みて、この弾く琴の同じさまなる琴、錦の袋に入れたる一つと、かちの袋に入れたる一つ、錦のはなん風、褐のをばはし風といふ。その琴、わがこと思さば、ゆめたふたふに人に見せたまふな。ただその琴をば、心になきものに思ひなして、長き世の宝なり、さいはひあらば、その幸極めむとき、わざはひ極まる身ならば、その禍限りになりて、命極まり、また、とらおほかみくまけだものにまじりて、さすらへて、獣に身をしつべくおぼえ、もしはともつはものに身をあたへぬべく、もしは世の中に、いみじき目見たまひぬベからむときに、この琴をばかき鳴らしたまへ。もし子あらば、その子、十歳のうちに見たまはむに、さとく賢く、魂ととのほり、ようめい、心、人にすぐれたらば、それに預けたまへ」と遺言しおきて、絶え入りたまひぬ。また、同じころほひ、乳母も亡くなりぬ。

(本文は小学館新編日本古典文学全集)

 こうしているうちに、娘が15歳になる年の2月に、急に母が亡くなった。そのことを嘆いているうちに、父が病気になった。父が気弱になっているときに、娘を呼んでいうには、
「私は、以前わが子には高貴な人と交際をさせようと思っていたが、若くして見知らぬ国に渡り、この国に帰ってきてからも朝廷にも出仕せずに過ごしてきたので、貧しくなり、わが子の将来を決めないでいた。それについては、天の運命にお任せ申し上げよう。私の所領する荘園は多くあるが、だれが私の領地だとことわってくれる人がいるだろうか。あったとしても、誰が管理して治めてくれるだろうか。ただ、私が死んだ後、娘のために身近な宝となるようなものを差し上げよう。」
とおっしゃって、近くに呼び寄せ、様々なことを言い、
「この家の北西の隅に深く一丈ほど掘った穴がある。それの上下のあたりに沈木を積んでこの弾いていることと同じ姿をした琴が錦の袋に入れてある1つと、褐のふくろに入れてある一つがある。錦にはいいているのが「なん風」褐のを「はし風」という。その琴は、私のことを思ってくれるなら、けっして人にお見せになってはいけない。ただ、その琴を心の中でなかったものと思っていなさい。永き世の宝なのだ。幸運なときは、その幸運が窮まったとき、不幸窮まる身ならば、その不幸で命が危うくなったとき、また、虎や狼熊や獣に囲まれ、放浪し獣に食べられそうに思い、もしくは、徒党を組んだ兵たちに殺されそうになったとき、もしくは、世の中でたいそうひどい目に遭ってしまいそうなときに、この琴をかき鳴らしなさい。もし、子供ができたら、その子が10歳になるまでに、聡明で賢く、心がすぐれ、容姿や気だてが人に優れていたならば、その子にその琴を預けなさい。」
と遺言して、お亡くなりになった。
また同じころに乳母も亡くなった。

 俊蔭は娘に遺言を残して亡くなる。「~とらおほかみくまけだものにまじりて、さすらへて、獣に身をしつべくおぼえ、もしはともつはものに身をあたへぬべく、~」の部分は、都にいる限りは遭遇しようもない状況だが、後の娘の境遇への伏線であろう。

 それにしても波斯国までゆき、琴の秘法を伝修した主人公としてはあっけない幕切れである。琴も帝の前でちょっと試し弾きをした程度で俊蔭の業はしっかりと披露される機会すらない。こうして物語は足早に次の主人公へとつながってゆく。


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