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宇津保物語を読む 俊蔭11

俊蔭、波斯国まで帰る

 かくて、俊蔭、日本へ帰らむとて、こくへ渡りぬ。その国のみかどきさきまうけきみに、この琴を一つづつ奉る。帝、大きにおどろきたまひて、俊蔭を召す。参れるに、ことのよしをくはしく問ひたまひてのたまはく、(帝)「この奉れる琴の声、荒きところあり。しばし弾きならして奉れ」とのたまふ。(帝)「人の国の人なれば、渡りて久しくなりにけり。そのほどはいたはりてさぶらはせむ」とのたまへば、俊蔭申す、「日本に年八十歳なる父母侍りしを、見捨ててまかり渡りにき。今はちりはいにもなりはべりにけむ。白きかばねをだに見たまへむとてなむ、急ぎまかるべき」と申す。帝、あはれがりたまひて、いとまを許しつかはす。

(本文は小学館新編日本古典文学全集)

 こうして、俊蔭は日本へ帰ろうとして波斯国へ渡った。その国の帝、后、皇太子にこの琴を一つづつ献上する。帝はたいそう驚きなさって、俊蔭をお召しになる。参上すると事の次第を詳しくお尋ねになっておっしゃる
「この献上したことの音は、荒れたところがある。しばらく彈き馴して献上せよ」
とおっしゃる。
「おまえは外国人であるが、渡来して永い時が経っている。その間は十分に面倒を見てさしあげよう」
とおっしゃると、俊蔭は申し上げる
「日本に80歳になる父母がございますが、見捨てて渡って参りました。今ごろは亡くなって灰塵にもなってしまったことでしょう。白き屍(白骨)だけでも拝見しようと急ぎ帰国したいと思います」と申し上げる。
帝は気の毒に思われて、帰国することをお許しになる。

儲けの君=皇太子
人の国の人なれば=「ば」は順接確定条件をあらわすが、文脈から逆接で訳した。
見たまへむ=「たまへ」は下二段に活用しているので謙譲語

俊蔭帰朝結婚して一女をもうけ官位昇進

 けうやくの船につきて、二十三年といふとし、三十九にて日本へ帰り来たり。父かくれて三年、母かくれて五年になりぬといふ。俊蔭、嘆き思ヘども、かひもなくて、三年のけう送る。おほやけにことのよしを申さすれば、みかど、「いとうるせかりしものの帰りまうで来たれること」と喜びたまひて、召して、事のありさま問はせたまふ。俊蔭、ありしことの限り奏すれば、帝、あはれがりけうぜさせたまひて、しきぶのせうになされぬ。殿てんじやう許されて、とうぐうの学士つかまつるべきよし仰せらるるほどに、帝「みちのことは俊蔭にあづく。ついで残さず、ざえにしたがひて出だし立て、世にしたがひ、人しづめ、うれへあらすな」とのたまはす。
 容貌かたち、ありさま、すべて人にすぐれたれば、われもわれもと、むすめいもうと持ちたる人は、(人々)「婿むこにせむ。婿にせむ」と呼べど、仏の、いんよくの罪重きをたててのたまひしかば、つつみてのみ過ぐしけれど、一世いつせの源氏の、心だましひ人にすぐれたまへりけるを得て、その腹にをんなひとり生ませつ。かなしうすること限りなし。俊蔭、位まさりて、しきぶのたいにてだいべんかけつ。

(本文は小学館新編日本古典文学全集)


 交易の船に乗って、日本を発って23年経った年、39歳で日本に帰ってきた。父が亡くなって3年、母が亡くなって5年になったという。俊蔭は思い嘆けども、かいもなく、3年の喪に服す。
朝廷に帰朝した旨を申し上げると、
帝「とても賢い者が帰ってきたことだ」
とお喜びになって、お召しになり、事の次第をお尋ねになる。俊蔭は体験したことのすべてを奏上すると、帝は感動し、興味をお持ちになって、俊蔭を式部少輔になさった。
殿上が許され、東宮の学士として仕えるよう仰せられた時に、
帝「学問の道のことは俊蔭に任せる。序列を乱さず、才能によって登用し、世情に従い、人を治め、憂えの無いようにせよ」
とおっしゃる。
 俊蔭の容貌や物腰すべて人に勝っていたので、我も我もと娘や妹を持っている人は「婿にしよう、婿にしよう」と呼ぶが、俊蔭は仏が淫欲の罪の重さを特におっしゃってきたので、慎んで過ごしてばかりいたけれど、一世の源氏の性質と気だてのすぐれている女性を妻として、その腹に女の子ひとりを生ませた。かわいがることこの上ない。俊蔭はさらに昇進して式部大輔となり、左大弁を兼任した。

孝=喪に服す。
式部少輔=式部省の次官の下。従五位下相当。俊蔭は渡唐の時「式部の丞(三等官)」であった。
東宮の学士=東宮の指導役。侍講。
式部大輔=式部省の次官の上。父と同じ官職。
左大弁=式部・中務・治部・民部の四省を統括する、左大弁局の長。

無事日本に帰国すると、既に23年の年月が経ち、両親はともに亡くなっていた。

式部少輔から大輔、東宮の学士、学者たちのとりまとめ、と文官としてトントン拍子に昇進してゆく。

多くのものから婿になることを求められるが、淫欲の戒めから妻を一人だけ娶る。だたしその妻も「一世の源氏」である。(父は帝)
「全集」の注には「一世の源氏の史上初例は、嵯峨天皇皇女源潔姫の藤原良房への降嫁」とある。

 さて、琴の物語はどのように続いていくのであろうか。

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