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宇津保物語を読む 俊蔭Season4 #3

兼雅うつほに至り、子に会って境遇を聞く

 大将は、いみじき尾を五つ越えておはするに、獣、はやう貝を伏せたらむやうに、同じうへに立ちこみたるに、分け入りて、この琴のを尋ねて、うつほある杉の木のもとにうち寄りて、馬よりりて見めぐりたまふ。
 この木の前には、よろづの木なつかしう、苔を敷き、いさをまきて、清げなる蔭に立ち寄りて、声づくりたまへば、このうつほの人、琴を弾きやみて、あやしがりて見たまへば、いと清げなる人立てり。子のいふやう、「いとめづらしく、あやしきわざかな。もののを聞きて、天人の下りたまへるにやあらむ」といへば、なほ問はまほしくて、苔のすだれのうちながら、(子)「かれは何人のおはしますにかあらむ。熊、狼を友だちにて、世の中の人もまうで来通はぬ山ふところに、いかで入らせたまへるならむ」。客人まらうど、さればこそ。人ありけり、と思して、(兼雅)「かくて人住みたまふと聞きて、まこと、そらごと見たまへにまうで来つるなり」。いらへ、(子)「この年ごろ、この山に籠りはべれども、かう尋ねはせたまふ人もなきに、何ごとによりてか尋ねおはしましつらむ」と聞こえて、苔の上に出でたり。きぬ、はた、はかなきひとえたるを着たるに、顔かたちは、ただ光るやうに見ゆ。

 大将は、たいそう険しい尾根を5つ超えていらっしゃると、獣たちがすでに貝を伏せたようにひれ伏して同じ方に向いている。そこを分け入り、この琴の音を探し訪ねてうつほのある杉の木の元に近づき馬から下りて見廻しなさる。
 この木の前には多くの木が人懐かしく植えられており、苔を敷き、砂を撒いてある。そのさっぱりとした木陰に立ち寄って声をかけなさると、このうつほの中の人は、琴を弾くのを止めて不審に思ってご覧になると、とても美しい人が立っている。子が声をかける
「たいそう珍しく、不思議なことだなあ。琴の音を聞いて天人が下っていらっしゃったのでしょうか」
というと、さらに事情を知りたく思い、簾の中から
「あなたはどなたでいらっしゃいますか。熊や狼を友として、世間の人も通っては来ない山奥に、どうしてお入りになったのでしょう。」
それを聞いた客人は「やはり人がいたのだ」とお思いになって、
「このように人が住んでいらっしゃると聞いて、本当かどうかを見極めるために来たのです。」
返事「ここ数年この山に籠もっておりますが、このように訪ねていらっしゃる人もいないのに、どうして訪ねていらっしゃったのでしょう」
と申し上げて苔の上に出てきた。その着物はまた、粗末な単衣の萎えたものを着ていたが、顔かたちはまるで光るように美しく見えた。


親子の対面であるが、双方とも相手が誰かは知らない。

 あやしみおどろきて、客人、(兼雅)「今日は北野の行幸なり。御供に仕うまつれるに、おもしろきもののの聞こゆれば、尋ね参り来つる」とて、行縢むかばきを解きて苔の上に敷き、「こち」とて据ゑ、われもゐたまひて、ことのよしを問ひたまふ。(兼雅)「そもそも、獣といへど虎、狼ならぬは住まざなり。鳥といへども鷲、山鳥ならぬは住まぬところに、何の御心にて、いときなきほどには宿りたまふぞ」。子のいらへ、「この山にまかり籠りにしこと、五歳よりなり。その後跡絶えて、まかり出づることなし。その籠りはべりしやうは、思ふ心ありてなり。たふたふに聞こゆべきにもはべらず」と聞こゆ。客人、(兼雅)「ここら激しき道に、うち越えて、深き山の奥を、うとましき獣の満ち満ちたる中を尋ねたる心をば、えおろかに思さじ。なほのたまへ」と責め問ひたまへば、(子)「はかばかしくも身の上をえ知りはべらず。母にはべる人に、責めて問ひはべりしかば、『父母にーたびに遅れはべりにしかば、あひかへりみる人なくて、心細き住まひをしはべりにけるに、はかなき人の、ものの便りに立ち寄りたまへりしになむ、いささかいらへなど聞こえしに、生まれにし』とばかり語られはべれども、そもはかばかしうも聞きはべらず」と聞こゆれば、ありし京極のことをふと思し出でて、(兼雅)「なほ、確かにのたまへ。さてその御親はおはするか、おはせぬか。あやしう、のたまふやうにては、いときなきほどより、かかるあやしきところにおはしけれど、さらにここにおはすべき人になむ見えぬ。ただあらむままにのたまへ」とのたまへば、子のいらへ、(子)「ここに籠りはべりしことは、さてはかなきさまにて出でまうで来はべりにける身を、また知る人もなくて、年ごろもてわづらひて、三つばかりになりはべりにけるほどになむ、もの覚えはべりける。いかでこれを養はむと思ひはべりしかど、すべき方なくて見たまへしに、ただ明け暮れ、いかで鳥の声もせざらむ山に籠りにしがな。今やおそろしくうとましき目を見むずらむと、さかしらに人ありと見て、人のうかがひなどするに、尋ね出でられて、親の御おもてせ、わが身もいとどいみじくならむこと、と嘆きはべりしかば、年ごろここに籠りはべるなり。木の実、かづらの根あなるを、さても養はむと、願ふところに思ひたまへて、山の見ゆる方を尋ねまうで来て、このうつほを見出でてはべりしに、しかじかなむはべりし。いかでかき清めむと思ひはべりしに、童出でまうで来て、払ひあけて住ませはべらするに、またおのづから、獣などの実、かづらの根など取りまうで来て、げにこの願ひはべりしに似はべり」といへば、(兼雅)「かの御親、いまだ見たてまつりたまはずや」。子のいらへ、「すべて見はべらず。母もその人とはえ知り聞こえず。ただ、『父母に遅れて、心細き住まひせしほどに、そのときの大臣、家の前より賀茂に詣でたまうたりしかば、見にはしに出でたりしに、おぼえぬ人に見合はせ聞こえたりしかど、年かへるまで知らざりしに、今思へば、今日明日になりにけるに、そこなりし人の、さることあめりと教へしをなむ聞きし。その後、その人影にも見えたまはずなりにき。いと憂きことなれど、われくなりなば、聞き置けとてなむ』と申さるる。さればすべてえ知りはべらず」と聞こゆるに、悲しうあはれに思さるれど、気色にも出だしたまはず。
(本文は小学館新編日本古典文学全集)


 不思議に思い、驚いて、
客人、「今日は北野の行幸の日でした。お供としてお仕えしていたが、すばらしい楽器の音が聞こえたので、訪ねてきたのです。」
といって、行縢をぬいで苔の上に敷き、「こちらへ」といって座らせ、自分もお座りになって、事の次第を尋ねなさる。
「そもそも、獣といっても虎や狼などの獰猛な動物でなければ住まないような所ですよ。鳥といっても鷲や山鳥でなければ住まないような所にどういうお考えで幼い年ごろで住んでいらっしゃるのですか。」
子の返事「この山に籠もるようになったのは5歳からです。その後、世間とは離れ、山を出ることはありません。山に籠もっていたのは考えがあったからです。でも詳しいことは申し上げることはできません。」
と申し上げる。
客人「これほど厳しい道を越えて、深い山奥に恐ろしい獣が満ちている中を訪ねてきた決意をあだやおろそかには思いなさるな。是非おっしゃって下さい。」
と強いて尋ねなさると、
「詳しくはわが身の上を知りません。母に強いて尋ねましたところ『両親に一度に先立たれたので身寄りもなく心細い生活をしていた時に、かりそめの人が何かのついでに立ち寄りなさり、少々話などをした時に生まれたのだ』とだけ話してくれましたけれど、それも詳しくは聞いておりません。」
と申し上げると、以前京極でのことをふと思い出して
「もっと、はっきりとおっしゃって下さい。さて、その親御様はいらっしゃいますか、いらっしゃいませんか。不思議にも、おっしゃるとおり、幼い頃からこのような粗末なところにいらっしゃいますが、けっしてこんなところに住むべき人には思われません。ただありのままにおっしゃって下さい。」
とおっしゃると、子は返事をする。
「ここに籠もっておりますことは、頼りない様子で生まれましたわが身を、知り合いもなく、母は長く苦労しておりましたが、3歳になった時に私も物心が付き、なんとかして母をお世話しようと思いましたが、為す術もなくおりますと、ただ明け暮れ、「なんとかして鳥の声もしない山に籠もりたいものだ。今に恐ろしく辛い目を見るだろう」と母は嘆いておりますし、興味本位で、人がいるとみて、のぞき見などする者もあるので、探し出されて、このままでは親の恥にもなり、わが身もたいそう辛い思いをするだろうと嘆いておりました、以来ここに籠もっているのです。
山には木の実や葛の根があるだろうと、それを食べさせてお世話しようと願い、山の見える方角を探し歩き、このうつほを見つけ出しましたのは、こういうしだいです。
なんとかして掃き清めようと思っておりますと、童が出てきて払い清めて住まわせてくれました。また自然と獣などが木の実や葛の根を取ってきて、ほんとうに願い通りになりました。」
というので、
「その父親には、まだ会っていらっしゃらないのですか」
子の返事「まったく見ておりません。母も誰だとは知らないようです。ただ、
『両親に先立たれ、心細い生活をしていた時に、当時の大臣が我が家の前から賀茂に参詣なさったので、見ようとして端に出た時に見知らぬ人とお逢いしましたが、年が改まるまで気がつかなかったけれど、今思うと、出産が今日明日にもと思われるようになった時に、使用人が、妊娠について教えてくれた。その後、その人とは影さえもお見せにならなかった。とても辛いことだけど、私が亡くなればわからなくなってしまうので、聞いておきなさい』
と母は言いました。ですから、すべてを知っているわけではありません。」
と申し上げると大将は悲しく不憫に思いなさるけれど、そのようなことはそぶりもお見せにはならない。

行縢=外出・旅行・狩猟の際に両足の覆いとした布帛や毛皮のたぐい。
たふたふに=かえすがえすも、さらにさらに、


 子の詳しい話から大将は真実を悟る。まさかこんなことになっていようとは、大将もビックリであろう。
しかし、大将はすぐには自分の素性を明かさない。直情的な行動がどうなるかを理解するほどに彼は“おとな”になっている。12年の年月で彼も色々な経験を積んでいる。親子と自分の関係をどうすればいいか、慎重に事を進めようとする。

 親子が京極の屋敷を出たのは、出会いから三年後。それまで大将は訪ねていない。外出禁止がそこまで続いたか。元服して自由になれば、訪ねることもできたであろうが、もうその時には親子は山に籠もってしまったか。

 京極の屋敷が俊蔭のものであることは調べればすぐにわかるはずである。うすうす俊蔭の娘であったことに気がついていただろう。だから、山奥で琴の音を聞いた時(Season4#2)「琴」=「娘」=「俊蔭」=「せた風」の直感が無意識の中で働いたのではないか。「せた風の一つの族なるべし」という言葉が出たのがその証拠である。

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